淡路恵子 相次いで亡くなった2人の息子への辛い思いを告白

1月15日(火)7時1分 NEWSポストセブン

 バラエティー番組の“熟女枠”で再ブレイク中の女優・淡路恵子(79才)。20才のときにフィリピン人歌手のビンボー・ダナオさんと最初の結婚をし、2人の子供をもうけるも、離婚。その後、1966年に萬屋錦之介(享年64)と再婚し、さらに2人の子供をもうけた。


 しかし、1987年1月、錦之助さんとも離婚。4人の子供は淡路が引き取った。1990年には、映画『男はつらいよ 知床慕情』で21年ぶりに女優に復帰し、再スタートを切った。が、待ち受けていたのはさらに非情な現実だった。それは相次ぐ息子の死──。


 錦之助さんとの間に生まれた三男の晃廣さんは1990年7月、バイクで帰宅する途中、晃廣さんはタクシーと正面衝突。あっけなくこの世を去ってしまう。享年22、娘は2才になったばかりだった。淡路は晃廣さんの遺体の前で、離婚以来、3年半ぶりに錦之助さんと対面した。


「錦ちゃんは、言ったわ。“ぼくが死にたい…”って。錦ちゃんがかわいがってかわいがった子だから、そう言うのもわかるの。でもね、私は許せなかった。だから、言ってやった。“上等なこと言うんじゃないわよ。死んでいられるの? 3人の子がいて、嫁がいて、孫がいて、その子たちのために頑張らなくてどうするの!”って。…それが錦ちゃんに会った最後でした」


 それは錦之助さんと離婚して以降、ひたすら子供たちのために働いてきた自分自身への叱咤でもあったはずだ。実際、淡路には絶望に暮れている暇はなかった。


 当時まだ10代だった錦之助さんとの間の四男・哲史さんがこの頃から、アルコールに溺れ始めていた。6才のときに萬屋希之照の芸名で歌舞伎デビューした哲史さん。両親が離婚した頃から精神的に不安定になり、いじめを受けていたという。高校を中退し、フリーターのような生活を続け、酒を飲んでは暴れ、母・淡路に手を上げることもあった。


 2004年1月には、更生のために住み込みで働いていた京都の寺から、酒代ほしさに仏具を盗み逮捕された。懲役1年6月、執行猶予3年。しかし、それでは終わらなかった。同年5月、かつて一緒に住んでいた淡路の留守宅で金品を物色したところを逮捕されたのだ。


 これは淡路が、「親子だからと簡単に済むと思われては本人のためにならない。私が警察に何としても逮捕してくださいとお願いした」ことによるものだった。子供を警察に突き出す親のつらさはいかばかりだろうか。先の執行猶予が取り消され、1年半の刑に服した哲史さん。それでも出所後は、母の思いに応えるように、アルバイトを決め、自活の道を歩み始めていたという。この間、淡路は哲史さんとほとんど連絡をとらなかったといわれる。それもまた、息子の自立を願う母ならではの考えだったろう。


 ところが──。2010年6月、哲史さんが自宅アパートで首をつって死んでいるのが発見されてしまうのだ。享年37。彼がなぜ死を選んだかの詳細は、今もってわかっていない。当時の心境を淡路に改めて聞くと、


「こればかりは、そういう目に遭った人にしかわからない。他人にとやかく言うことじゃないわ。だから、言わないの。そのつらさというのは、体を粉砕するぐらいのストレスよ。戦争中でもないのに、男の子に次々と死なれるなんて」


 言葉少なにそれだけ言うと、「おしゃべりの私だけど、そのことに関しては、もう、しゃべらない」と、口を固くつぐんだ。


※女性セブン2013年1月24日号

NEWSポストセブン

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