寺田理恵子×近藤サト「お尻にタッチ、バリバリありました」

1月4日(木)7時0分 NEWSポストセブン

1991年に入社した近藤サト

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 テレビが一番華やかだった時代──。それは女子アナが業界の花形職業で、世間の憧れだった時代でもあった。アイドルアナのはしりとなった寺田理恵子(56)と報道からバラエティまで幅広く活躍した近藤サト(49)。1980〜1990年代のテレビの舞台裏を知る“美熟女アナ”2人が、当時の裏話を語り合った。〈元祖アイドルアナ〉──寺田理恵子(1984〜1989年フジテレビ)に手渡された名刺にはそんな肩書きが記されていた。一方、艶やかな晴れ着姿で登場したのが7年後輩の近藤サト(1991〜1998年同)だ。


寺田:名刺の肩書きは、(所属事務所の代表を務める)生島ヒロシさんの提案なんです。厳密に言えば『なるほど!ザ・ワールド』の益田由美さん(1977年入社)と、『オレたちひょうきん族』の山村美智さん(1980年入社)こそ、女子アナがバラエティ番組に出演した先駆けですよね。


近藤:私が子供の頃のアナウンサーは、まだお堅いイメージでした。それが学生時代に寺田さんを『ひょうきん族』で拝見して、本当に可愛らしくて。


寺田:入社した時、私は音楽番組か、旅番組をやりたかったの。ところが山村さんの代役で、2代目ひょうきんアナとして、『ひょうきんベストテン』に出演することになった。まあ、これも一応音楽番組かなと思って納得したんですけど(笑い)。その頃は衣装も自前でした。


近藤:え、自前なんですか。


寺田:私が入社したのは男女雇用機会均等法の施行(1986年)よりも前で、女子アナは契約社員。アナウンス室ではお茶汲みをやらなければならなかったし、電話番もした。そういう封建的な時代だった。


近藤:私たちもお茶汲みはしていました。“誰のコーヒーに何杯砂糖を入れるか”というメモまであって……。お尻をタッチするようなセクハラも、バリバリありましたよね(笑い)。


寺田:私はそういう人からも触られたことないの。オーラがまったくないみたいで(笑い)。


近藤:あの頃は華のある大物の女性司会者がたくさんいましたよね。楠田枝里子さんとか幸田シャーミンさんとか。私は1991年に正社員で入社しましたが、当時のフジテレビは力があって、営業利益もすごくて、華やかで。もちろん、自前の衣装でカメラの前に立つこともありませんでした。だから会社にはTシャツ、ジーパンで行ってたんです。そんな感じだったから、露木茂さん(アナウンス部長、当時)に呼ばれて、「見られる職業なんだから、もうちょっと良い格好をしろ。お前はADか」って怒られたぐらい。それからは『CanCam』のモデルだった河野(景子、現・貴乃花親方夫人)さんを真似た方がいいかなと思って、彼女のと同じルイ・ヴィトンのバッグを色違いで買ったりしていました。


寺田:昔は髪のセットも全部自分でやらなくちゃいけなかったのにね。


近藤:私の頃はもう、へアメイクはやってもらえました。当時はイベントや結婚式の司会のアルバイトも会社を通してたくさんありました。


寺田:えっ、アルバイト料ももらえたの!? 7年しか入社が違わないのにこのギャップはなんなの(笑い)。


【PROFILE】

●こんどう・さと/1968年、岐阜県生まれ。日本大学芸術学部卒業後、1991年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『FNN NEWSCOM』などの報道番組やバラエティ番組に出演。1998年に退社。フリーアナウンサー・ナレーターとして『有吉反省会』(日テレ系)、『ビビット』(TBS系)、『バイキング』(フジ系)などに出演中。日大芸術学部特任教授。


●てらだ・りえこ/1961年、東京都生まれ。聖心女子大学文学部卒業後、1984年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『オレたちひょうきん族』『NG大賞』他、バラエティ番組に多数出演。1989年に寿退社し、フリーアナウンサーに。TBSラジオ『生島ヒロシのサタデー一直線』に出演中。


※週刊ポスト2018年1月12・19日号

NEWSポストセブン

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