稲垣吾郎MC のNHK番組が日本の五輪ナショナリズムやヘイト、排外主義を批判! 稲垣は「ネット右翼」にも言及

1月9日(木)18時22分 LITERA

NHK『100分deナショナリズム』番組公式ページより

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 オリンピック推しを前面に出した『NHK紅白歌合戦』に続き、年が明けてメディアではいよいよオリンピック盛り上げムードが一層高まるなか、そうした雰囲気に一石を投じるような異色の番組が放送された。


 NHK Eテレで元旦に放送された番組『100分deナショナリズム』だ。人気番組『100分de名著』のスペシャル番組で、稲垣吾郎と安部みちこアナウンサーがMCを務め、社会学者の大澤真幸氏、作家の島田雅彦氏、政治学者の中島岳志氏、漫画家のヤマザキマリ氏をスタジオに迎え、名著から「ナショナリズム」の本質を探るという内容だった。


 ナショナリズムについて特集するということ自体は、ほかのテレビ番組でも珍しくはない。ただ多くの場合、アメリカにおけるトランプ大統領の登場や、ヨーロッパにおける極右勢力の台頭など、あくまでも海外で起きている対岸の火事として報じられることが多い。


 しかし、今回の『100分deナショナリズム』は、これを現在の日本の問題としてとらえていた。しかも、稲垣吾郎が「ネット右翼」について考察する場面まであった。


 まず番組冒頭、今年は2020東京五輪の年ということで、マスコミも含めて浮かれているなか、「近代五輪の父」と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵が掲げた「オリンピックのあるべき姿」を紹介。それは、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というものなのだが、稲垣吾郎は「でも実際はどうでしょう」と正面から疑義を唱える。


「そうは言っても、オリンピックは国どうしの戦いです。代表選手には誇りとともに大きな重圧がかかります。そのなかで懸命にがんばる姿に私たちは心を揺さぶられます。勝つと『日本人すごい!』と誇らしくなります。私たちはなぜこうした強い感情にとらわれるのか。いま、世界のあちこちで、このナショナリズムが高まっています。日本も例外ではありません」


 番組VTRでは、旭日旗が掲げられたヘイトデモの様子や、嫌韓特集を組む「正論」(産経新聞社)や「月刊Hanada」(飛鳥新社)、「週刊ポスト」(小学館)、さらにはネトウヨ雑誌「ジャパニズム」(青林堂)の表紙なども映し出されていた。ヤマザキマリや島田雅彦も、現在の日本で、五輪が醸し出すナショナリズム的な同調圧力を象徴的に指摘した。


 ヤマザキ「2020年と言えばオリンピックが開催される年ですから。私もオリンピックの漫画も描いていますが、運動と哲学ってものの関係性が基軸にあるはずの運動竸技会が、いまでは国威を象徴するための、ひとつの経済的大イベントと化し、国のために頑張っている人がいるんだから、私たちも頑張りましょうっていう煽りを受けているような気持ちになってしまいます」
 島田「メダルとるのは選手の誉であって僕たちには関係ないというか、よかったね、ぐらいですよね。それを国をあげて、あるいは国を代表して戦うということ自体が、何か歪な感じはしますけど」


 オリンピック礼賛一色のメディアのなかで、NHKの番組が日本のオリンピックのナショナリズムの歪さを指摘したというのは画期的と言っていいだろう。


 さらにこの番組でもうひとつ、出色だったのは、日本のナショナリズムや伝統が国民から自然発生したものではなく、「後付けでつくられたもの」「上からのナショナリズム」であったことを指摘したことだ。


●「万歳」は明治政府によって“つくられた「伝統」”と指摘


 大澤真幸が、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を引きながら明治新政府が、ドイツ皇帝に大きな権限を与えたドイツを参考に、天皇の権限を利用した支配体制を構築したことを解説すると、中島岳志はこう応じた


「ナショナリズムというのは基本的には下からの現象ですね。民衆レベルから起きてくる。たとえばフランス革命はずっと続いてきた絶対王政をやめて、ルイ16世をギロチンにかけて、そして新しい共和制を始めた。しかし日本は江戸時代の封建制を終わらせるために、逆に天皇を持ってくることによって、上のリーダーたちが支配の原理として利用し始めるんですね」


