どんどん「西郷どん」が面白くなる“鹿児島の鉄道・西郷スポットの旅”

1月7日(日)11時0分 文春オンライン

 いよいよ、『西郷どん』である。明治維新から150年の2018年、NHK大河ドラマは西郷隆盛を主人公に据えて、「愛に溢れたリーダー」を描くらしい。で、西郷どんと言えば薩摩、鹿児島。“本土最南端の駅”もある鹿児島の鉄道スポットを西郷どんにまつわるあれこれとともに紹介してみることにしよう。



西郷どん


西郷どんと一緒に流罪気分 指宿枕崎線


 ご存知本土最南端・JR最南端の駅である西大山駅を抱える路線で、鹿児島中央駅から薩摩半島の海側に沿うように走る。砂むし温泉でおなじみの指宿を経由してカツオ漁で知られる枕崎まで。開聞岳を望む最南端・西大山駅には中国人観光客が殺到中だ。



指宿枕崎線


 その指宿枕崎線では、山川駅付近の車窓に注目してほしい。このあたりからは海側に山川港を望むことができる。西郷どんは2度流罪になっているが、その2度ともこの山川港から流罪地に向かっている。さらに、1度目の流罪から召喚された際には枕崎を経て鹿児島へ。つまり、西郷どんは今の指宿枕崎線とほぼ同じルートを辿って鹿児島城下に戻ったということだ。シラス台地を駆け抜ける指宿枕崎線から見える開聞岳の姿は、今も昔も変わらないハズ。一旦終端の枕崎まで向かってから、開聞岳を見ながら鹿児島に戻り、西郷どん気分になってみてはいかがだろうか。


薩摩藩の秘密研究施設ゆかりの地へ 鹿児島市電


 鹿児島市には市電が走っている。1912年に最初の区間が民営鉄道として開通し、1928年に公営化されて現在に至るという長い歴史を持つ路面電車だ。錦江湾方面への延伸計画もあり、銅像や生誕の地など、まつわるスポットを巡るなら確実に外すことのできない路線でもある。



鹿児島市電に乗って天文館に


 鹿児島、ひいては南九州随一の繁華街として知られる天文館にも市電は通る。この天文館、市電開通をきっかけに大正期に劇場や映画館が開場して発展していったという。それをさらに遡れば、その名の由来は1779年に第25代薩摩藩主島津重豪(しげひで)によって天体・暦の研究施設である明時館が設けられたことにあるとか。本来、幕府によって禁止されていたはずの暦の研究を、こっそり独自に続けていたという薩摩藩。幕末の雄藩となった礎は、現代の繁華街・天文館にあった——。そんな思いで路面電車に揺られてみるのもいいだろう。



トンネル出口に「敬天愛人」! 鹿児島本線


 鹿児島本線は、九州初の鉄道路線で、九州の玄関口・門司港駅から博多や熊本を経て鹿児島駅までを結ぶ長大路線。かつては東京からの寝台特急も多数行き交う重要路線……だったが、2004年に九州新幹線新八代〜鹿児島中央間が開業したことで八代〜川内間が第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管されている。なので、今の鹿児島本線は門司港〜八代・川内〜鹿児島の2区間に分断されたというわけだ。そして鹿児島県内を走るのは後者の川内〜鹿児島間である。



城山トンネルは出口に注目したい


そんなちょっぴりややこしい歴史を持つこの路線、末端部分の鹿児島中央〜鹿児島間では鹿児島の市街地を避けるように“城山トンネル”を通っている。歴史ファンならこの“城山”の名にピンとくるはず。そう、西南戦争の最後の激戦地で西郷どんが最期の瞬間を迎えた城山を、鹿児島本線は貫いているのだ。ここで見逃せないのは、鹿児島側トンネル出口。そこには、西郷どんが座右の銘とした「敬天愛人」の扁額が掲げられているのだ。近くには西郷どんが過ごした洞窟や“終焉の地”も。鹿児島の鉄道に、今も西郷どんは息づいている。


西郷どんの「敗走ルート」 肥薩線・吉都線


 鹿児島・宮崎・熊本の3県境付近を通る南九州山間部のこの2路線。もともと肥薩線が旧鹿児島本線、吉都線が旧日豊本線であり、古くから薩摩と熊本・宮崎への往来はこのルートを辿っていたようだ。それは西南戦争の折も同じ。肥薩線人吉駅付近は西郷軍の熊本進軍時と敗走時の2度経由。さらに、吉都線の中心駅である小林駅付近にも敗走時に2度経由して宿泊している。つまりは西郷軍の進軍・敗走ルートでもある。



肥薩線を行く特急「やませみ」


 肥薩線は今ではSL人吉をはじめ観光列車も行き交う全国屈指の観光路線。球磨川の流れや日本三大車窓のひとつに数えられる矢岳越えなど、車窓の見どころもふんだんだ。吉都線は観光列車こそ走らないものの、車窓から見えるは霧島連山の雄大な山並み。これらの路線に乗って敗走する西郷どんに思いを馳せてみたいものだ。



西郷どんがいなかったら、2020年山手線新駅は存在しなかったかも!


 というわけで、鹿児島県内の鉄道路線、探してみれば西郷どん&薩摩藩の物語とも密接に関わっているエピソードがたっぷりなのである。もちろん、まだまだ西郷どん鉄道スポットはあるはず。そう言えば、西郷どんは盟友の大久保利通とともに「国家財政が立ち行かぬ」「鉄道より軍備」と、鉄道建設に強硬に反対した人のひとり。



西郷どん終焉の碑


 江戸薩摩藩邸近くでの測量を断固許さず、そのために新橋〜品川間では海上に築堤を設けて鉄道を通すことになった。現在再開発が進み、2020年には仮開業予定の山手線新駅(田町〜品川)も、まさにそのあたり。つまり、西郷どんが鉄道に反対したおかげで、今の田町・品川エリアの発展があるというわけだ。鹿児島には行けない! という人は、山手線の車窓から西郷どんを思うべし、である。


写真=鼠入昌史



(鼠入 昌史)

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