NHK大河ドラマ主人公・黒田官兵衛の生涯を松平定知氏が解説

1月5日(日)7時0分 NEWSポストセブン

中津城(大分県)で黒田勘兵衛に思いを馳せる松平定知氏

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 NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が本日開始する。今回のテーマは豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛。自ら「官兵衛好き」だという元NHKアナウンサー松平定知氏が、官兵衛とはどんな人物だったかを解説する。


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 官兵衛の人生を振り返ってみましょう。黒田家の出自は近江の国で、官兵衛の曾祖父の代に軍規違反で追放され、その後播州・備前に流れ着いたとされています。黒田家では先祖代々、メグスリノキという木から作る目薬の製法が受け継がれてきましたが、祖父が播州の広峯神社の護符と一緒に目薬を売ったことで、莫大な利益をあげました。その金を、備前の小寺家へ寄進して召し抱えられました。


 やがて父は小寺家の御着城の城代家老で出城・姫路城の城主になります。官兵衛はその嫡男として生を受けます。父に代わって城主になったのが22、23の時。「これからは信長の時代」と時流を読み、小寺家を説得して信長の傘下に入らせ、幾多の戦果も挙げました。しかし、荒木村重が謀反を起こしたため、官兵衛は単身その説得に向かいますが逆に捕まり、村重の城(有岡城)に幽閉されてしまいます。1年後に救出されたときには、髪は抜け落ち、足は萎えていました。


 しかし、この事件で秀吉との絆は強まりました。官兵衛は以後、(高松城の水攻めから明智光秀を討つべく山崎に戻った)中国大返しをはじめ存分に力を発揮。ついに秀吉に天下を取らせたのでした。



 だが、優秀すぎる部下は上司に嫌われるものです。ある日、秀吉は家臣に「自分が死んだら、次に天下を治めるのは誰か」と聞き、家臣らは「徳川だ」「前田だ」と口々に名を挙げましたが、秀吉は「いや官兵衛だ」と言ったといいます。それを伝え聞いた官兵衛は、身の危険を感じ、家督を息子の長政に譲ると、自らは出家して「如水」と名乗り、豊前の自分の城、中津城で隠居生活に入りました。


 隠居後もたとえば北条氏との終戦交渉など官兵衛は秀吉に尽くしますが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで一世一代の賭けに出ます。「両軍合わせて16万ともいわれる大一番はそう簡単には終わらない。勝つのは家康だが、疲労困憊しているはず。その間に九州、四国、中国を制して家康と日本一をかけて優勝決定戦をする!」と考えたのでしょう。ところが、関ヶ原の戦いは予想に反して1日で終わり、天下取りの夢は呆気なく潰えました。


 官兵衛は、中国大返しでは大きな成果をあげましたが、実は有岡城での幽閉など失敗も多くありましたし、このように運もそう強い方ではありませんでした。信長、家康といった独立勢力のでもなく、小寺というとびきり優秀でもない中間管理職が上にいたために、何をするにもおうかがいを立てねばならない状態にありました。


 そんな男でも胸には天下というギラギラした野望を秘めていたのです。このようなどこにでもいる隣のおじさん、完全無欠の孤高の天才ではなかった点に私はたまらない魅力を感じるのです。


 もちろん、これは私が思い描いた人物像であって、大河ドラマではまた別の人物像を見せてくれるのでしょうが。


撮影■太田真三


※週刊ポスト2014年1月17日号

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