 また、大澤は「万歳」という言葉も、1889年2月11日の明治憲法発布の日に行われた「天皇陛下万歳」が始まりであることを指摘した。その際、VTRで昨年の新天皇即位の儀式における、安倍首相の「天皇陛下万歳」の模様を紹介。新天皇即位で当たり前のように繰り広げられた「万歳」も、明治政府が大日本帝国憲法ともに仕組んだ“つくられた「伝統」”であることを示唆していた。


 本サイトでも何度も指摘しているように、保守派が声高に唱えている「日本の伝統」なるもののほとんどは、明治期に薩長の政治家が、国民統合のためにつくり上げた「架空の伝統」でしかない。しかし、昨年の改元や新天皇即位をめぐる報道でもそうだったように、テレビなど大マスコミではこの「つくられた日本の伝統」に対する批評的視点や議論はほとんど見られない。そんななか、地上波の番組でこのような議論がなされたことは、非常に意義深い。


 さらに、評価したいのは稲垣吾郎の役割だ。ジャニーズ時代はこうした政治的な話題に絶対にコミットすることのなかった稲垣だが、この番組では積極的に議論に関わり、自らの実感を交えて率直にナショナリズムについて話した。


 たとえば、上述の「つくられた伝統」が生み出す「ナショナリズム」について、稲垣は「遡りたくなっちゃうんですね。安心できるし。しかもヨーロッパの人が喜んでくれてるとか、そういうの大好きですもんね、日本人は」と、「日本スゴイ」の心理を分析していたし、ナショナリズムが欧州列強から植民地支配されていた被植民地で、独立をのぞむ機運から生まれたという議論に関連して、稲垣はこんなコメントもした。


 稲垣「勉強になりますね。自分とも照らし合わせて考えられるようなことがあったりとか。ぼくなんかも個人的に言うと、大きな会社にいて、ちょっと独立して。でもそうなることによって、仲間意識がいつも以上に強くなってきたりとか、そういうのも通じてるのかなと思ったりとか」
 安部アナ「心の動きが重なりますね」
 ヤマザキ「植民地の話とも重なった気がする」
 稲垣「独立戦争をしたわけではないんですけど(笑)」


 そう、自身のジャニーズ事務所からの独立を、植民地からの独立になぞらえたのだ。この比喩が正しいかとどうかはともかく、こうした稲垣自身の実感や体験をまじえた言葉は、ナショナリズムへの欲望を身近な問題、自分ごととして考えさせる、大きな効果があった。


 戦前の超国家主義に関するくだりでも、稲垣は「“世界に一つだけの花”じゃダメだったんですね?」と発言、愛国ナショナリズムが、SMAPの代表曲「世界に一つだけの花」が歌う個や多様性の尊重と対局にある価値観であることを端的に示してみせた。


 さらに、稲垣は自ら「ネット右翼」という言葉を持ち出し、歪なナショナリズムの肥大化に対する批判にも積極に参加していた。


●稲垣吾郎が「ネット右翼」「ヘイトスピーチ」「日本スゴイ」について…


 番組では、NHK放送文化研究所が5年ごとに行なっている「日本人の意識」調査で、「日本は一流国だ」「日本人は、他の国民に比べて、きわめてすぐれた素質をもっている」という意識がバブル前夜の1983年調査をピークに下落し、1998年と2003年を底として上昇傾向になっていることを指摘。大澤、島田、中島の3人がこんな分析を語っていた。


 大澤「ボトムになるのが世紀の転換期で、またリバウンドしてるんですよ。これね、また自信を取り戻してきてよかったですね、とか言いたくなるんですけどね、あまりにも根拠がないじゃないですか。はっきり言うとね、自信が無い人って、かえって自信があるように振る舞うんですよ。自信たっぷりないような顔して虚勢を張る。2000年くらいから、日本人はついに自信がないということを言う余裕すら失ってしまった」
 島田「中国の台頭が確かに著しいことがあり、アジアの盟主を気取っていたけれど、もう抜かれたという怨嗟もあるし、バブルの夢をもう一度といっても、奇跡は2度は起きないので、同じ場所で。その怨嗟を手っ取り早く解消するには、近場の国を貶めるとかね。コンプレックスを隠すための見栄を張る」


