大河『真田丸』スタート 真田幸村の魅力を松平定知氏が紹介

1月9日(土)7時0分 NEWSポストセブン

真田幸村ゆかりの上田城跡に立つ松平定知氏

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 NHK大河ドラマ『真田丸』が10日にスタートする。主人公の真田幸村は、小勢力ながら大坂の陣で三英傑のひとり徳川家康を追いつめ、後に「日本一の兵」と評された。彼の原点を求め、信州・上田の地を元NHKアナウンサーの松平定知氏が訪ねた。以下、松平氏が語った。


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 江戸時代の軍記物や明治から大正にかけての講談本、そして現代の小説やゲームで伝説的な戦国武将として描かれ、いつの時代でも高い人気を誇るのが真田幸村(信繁)です。大阪城の売店で聞いた話ですが、秀吉よりも幸村の関連グッズは売れているそうです。


 彼は天下をとったわけでも、天下人の名参謀だったわけでもなく、常に存亡の危機に晒された小大名の息子にすぎません。それなのにこれほどの人気を誇る理由は、判官贔屓という日本人特有の心情を刺激するからでしょう。


 幸村は徳川が豊臣を滅ぼした慶長19〜20(1614〜15)年の大坂の陣に豊臣方の中心的な武将として馳せ参じ、圧倒的な兵力の徳川方を相手に互角以上に戦い、首をとるあと一歩のところまで家康を追い詰めました。


 その幸村の原点が故郷・信州です。真田家発祥の地である真田郷(上田市真田町)は信州の東端に位置し、峠を越えると上州(群馬県)です。周囲を有力大名の武田家、上杉家に囲まれ、後に北条家や徳川家も領地に食指を伸ばしてきます。幸村は真田家2代目・昌幸の息子で、信之(信幸)という兄弟がいます。


 狭隘な山間部にある真田郷は、近くに白山信仰(山岳信仰の一種)の修験者の聖地があります。もともと呪術に長けた家の血を継ぐ真田家は彼らとよしみを通じ、天下や周辺の情報を入手することができました。


 幸村に仕えたという「真田十勇士」の猿飛佐助が修行したとされる角間渓谷は、今でも人里離れた秘境で、狭い渓流の両側に荒々しい岩壁が切り立ちます。少年時代の私に血湧き肉躍る興奮を味わわせてくれた「真田十勇士」は、実は講談本の創作であることを後に知ってずいぶん落胆しましたが、角間渓谷の静寂の中に立つと、「真田十勇士」は架空だとしても、十勇士的な人物はいたに違いないと確信します。


 真田家は家康と因縁の関係があります。まず、天正13(1585)年に真田家の領地を巡って相まみえ、兵力に勝る家康軍を引きつけるだけ引きつけてから急襲する作戦で見事に勝利します。その第1次上田合戦を迎えるにあたり、上杉景勝の支援を得るため、幸村は父・昌幸によって上杉家に人質に出されます。期間はわずか1年間で、続いて秀吉のもとに送られましたが、その時に「忠義の人」として知られた直江兼続の知遇を得たことは彼の大きな財産になりました。


 慶長5(1600)年、真田家は大きな岐路に立たされます。石田三成が、秀吉亡き後、次の政権を虎視眈々と狙う家康ら東軍と戦うことになったのです。さあ、どちらにつくべきか?


 実は昌幸の2人の息子のうち、信之は徳川四天王の一人・本多忠勝の娘を妻に迎えていました。一方、幸村は秀吉の側近の一人・大谷吉継の娘を娶っています。つまり、2人の嫁は敵対する双方の大幹部の娘でした。


 そのため父と2人の息子が話し合い、父・昌幸と幸村は三成方に、信之は徳川方について戦うことを決めました。話し合いが下野国(栃木県)犬伏で行なわれたため、その決断は「犬伏の別れ」と呼ばれます。


 これは真田家が存続するための苦渋の策といわれますが、その決断は、実は、息子たちが妻をもらうときすでになされていたのではないかと私は思います。そこに戦国の世の、小大名のしたたかさ、厳しさ、そして哀しさを感じるのです。


「犬伏の別れ」の後、昌幸と幸村は関ヶ原の戦いに向かう途中の徳川秀忠の軍から攻められました。兵力は相手が15倍でしたが、やはり撃退します。しかし、この第2次上田合戦後の関ヶ原では家康率いる東軍が勝利。しかし、昌幸と幸村は(徳川方の)信之の尽力もあって命はとられませんでした。代わりに高野山の麓の九度山に無期限の蟄居を命じられます。


 その幸村が再び表舞台に立ったのはなんと14年後、大坂冬の陣でした。幸村は大坂城の南側に出城「真田丸」を築き、そこに徳川方を引きつけるだけ引きつけてから一斉射撃で撃退しました。上田時代からお手のものとしてきた「真田戦法」がここでも奏功したのです。苦杯を喫した家康は「信濃一国を与えよう」と提案し懐柔しようとしますが、幸村は拒否します。若き日に直江兼続によって「利よりも義」を教えられていたため、豊臣への忠誠を貫いたのです。


 続く夏の陣でも、幸村は「真田戦法」によって徳川方を跳ね返します。そして、決戦の日、陣形が手薄だった家康の本陣を急襲し、家康が一時は首をとられる覚悟をするほど追いつめます。しかし、ぎりぎりのところで逃げられ、逆に自らが討ちとられてしまいます。


 こうして幸村はドラマチックな人生の幕を閉じましたが、あの大徳川に何度も苦汁を舐めさせ、家康に肝を冷やさせたのが、険しい山間にルーツを持つ小さな一族の武将だということは、なんとも痛快ではありませんか。


◆松平定知(まつだいら・さだとも):1944年生まれ。早稲田大学卒業後、NHK入局。『19時ニュース』『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。2007年にNHKを退局し、現在は京都造形芸術大学教授を務める。武将の智略について考察した『謀る力』(小学館新書)など歴史についての著書多数。


撮影■太田真三


※週刊ポスト2016年1月15・22日号

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