寺田理恵子と近藤サトが語る好景気時代の女子アナの生活

1月8日(月)11時0分 NEWSポストセブン

寺田理恵子と近藤サトが舞台裏を語る

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 アイドルアナのはしりとなった寺田理恵子(56)と報道からバラエティまで幅広く活躍した近藤サト(49)。1980〜1990年代のテレビの舞台裏を知る“美熟女アナ”2人が「過ぎ去りし日の女子アナ」を語り合った。2人の古巣・フジテレビでは長寿番組の終了が相次いでいるが、寺田や近藤が在籍した時期は12年連続視聴率三冠(1982〜1993年)を達成していた。


近藤:1980年代以降、バラエティ番組やトレンディドラマが高視聴率を稼いだことで、その担当プロデューサーやディレクターが、肩で風を切って局内を歩いていました。いいクルマに乗って、高級カバンをぶら下げて(笑い)。バブルの時代というと、ピンクのセーターを肩に掛けて、胸の前で結んでいるイメージがあるじゃないですか。そういう石田純一さんみたいな方が身近にたくさんいた。くだらないことをとにかく真剣にやる、テレビ作りが大好きな人ばかり。フジテレビって、本当に優秀でカッコいい人ばかりだった……「だった」って、過去形は違うかもしれないけど。


寺田:サトちゃんの時代ほどバブリーではないけど、海外出張もたくさんありました。『出たMONO勝負』という通販番組なのにフランスの田舎町や、ワインで有名なアメリカのナパ・バレーに行ったり。『なるほど!ザ・ワールド』の伝説的なプロデューサーの王東順さんは、当時から通販番組に力を入れていて。先見の明があったんですね。


近藤:私は1992年のバルセロナ五輪の取材で約1か月、スペインに出張しました。取材もしましたけど、ちょっとした時間があると、電車に乗って観光していました。遊びすぎて、具合悪くなっちゃったぐらい。


 その後は忙しくなって、休日はほとんどなかったです。お金は貯まる一方でした。日枝久さん(現・フジテレビ相談役)が編成局長になったことで、大きく女子アナの待遇も変わっていったんだと思います。1998年に退社するまで、すごくいい思いをさせていただきました。


──当時は「30歳定年説」も囁かれた女子アナの世界。寺田は27歳、近藤は30歳でどちらも結婚を機に退社した。


寺田:私の時代は30歳どころか「クリスマスケーキ」と言われていた。25(歳)を過ぎたら、もう売れ残り(笑い)。私が結婚する時も週刊誌にいろいろと書かれましたが、しばらくするとプロ野球選手と結婚するアナが増えて、ずいぶんと自由になったなぁ、って。


 私は『プロ野球ニュース』の特別番組でグアムに行ったことがあったの。現地で選手から食事に誘われたけど、先輩の男性アナが“お酒の席に女子アナが呼ばれることがどういうことか分かっているのか”ってすごい勢いで「ダメだ」と。


近藤:寺田さんはバラエティに引っ張りだこなのに、ニュースにも出られて。純潔を絵に描いたような、教科書的存在でしょう。


寺田:あのね、自分でもそう思うの(笑い)。先輩の言うことをしっかり守っていたから。そのおかげで、変な方向にはいかなかった。


近藤:やっぱり、寺田さんの頃って女子アナに品格があったんですね。私が入社した頃は、制作の方から食事会に顔を出してほしいと頼まれましたし、携帯電話が普及すると個人でやりとりをするようになった。


寺田:私の最初の旦那はテレビのディレクターだったの。彼からは、「女子アナは芸者みたいなものだよ」と言われました。


近藤:それは私も言われました。私はニュースを主に担当していたのでスポーツ選手との合コンに参加するようなことはなかったですね。


【PROFILE】

●こんどう・さと/1968年、岐阜県生まれ。日本大学芸術学部卒業後、1991年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『FNN NEWSCOM』などの報道番組やバラエティ番組に出演。1998年に退社。フリーアナウンサー・ナレーターとして『有吉反省会』(日テレ系)、『ビビット』(TBS系)、『バイキング』(フジ系)などに出演中。日大芸術学部特任教授。


●てらだ・りえこ/1961年、東京都生まれ。聖心女子大学文学部卒業後、1984年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『オレたちひょうきん族』『NG大賞』他、バラエティ番組に多数出演。1989年に寿退社し、フリーアナウンサーに。TBSラジオ『生島ヒロシのサタデー一直線』に出演中。


※週刊ポスト2018年1月12・19日号

NEWSポストセブン

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