 すると、稲垣吾朗がこう口を開いたのだ


「自信がないとなると、大きなものがあるとなんか頼りたくなるというか。ネット右翼の人たちもそうかもしれませんし」


 稲垣吾郎の口から「ネット右翼」という言葉が出てきたのは驚きだが、番組はこの後「ナショナリズム」とヘイトスピーチなどの排外主義が表裏一体の関係にあることにまで踏み込んでいく。


「気がつけば、目にする機会が増えてきたナショナリズム。『日本人すごい』『韓国が嫌い』『メディアは反日だ』『霊性に回帰せよ』」


 こんなナレーションが挿入され、VTRには嫌韓を煽る本や雑誌、そして道徳の教科書。クローズアップされたネトウヨ雑誌「ジャパニズム」の表紙には、「森友問題は安倍総理夫妻と無関係」の文字も並んでいた。


 このあと、ヤマザキマリが「自分を守るための誇張した甲冑みたいにナショナリズムを使っているというのが、すごく痛々しかったりとか、そうじゃないんじゃないかと思うときがある」と感想を語り、島田雅彦は「国内で現在ナショナリズムを鼓舞しているようなグループがいるけれども、ちょっと戦前回帰的な主張が多いなかで戦前と違うのは、アメリカにかなり従属しているということ」としたうえで、こんな総括をした。


「ナショナリズムには諸相があると思うんです。憲法改正というのがナショナリズムというような短絡はいけない。むしろ私たちは日本人であることを、どの点において具体的に誇りと思っているのか。かつては他者に優しいとか親切とか、そういうものがいまも維持されているのだとすれば、大いに誇っていいわけです。血統的に日本人じゃない人の数も増えていますけれども、そういう隣人に対して平等に接するというようなこと。ひとりでも多くの人間が日本を好きになる。日本人を友とみなすような状況をつくっていくということ。それは国家の今後のもっとも具体的な安全保障の方法にもなっていくし、共生共存のためのあらゆる努力をするという点において、私たちはナショナリストになることもできると思います」


 そして、番組の最後、稲垣吾郎がこれまでの議論をまとめたのだが、何か芸能人らしく「ナショナリズムは一概に悪いことではない」といった発言でバランスをとるのかと思いきや、稲垣が口にしたのはこんなセリフだった。


「すぐ近くにいる人のことを違うなって思っても、それを受け入れられる。そういう許容、寛容みたいなものって絶対に(必要)。それが広がっていくのかな、なんて、ちょっと夢みたいなことを言ちゃいますけれども」


 ここからも、稲垣とこの番組の姿勢がいまの日本に横行する歪んだナショナリズムとは真逆の姿勢をもっていることがよくわかるだろう。


 繰り返しになるが、日本のテレビは日本で起きている民族差別や排外主義についてはまったく触れないし、むしろ、オリンピックやスポーツで日本を応援することや日本を褒めることは「危険なナショナリズムはまったくの別物」「そういう気持ちを持つのは日本人として当たり前」と強制する空気すら漂わせている。そんななかで、この『100分deナショナリズム』というNHKの番組と稲垣吾朗という国民的なスターが、日本の現在進行形のナショナリズムに向き合い、「日本スゴイ」など一見ライトなナショナリズムが、ヘイトスピーチや排外主義と地続きであると指摘した意義は大きい。


“嫌韓キャンペーン”を牽引してきた安倍首相は、元旦の年頭所感を「いよいよ、東京オリンピック・パラリンピックの年が幕を開けました」と始めた。“五輪ナショナリズム”が吹き荒れるだろう2020年。「上からのナショナリズム」を無自覚に受け入れていていいのか、あらためて考える必要があるだろう。
(編集部)


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