「栄光への架橋だ!」五輪屈指の名言を生んだNHKアナウンサーの“秘蔵メモ”

1月6日(月)6時0分 文春オンライン

「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架橋だ!」


 2004年アテネ五輪体操男子団体決勝で日本が28年ぶりの金メダルを獲得した瞬間、実況を担当したNHKの刈屋富士雄アナウンサーが発したこの言葉は、スポーツ実況の歴史の中でも屈指の「名言」として、人々の記憶に残っていることだろう。



刈屋富士雄氏 ©文藝春秋


刈屋アナウンサーの「あんちょこ」


 発売中の「文藝春秋」1月号では、その刈屋アナウンサーと、当の演技者で、当時の体操ニッポン団体のエースだった冨田洋之との「栄光の架橋対談」が実現した。アテネ五輪決勝のあの栄光の瞬間に至るまでの様子を15年ぶりに語りつくしている。


 対談に際して、刈屋さんがまず冨田さんに見せたのが下のメモ書き(写真参照)だ。



 当時の日本代表全員(米田功、冨田洋之、水島寿思、塚原直也、鹿島丈博、中野大輔)のプロフィールや経歴、それぞれの種目ごとの演技構成などが書かれている。実況の際にはこの「あんちょこ」を敷いて、時々確認しながらアナウンスをしていたのだという。


細かな「戦歴」や選手のコメントまで


「スポーツ実況を担当するアナウンサーなら、大抵こういうものを自分で作るはず。もちろん暗記しているけど、選手の名前は絶対に間違えられないので、必ずひらがなでルビを振っていました」(刈屋氏)


 マーカーをカラフルに使い、すべて手書きで、細かな「戦歴」まで書き加えられている。特に目を引くのは、欄外に書かれた選手のコメントだ。例えば、右上の冨田と丸囲みされた部分に書かれたメモには「小学校の頃、ソウルオリンピックをみてオリンピックに憧れました」「シドニー五輪のあと、2001〜急成長」「日本が世界に誇るオールラウンダー」などと書かれている。これらの言葉は実際に「団体決勝」の実況で刈屋さんが冨田選手を紹介する時に発した言葉である。


 そして、左上のスミに書かれたメモ書きの言葉を、聞いた覚えのある読者も多いのではないだろうか。



「体操ニッポン、陽はまた昇りました」が生まれた舞台裏


 メモにはこうある。


「1960年ローマオリンピックから団体がオリンピック五連覇 体操王国日本として世界の頂点に君臨しました モスクワ不参加で王座をあけわたしました。ロス、ソウル、バルセロナで銅メダルをとりましたがアトランタ10位シドニー4位 2大会連続でメダルを逃しました。体操ニッポンの陽は没したといわれましたが、去年のアナハイム世界選手権で銅」


 冨田選手が鉄棒の演技を終えて、金メダルを確実にした瞬間に刈屋さんが発した言葉はこのメモ書きがベースになっていたのだ(詳細が気になる方は、映像を検索してみてください)。



 文藝春秋の対談では、刈屋さんは次のようにその想いを明かしている。


「僕はアトランタ五輪の時に体操女子の実況として現地に行ったんです。団体男子の決勝も観に行って、日本が惨敗した時に、ある国のコーチが『体操日本の陽は没した』と言ったんですね。それを聞いて僕は本当に悔しくて。もし再び日本が金メダルを獲ることがあったら『体操ニッポン、陽はまた昇りました』と言おうとその時心に決めたんです」


 その想いは8年後のアテネ五輪の舞台で結実した。


 刈屋さんの「あんちょこ」からは「美しい体操」を標榜した体操ニッポンへの「情熱」が伝わってくる。



 刈屋さんと冨田さんの対談「 アテネに『栄光の架橋』がかかった日 」は、「文藝春秋」1月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。



(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年1月号)

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