綾瀬はるか 原爆で亡くなった大伯母の言葉を胸に大河演じる

1月13日(日)16時0分 NEWSポストセブン

 NHKの新大河ドラマ『八重の桜』の舞台となるのは福島県の会津地方。会津地方は、福島第一原発事故での放射能による直接的な被害こそなかったものの、風評被害のダメージは大きく、観光客が4割近く減り、一部の農作物の出荷も例年より約3割減少した。このドラマの会見で、綾瀬は、福島への思いをこう語っている。


「苦しみを乗り越え、前を見て歩こうとした八重の生きざまを見てもらうことで、被災地の力になれたら」


 福島の原発事故やその風評被害も含め、「放射能に苦しむ人たちの力になりたい」という思いを綾瀬が人一倍強く持つのは、彼女が広島生まれであることに関係している。


 綾瀬の大伯母(祖母の姉)は、1945年8月6日に広島に投下された原爆で亡くなっているのだ。


 2005年、綾瀬は戦後60周年特別企画のドキュメンタリー番組で、広島の実家を訪れ、祖母の話に耳を傾けた。番組では、こんなエピソードが明かされる──ある日、綾瀬の祖母は、大伯母から頼まれごとをされた。


「お姉さんが広島に行くのにね、“洋服がいるんよ、縫ってくれ”と私に言ってね。それで縫ってあげたのよ、ブラウスをね。そしたら、それを喜んで着て行ったんよ。それが最後じゃった。お姉さんと一緒におったのは」


 その数日後──8月6日朝、大伯母は祖母が縫ったブラウスを着て、空襲を受けた街を整備する作業のために市の中心部を訪れていた。そして作業を始めようとした矢先の8時15分、原爆が投下された。祖母は、大伯母の写真を見ながら、こう続けた。


「ちょうど私はね、家で休んどったのよね、朝ね。そしたらドーンいうてね。重量感のある鈍い音でね、天井が落ちたのかしらと思うたね」


 街は辺り一面、焼け野原と化していた。結局、大伯母の遺体を見つけることはできなかったという。祖母から初めてその話を聞いた綾瀬は、溢れる涙を止められなかった。祖母は、「私も長く生きておらんから。あんた、忘れんようにね」と言うと、こんな言葉を綾瀬に託した。


「戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなダメなんよ。女性の力で戦争を起こさんいうことをせなダメよ」


 一瞬にして多くの命を奪った原爆の恐怖、さらには命はとりとめても放射能で体をむしばまれ苦しむ人たちの姿を、綾瀬の祖母は亡き“お姉さん”の無念さとともに綾瀬に伝えたのだ。


※女性セブン2013年1月24日号

NEWSポストセブン

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