岡田奈々、アイドル時代は「ハワイ日帰り撮影もありました」

1月4日(水)7時0分 NEWSポストセブン

岡田奈々がアイドル時代を振り返る

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「俺達の青春のアイドル」岡田奈々(57)。その軌跡を本人の証言とともに振り返る。


 山口百恵や桜田淳子の人気が爆発し、アイドルブームが巻き起こっていた1974年、岐阜市内の女子高に通う岡田は通学路にあったレコード店でスカウトされた。


「新人歌手の方がキャンペーンで来ていて、その事務所の方に声を掛けられました。最初は、全く知らない世界への不安もあり戸惑っていたのですが、とりあえず東京に芸能界見学に行くことになったんです。そこでドラマの撮影現場や、渋谷公会堂で生放送していた『紅白歌のベストテン』で山口百恵さんが歌っている姿を見せていただいたりしているうちに、徐々に興味を持つようになりました」(岡田・以下「」内同)


 そして上京。1975年、“花の微笑み”というキャッチフレーズを引っ提げて『ひとりごと』で歌手デビューし、FNS音楽祭の優秀新人賞を獲得。毎週のように雑誌のグラビアや表紙を飾り、同年に日本雑誌協会選出の『ゴールデン・アロー賞』のグラフ賞も受賞した。当時、グラビアを飾ったビキニ写真について、こう振り返る。


「当時は撮影が多く、ハワイに日帰りで行くこともありました。学生時代に水泳部だったので水着に抵抗はありませんでしたね。むしろ、いろんな種類の水着を着られて嬉しかった。子供だったんです」


 1975〜1976年の大ヒット青春ドラマ『俺たちの旅』で演じた、田中健の妹役も岡田の人気を後押しした。ツインテールと大きな瞳が生む無邪気で愛くるしい表情が若者を魅了し、劇中歌となった『青春の坂道』もヒット。順風満帆な芸能生活を歩んでいるように見えたが、20歳を迎えた1979年に「今後は女優一本で行きます」と宣言した。


「歌は本当に大好きで、特に松本隆さんの歌詞が好きでした。今の季節だと『冬便り』とか。だけど次第に大人の内容の歌詞を歌うように求められていき、自分自身とギャップが出てきて、歌いこなせないと感じたんです」


 歌を断ったことで、女優に懸ける思いが増した。岡田自身が忘れられない作品として挙げるのが、1982年公開の映画『あゝ野麦峠 新緑篇』。立ち居振る舞いだけで製糸工場の女工に見えることが要求される厳しい撮影現場だった。


「山本薩夫監督に『繭の匂いがするようにしてこいよ!』と怒鳴られ、あえて衣装を洗わず臭いままで撮影しました。工場での過酷な労働を再現するため、竹刀で体を叩かれたり、冬に浴衣1枚で水を掛けられたりしました。すごくいい経験だったと思います」


 一皮剥けた岡田は1980年代、『スクール☆ウォーズ』『乳姉妹』など大映ドラマの看板女優として確固たる地位を築く。50代になった今も美貌は衰えず、一昨年の映画『恋』では40年ぶりに主演を務めるなど人気が再燃している。


「これからは、等身大の女性をもっと演じていきたいですね。歌ですか? 数年前、友達と2人で熱海の旅館に泊まった時、大広間にあったカラオケで自分の曲を大きな声で歌ったんですよ。そしたら翌日、女将さんに『奈々ちゃんの曲、全部知っているよ』といわれて。聴かれていたと思うと、恥ずかしい……。そんな感じですから、テレビではなおさら歌えないですね(笑い)」


◆岡田奈々(おかだ・なな):1959年生まれ、岐阜県出身。1974年にオーディション番組『あなたをスターに!』の第2回チャンピオンになり、翌1975年に『ひとりごと』で歌手デビュー。グリコのアーモンドチョコレートやポッキーのCMにも出演して人気アイドルとして活躍。20歳を過ぎて女優業に本腰を入れ、『戦国自衛隊』『あゝ野麦峠 新緑篇』『塀の中のプレイ・ボール』などの映画、ドラマなどに多数出演。2014年の映画『恋』は大きな話題を呼び、2016年に『海すずめ』が公開された。


撮影■渡辺達生


※週刊ポスト2017年1月1・6日号

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