タイガースを18年ぶりの優勝に導いたでっかいオヤジ——追悼・星野仙一

1月9日(火)11時0分 文春オンライン

 たとえば今、橋を渡っていたら、向こうから星野さんが歩いて来たとする。目が合った瞬間、あなたの中の星野さんは一体どんな反応をするだろうか。


 1月6日午前3時ごろ、星野仙一さんの訃報がネット上を駆け巡った。私は、発売されたばかりの「月刊タイガース」で、星野さんにふれた記事を読んだ直後だった。記事によれば12月に行われた野球殿堂入りを祝う会で、星野さんは金本監督に「あと2年で結果を出せ。2年後にリーグ制覇を果たすのや」と言ったそうだ。ガンで闘病中だった星野さんがどんな気持ちでそう言ったのかを考えると大変につらいが、いかにも星野さんらしいとも思う。


 病が発覚したのは2016年夏のことで、余命宣告は3か月だったという。しかしそこから約1年半、痛いと言わず、つらいと言わず、闘将と呼ばれた男はずっと闘い続けていたのだろう。早くに亡くなった妻の分まで生きると言っていたのだから、きっとタイガースの優勝だって、まだまだ本当に見るつもりだったのではないだろうか。



昨年12月、金本監督に「2年後にリーグ制覇を果たすのや」と伝えていた星野仙一氏 ©文藝春秋


タイガースファンの夢を叶えてくれた人


『いつでも夢を』という曲がある。ドラゴンズの監督時代、星野さんが出演していたセンロックという胃腸薬のコマーシャルで、その替え歌が使われていた。“星野は いつも 怒ってる”と歌われたフレーズを、覚えている人も多いだろう。どういう経緯でこのCMが作られたのか私は知らないが、実際の星野さんも夢という言葉が好きで、サインによく夢と書いていた。諦めなければ夢は叶うと、常より言っていた。そして本当に夢を掴んでしまう、そんな監督だった。“言っているいる お持ちなさいな いつでも夢を いつでも夢を……”。


 星野さんはタイガースの、そしてタイガースファンの夢を叶えてくれた人で、おまけに当時、大病を患って入院していた私に生きる力を与えてくれた恩人である。しかし同時に、私は彼の“鉄拳”に、どうしても拒否反応があった。「大好きだけど、でも」という、相反する感情があった。あくまで私の場合だが、この感覚はどうも、父親に対して抱く感情に似ている気がする。そう考えるとたしかに星野さんには、いい意味でもそうじゃない意味でも、昔ながらの父親っぽさがあったように思う。



でっかいオヤジの星野さんが好きなのだ


 タイガースが18年ぶりに優勝することになった2003年のキャンプは、桧山の「でっかいオヤジを胴上げするぞ」という一言で始まった。FAでカープから移籍してきた金本も「関西での父親代わり」と言っていたし、よく怒られていたという藤本は「大黒柱みたいな人」と述べている。


 同年9月15日、サヨナラヒットでマジックが1になった試合、赤星を抱きしめ揉みくちゃにする星野さんの笑顔は、もう本当にお父さんみたいだったし、今でもあのシーンを見ると私は必ず泣いてしまう。結局私は困ったことに、でっかいオヤジの星野さんが好きなのだ。「ファンに贅沢させてやりたいな」と言って目を細めていた星野さんが、大大大好きなのだ。



お父さんのようだった星野仙一氏 ©文藝春秋


 私はこの原稿を、胃を痛めながら書いている。こんな中途半端なことを書いて怒られるんじゃないかとか、故人に対して失礼じゃないかとか、あっちやこっちから言われることを考えると胃がキューッとなってそのまま穴が開きそうだ。仕方がないからセンロックでも飲もうか、なんて考えながら、私はあることを思い描く。


 たとえば橋を渡っていたら、向こうから星野さんが歩いて来たとする。目が合った瞬間、あなたの中の星野さんはどんな反応をするだろう。私の中の星野さんは、「あ〜しんどかった」と言って、くしゃくしゃの顔で笑う。タイガースを18年ぶりの優勝に導いたときの、インタビューの第一声と同じである。


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(マツモト マイ)

文春オンライン

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