パドレス入りの牧田和久 恩師が語る「“変化球禁止”の大学時代」

1月8日(月)11時0分 文春オンライン

 ポスティングシステムを利用しサンディエゴ・パドレスへの移籍が決まった西武・牧田和久。唯一無二とも言える投球術をアンダースローで磨いてきた変則右腕の原点は大学時代にあった。当時の恩師が語る。


想定外の一目惚れ


 出会いは偶然だった。2002年夏、平成国際大の大島義晴監督は、翌春の新入生のスカウトに静岡大会を訪れた。目的の試合よりも早く到着した大島は、目の前のマウンドで投げていたアンダースローの右腕に目を奪われた。


 静清工業高校(現静清)の背番号「1」をつけた牧田に「しなやかで力感がないのにストレートが伸びる。鍛えたら、アンダースローだけど、球が速くなるんじゃないか」と想像力をかき立てられた。


 そして試合後すぐに静清工業の監督に挨拶に行き、「誰を観に来たのか忘れちゃいました」と満足して帰路に着いた。


「俗に言う“体重移動が良い”とか“体幹がしっかりしている”とかは後付けで、良い選手はパッと見て“鍛えたらこうなるかな”という想像がつく選手です。牧田の場合は、その場で“アンダースローのパワーピッチャー”というコンセプトが浮かびました」



パドレスへの入団合意が発表された牧田和久 ©時事通信社


変化球禁止、クイック禁止


 牧田に出会ったこの時期を大島監督は「アンダースロー絶滅期」と呼んでいる。プロでも長身の投手が脚光を浴びていて、アンダースローは「上から投げてもダメな投手がやるもの」と言っても過言ではなかった。


 その中で大島監督が理想としたのは、巨人ファンだった小学生時代に日本シリーズで対戦した天敵・山田久志(阪急)だった。


 大島はまず牧田にストレートを磨かせた。というより、ストレート“しか”投げさせなかった。「変化球を覚えるのは社会人になってからでいい」と割り切り、まずは脇の下の高さと膝の高さ、このストライクゾーンの高低に、地を這うようなストレートと浮き上がるストレートを投げ分けることを求めた。


 また、ストレートの威力を落としてしまうクイックモーションも禁じた。当然、相手は盗塁を仕掛けてくる。牧田もクイックを試みようとしたが、大島は「盗塁されてもいいから強いボールを投げろ。何かをしようとしたらリスクはつきもの」とそれを絶対に許さなかった。


 そのかわり牧田にノートパソコンを買わせ、投球フォームの画像を重ね合わせたり、動画を編集したCDを渡した。


 これを見せながら「クイックを試みた時には頭が先に突っ込んでいる」「リリースポイントがこれだけ早くなっている」「だから球威が落ちる」と、丁寧に説明をした。


「僕がアンダースローなんてやったことが無くて、教えられないことが良かったのかもしれません。映像(考える材料)を与えられて、変化球やクイックはダメと制限されたら、自分で考えるしかないですからね」


 この期間で牧田は自らのフォームを研究し、超速クイック投法など様々な工夫を施して習得していった。



原石を磨きあげることに定評


 目の前の試合を戦う中で「勝利と育成」2つのバランスを取るのは難しい。その中で「僕が自分の欲を捨てることですよね」と大島監督は言う。


 もともとは学生時代に映画の勉強をするためのアメリカ留学を真剣に考えていた大島監督は、他の監督とは異なる価値観を持っている印象がある。その教え子たちを見ても、牧田以外にも、ひと味変わった育成で原石を磨きプロに送り出している。


 佐野泰雄(現西武)には、育成としてプロに指名される可能性のあった和光高時代に「ドラフト上位指名でプロに入れる」と約束して獲得。強豪校出身ではなかった佐野には「とにかく場数が必要」と4年間で全92試合中67試合も登板させた。投球回数は実に452イニング、リーグ最多記録の30勝(24敗)を挙げてドラフト2位で西武に送り出した。


 また川越工高時代は2番や9番を打っていた狩野行寿(現DeNA)の足を使った守備と強肩に注目して獲得。打力は低かったが「肩が強いということは、体の力を手にしっかり伝えられるということ。だから肩の強さと長打力は比例する。お前の打撃は悪くない」と意識と打撃フォームの修正を図り、2016年のドラフト7位でDeNAに送り出した(また2017年秋のキャンプでラミレス監督から野手のMVPに選ばれた)。



平成国際大の大島義晴監督 ©高木遊


さらなる想像を超えていけ


 そんな大島監督のもとで着実に成長を遂げていく牧田だったが、大島監督が当初思い描いていた理想形は「社会人で10年くらいバリバリやって“ミスター社会人”と呼ばれるような投手」だった。「まさかプロに入って、WBCで日本代表になり、今度はポスティングでメジャーなんて……まったく僕の想像外です」と笑う。


 一方でステップを1つずつ上がっていくことは理想的なものだったとも感じているという。


「大学で(ストレートのみの)高低の使い方を覚え、社会人でシュートを覚えて横幅を覚え、プロでカーブを覚えて奥行きを覚えた。1D、2D、3Dと段階を踏んで良くなることができましたよね」


 そして、牧田の良さを大島監督はもう1つ付け加えた。


「うちの大学に決めた時も、卒業後に日本通運さんに入る時もそうだったのですが、すぐに“よろしくお願いします”と返事しました。人生を左右するような決断をするのがすごく早いんです。それも成功の理由だと思います」


 行き当たりばったりではない。常に今の自分に必要なものが何かを考えてきたからこその早さだろう。


 メジャー挑戦も潔く決断し、恩師の想像をさらに超えて行こうしている牧田。そして我々の想像をさらに超える活躍を海の向こうで見せて欲しい。


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(高木 遊)

文春オンライン

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