俳優・山本學「ぶつかり合いが、世界をつくる」

1月3日(火)7時0分 NEWSポストセブン

山本學が役者としての歩みを語る

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、約50年前、劇団俳優としてスタートしテレビドラマで活躍し始めた山本學が、役者としての歩みをスタートさせた時代について語った言葉からお届けする。


 * * *

 山本學は1955年に俳優座養成所に入所、役者としての歩みをスタートさせている。


「僕は役者になる気はなくて、舞台装置をやりたかったんです。ちょうど東野英治郎さんの息子さんが弟の友達で、東野さんに相談しました。『舞台装置は仕事として成り立つものですか?』と。東野さんは『飯は食えないよ』と言うんで『それは分かっています』と答えました。


 すると今度は『芝居を知っているか? 演劇部じゃないのか』と聞かれましたが、僕は生物部と歴史研究会だったんですよね。『それで芝居をやろうなんてのは駄目だよ。芝居を分からないと何もできない。まずは養成所に入れ』と受けることを勧められました。


 そこから慌てて本を読んだりするようになりましたが、唯一の頼りは東野さんの『俺が試験官で座っているんだから大丈夫だ』というお言葉でした。


 ですから、最初は役者の勉強は全くしていませんでした。同級生に田中邦衛さんや露口茂君がいて、彼らのエチュードを見て、『よくあんなことができるな』と思いました。見ることだけは見てきたんですよね。ですから、見よう見まねです。


 その頃はサンドイッチマンや新聞のかけとりのバイトをする一方でテレビドラマの仕事も来ていましたが、テレビの方が実入りがいいんですよね。それで『役者の勉強を少ししなきゃ駄目かな』と考えて、三年の養成期間が終わった時に『月謝を払うからもう一年残してほしい』と養成所に頼んだんですよ」


 その後は劇団新人会に入った後、さまざまな舞台やテレビドラマに出演するようになる。


「新人会も最初は裏方で入りました。でも人が足りないということで役者もやらされて。そのまま運よく仕事が来ました。仕事に引きずられて役者にさせていただいたという気がします。


 宇野重吉さんの演出は思い出深い。駄目だしがきつくて、男でも泣き出す役者もいました。でも僕には具体的に何も言ってくれません。公演の終了まで「これでいいのか」と考え続けてやっていました。


 でも、演技ってそういうものなんですよね。『こうだからこうだ』という理屈じゃなくて、相手役とその情景をどう語るかという感覚の問題でしょう。相手役との間で感覚を測りながらやっていく。


 でも、今はそういう作り方ではなくなってしまいました。先に形があって、相手と絡まなくても成り立ってしまう。自己主張のあるキャラクター同士が勝手なことをやっていて、そのキャラクターだけが存在している。


 物語の中でこの人がこう変わっていくという面白さがなくて、筋ばっかり追っている。それではコマーシャルと同じです。


 想念と想念が勝手に行き違っている。そうじゃなくて、ぶつかり合っているものが一つになって、そこに世界ができて、その中に苦悩や反発があり、その先に安住がある。今は先に反発あり、和合ありという結果が決まっているから、みんなパターンで芝居してしまっています」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。


◆撮影/藤岡雅樹


※週刊ポスト2017年1月1・6日号

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