由美かおる、イタリア永住要請やチリ将校から求婚の過去

1月5日(木)16時0分 NEWSポストセブン

芸能生活50年を超えた由美かおる

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〈いつまでも女の魅力を失わないなんて 貴女は本当に不思議な人ですね〉──ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が由美かおる(66)に初めて会った時、感嘆のあまり贈った言葉である。芸能生活50年を超えた今も、由美はデビュー時と変わらないB86・W57・H86というスリーサイズを保ち、芸能界の第一線で活躍している。


「ずっと忙しかったです。ダラッとしていることは好きじゃなくて、大変なことを乗り越えるのが好きなんです。だから、あまりストレスを感じないの」(由美。以下「」内同)


 笑顔で元気いっぱいに喋る。1966年、師・西野皓三が企画・構成・振り付けをした『11PM』のショータイムで踊る姿を見た石原裕次郎が「共演したい」と番組宛に電話。この日から15歳の少女はスター街道を突っ走ることになる。相手役を務めた映画『夜のバラを消せ』の撮影中は裕次郎邸に宿泊した。


「関西から出てきた私に、まき子夫人が『我が家にいらっしゃいよ』と声をかけてくれ、マネージャーと2人で泊まることになったんです。毎朝、お弁当を作っていただき大変お世話になりました。裕次郎さんには、初めてお会いした時に八重歯が可愛らしかったので『リス』というあだ名をつけたんです。私、見た瞬間に思ったことを言っちゃう性格なんです(笑い)」


 翌年には西野バレエ団の金井克子らと「レ・ガールズ」を結成する。メンバーの関係を聞くと、笑顔を交えながらも淀みない口調で答えた。


「プライベートでは仲良しですが、仕事に関してはライバル意識がありました。そうでないと、良い作品は作れません。なあなあではダメ。最近会うことはないですが、年賀状のやり取りを続けているメンバーもいます」


 テレビや舞台で歌って踊って、時には海外ロケにも繰り出した。年の休みは1日ほどで、1日3時間の睡眠時間というハードな生活が続いた。イタリアに出向けば大手レコード会社の社長に「欧州で大々的に売り出したい。永住してくれ」と誘われ、チリでは将校からプロポーズされた。どこにいっても厚遇される中で、由美はしっかり足元を見ていた。


「撮影でモニカ・ヴィッティさんの家に行った時、彼女は16歳なのに『もっと離れて撮って』『ライトをもう少し照らして』など意見を言っていた。自分のことをよく知ることが大切なんだなと凄く勉強になりました」


 1973年、22歳で出演した映画『同棲時代』ではヌードポスターに挑戦。ベッドシーンでぎこちない動きをしてしまうため、監督がバレエのように「1、2、3」と振り付けを与えるほど、由美は初心だった。裸になることへの抵抗感はなかったのか。


「1週間ほど悩みました。私の心には『絶対に見せられない』という古風な面、『作品のためなら』という現代的な面があって……。監督から『神秘的なメルヘンの物語だから』と説得されました。『メルヘン』という言葉に惹かれて決意したんです」


 街に貼られたポスターは続々と盗まれ、由美ファンだった嵐寛寿郎も林家木久蔵(現・木久扇)を使って京都の街からポスターを回収させたという逸話が残る。映画館には立ち見客も入れないほど人が押し寄せた。


「映画公開後は外に出ると恥ずかしくて、下を向いて歩いていました。でも、今振り返ってみると、若い時にヌードを撮っていただいて良かった。2度と戻れないですから」


※週刊ポスト2017年1月13・20日号

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