ミャンマーの究極ゲリラ飯——高野秀行のヘンな食べもの

1月16日(火)17時0分 文春オンライン


イラスト 小幡彩貴


 アマゾンの村で現地の名物とされる「竹筒魚蒸し料理」を食べに行ったら、やたら手がかかるわりに味があまりに普通で驚いたという話を前回書いた。


 たぶん、その村では二十年か三十年前は鍋も十分になかったのだろう。そして、魚を食べるのは大勢の人が集まって漁を行うときと相場が決まっていたらしい。つまり、竹筒は容器として必須だった。だからこその竹筒蒸しなのだろう。


 それは理解できる。にしても、魚の頭を使わないとか味つけが塩だけというのは残念すぎる。なぜなら私は以前、同じような環境で、これとそっくりな、でも桁違いに美味しい料理を食べたことがあるからだ。



ダイナマイト漁で捕れた魚


 場所はミャンマー北部カチン州。私は現地の反政府ゲリラであるカチン独立軍の兵士や近隣の村人と一緒に、政府軍の目の届かない山岳地帯のジャングルを歩いていた。途中から兵士も村人も道を見失い、いつの間にか密林の奥深くをさまよっていた。私も疲労の極みにあった。


 ある日、川に出たのでその川原に野営した。兵士たちは所持していたダイナマイトを水中で爆発させた。すると幅五メートル足らずの小さな川にもかかわらず、びっくりするほどの魚が浮いてきた。体長二十〜四十センチほどのフナ科の魚だ。その数、五十匹は下らなかったろう。



捕れた魚を持つ高野


 兵士と村人は大きなバナナの葉を川原に敷くと、その上で調理を始めた。


 まず、半分に割った竹筒を俎板(まないた)にして、魚をぶつ切りにする。切り身にさらに細かく切れ目を入れ、火や味が通りやすくする工夫も忘れない。内臓以外は頭も尻尾も当然使う。



ぶつ切りの魚に香辛料やハーブをまぶしつける。ミシュランも驚くはずの複雑玄妙な旨さ


 味つけも凝っている。塩と唐辛子、それに森の中から摘んできたニラのようなハーブ、柑橘系みたいな爽やかな匂いのする黄色い小さな花を上からまぶし、手でぐちゃぐちゃにかきまぜる。そして、最後に敷いたバナナの葉っぱごと包んで、太い竹筒の中に入れる。



葉っぱごと味つけした魚を包む


 あとはアマゾンのやり方と大差ない。というか、もっと簡単。火を熾して、竹筒を立てかけ、炙る。ほとんどほったらかし、一度か二度、竹の向きを変えたくらいか。同時に飯盒で米も炊く。三十分ほどしたら完成だ。



竹筒を炙る



 新しいバナナの葉の上に炊きたてのご飯をあける。そして、竹筒を火から外して、中から葉の包みを取り出す。開くと香ばしい湯気とともにじっくり蒸された魚が姿を現す。この魚をご飯の上に載せた。この頃には日はすっかり沈み、辺りは暗闇。懐中電灯の灯りが頼りだ。



蒸し終わった魚


 みんなで葉っぱを囲んで腰を下ろし、手づかみで食べた。このときの魚ほど美味い魚を食べたことがない気がする。一つにはその究極的な状況がそう感じさせたのだが、それだけでは決してない。人里離れた場所であるから魚は天然にして新鮮。調理も丁寧。なによりも決め手は味つけだろう。


 塩、唐辛子、二種類の森のハーブが混じった香りと味はどんな三つ星レストランでも決して作れない味だったはずだ。


 カチン州の米はパラパラしたインディカではなく、ジャポニカに近い。魚と一緒に混ぜて、ギュッと握ると寿司やおにぎりのように固まる。それを次から次に口に放り込む。米と魚の「握り」は日本人の琴線にも触れる。小さな花はほんのり酸味がし、唐辛子の辛さと混じって、心身をほどよく刺激し、強ばった筋肉と神経を優しくときほぐしてくれる。見上げれば、星が瞬いていた。


 先日のアマゾンではまさにカチン州での再現を期待してしまった。それはアマゾンの人たちに申し訳なかった。カチンの竹筒料理が特別すぎたのである。



みんなで食べる



(高野 秀行)

文春オンライン

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