ピーター・フランプトンの驚異的セールスを記録した『フランプトン・カムズ・アライブ!』

1月6日(金)18時0分 OKMusic

Peter Frampton『Frampton Comes Alive!』のジャケット写真 (OKMusic)

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本作に収録された「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」は全世界で大ヒットし、ヴォイスモジュレーター(1)を使った彼のギタープレイにも大きな注目が集まった。このアルバムがリリースされた1976年は、ロックのターニングポイントになった年でもある。インディーズのパンクロックと巨大レコード会社によるAOR路線という、まったく両極端な音楽が市場を賑わせたのは、幅広い世代がロックを聴くようになったからである。世代により支持するグループやシンガーが異なることで、何が受けるか分からない混沌の時代へと突入したのである。フランプトンはその狭間にあって、荒削りなロックのパワーを持ちながらも、ポップなサウンドを提示し、さまざまな世代に愛される作品を創り上げたのである。

ロックの分岐点となった1976年

昨年、このコーナーでスティーリー・ダンの『彩(エイジャ)』を取り上げたとき、僕はこう書いた。

〜(前略)60年代に「30歳以上は信用するな!」と言っていた若者が社会人になり、AORやフュージョンを聴くようになった一方で、70年代に10代を迎えた若者たちは破壊的なパワーを持ったパンクロックに夢中になっていく。この時代のポピュラー音楽をあえてふたつに分けると、ひとつはパンクロックやニューウェイヴに代表される“稚拙ではあるが爆発力と情熱がたっぷりの音楽”、もうひとつはAORやフュージョンに代表される“爆発力や情熱には欠けるが最高の技術と熟成を感じる音楽”といったイメージになる(後略)〜

この現象こそが、70年代中期に起こった世代の違いによる変化で、特に76〜77年が顕著なのである。世代による聴く音楽の違いは、パンクとAORだけでなく、ジャズやソウルなどでも起こっていたし、日本でも同時期に大人は歌謡曲を聴き、若者はニューミュージックを聴くというような変化があった。

この変化は、同一グループ内の音楽性の移行のようなかたちでも表れた。例えば、ドーゥービー・ブラザーズは『スタンピード』(‘75)と、その翌年リリースの『ドゥービー・ストリート(原題:Takin’ It To The Streets)』(’76)からは違うグループと言ってもいいぐらいの変化(ロック→AOR)を遂げたし、ブルースロックのグループであったフリートウッド・マックも、『ファンタスティック・マック(原題:Fleetwood Mac)』(‘75)からはAORに舵を切り、大きな商業的成功を収めることになった。

この頃から、巨大化したレコード会社は経営を安定させるために、マーケティングや大々的な市場調査を行ない、売れるロックのアルバムを作るための手法が確立されていく。ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』(‘76)やジョージ・ベンソンの『ブリージン』(’76)、マイケル・フランクス『スリーピング・ジプシー』(‘77)などがその成功例として挙げられる。以降は、TOTOやクルセイダーズといった有名スタジオミュージシャンを起用し、似たようなAOR作品が次々に制作されていく。

地道なツアー活動によって掴んだ成功

この時期、前述したようなレコード会社の仕掛けが功を奏し、1000万枚以上のセールスを上げるアルバムが登場する。サウンドトラック『サタデー・ナイト・フィーバー』(’76)、イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』(‘76)、フリートウッド・マックの『噂(原題:Rumours)』(’77)、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー(原題:The Stranger)』(‘77)などである。そして、ビッグセールスを上げた中には本作『フランプトン・カムズ・アライブ!』も入っている。しかし、他のアルバムと本作は似ているようで、違う背景があるのだ。

『サタデー・ナイト・フィーバー』は映画の世界的ヒットによるタイアップによるもの。ボズ・スキャッグスとフリートウッド・マックはAOR路線への転向によるものなど、高セールスの意味が理解できるが、本作については完全なAOR路線でもなく、タイアップでもないだけに、売れた理由がなかなか読めずにいた。そもそも、この時点で彼はソロアルバムを4枚(うち1枚はグループ名義)リリースしているものの、売れたのは『フランプトン』(‘75)ただ1枚。イギリス人の彼はブルースロックグループ、ハンブル・パイに在籍してはいたが、熱心なロックファンでないと知らなかった。それに、グループの人気が出た頃には既に彼は脱退していた。だから、イギリスならまだしも、アメリカでピーター・フランプトンという名前は、そんなに知られていないのだ。にもかかわらず1000万枚超のセールス(全米で800万枚、他で200万枚)はすごすぎないか…。

その秘密は、実は彼のたゆまぬ努力によるものであった。前作の『フランプトン』が全米チャートの40位以内に入り、リリース後に始めた長いツアーのハイレベルな内容に、口コミで徐々にファンが増え注目されるようになる。このツアーに参加したメンバーは、フランプトンを含んだ英米混合の4人。編成はギター、ベース、ドラム、キーボードと至ってシンプルだが、かつてのロックが持っていたエネルギーと、美しいメロディーのポップサウンドも併せ持っているところがフランプトンの強みであり、いろいろな世代のファンがこのツアーには集まってきたのである。ツアーが終盤を迎える頃には、会場は大きくなる一方でチケットの入手が困難になっていた。彼の所属するA&Mレコードは、このツアーの模様をライヴ盤としてリリースすることに決めた。それも2枚組で…。

本作『フランプトン・カムズ・アライブ!』について

本作のサウンドは、ウエストコーストロックの影響を受けた爽やかなものが中心になっているが、彼の卓越したギターが前面に出るナンバーでは、かなりロック的な展開になる。キャッチーなポップ作品が多いものの、ロックフィールを感じさせる曲も少なくなく、ハンサムで華奢な彼がハードなギターワークを魅せるそのギャップは観客に大いに受けたであろう。

アルバムに収録された中で、何と言っても白眉は「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」と「君を求めて(原題:Baby, I Love Your Way)」の2曲。どちらもシングルカットされ、世界中でヒットした。今ではロックのスタンダードになったといっても過言ではなく、日本でも当時は毎日のようにラジオでオンエアされていた。

このアルバムの最大の魅力は、70年代初期を彷彿させるロックのテイストを感じさせるところだと思う。同時期に売れた他のアルバム群が、当時流行のAORやフュージョン的なサウンドであったのに比べ、本作はロック(それもライヴ)の楽しさがいっぱい詰まっているし、観客を置いていかないサービス精神も持った作品なのである。ヴォイスモジュレーターを使っているところも珍しく、ジョー・ウォルシュも同時期にライヴでよく披露していたが、ヴォイスモジュレーターと言えば、やはりフランプトンが第一人者だろう。

それにしても、本作はLP時代2枚組でリリースされていただけに高価であったから、いかに当時がレコード会社のバブル期とはいえ、1000万枚超のセールスは本当にすごいことである。アルバムの最後に収められた「ライク・ウィ・ドゥ(原題:Do You Feel Like We Do)」は14分にも及ぶナンバーで、フランプトンがまぎれもないロックミュージシャンであることが分かる熱演だ。

(1)トーキング・モジュレーター(トーク・ボックス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

OKMusic

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