花の82年組アイドル 芸能界で生き残っている人が多い理由

1月17日(水)7時0分 NEWSポストセブン

北原佐和子も82年組

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 中森明菜早見優小泉今日子堀ちえみなど1982年デビュー組のアイドルはなぜ“花の82年組”と冠が付くほど隆盛を極めたのか──。1980年代に脚光を浴びたミニコミ誌『よい子の歌謡曲』の編集者として、当時のアイドル界を体感した宝泉薫氏が語る。


「1980年の後半に松田聖子を中心としたアイドルブームが起こりました。その波に乗ろうと事務所やレコード会社が準備を始め、1981年には間に合わなかったけれど、1982年に大量のアイドルがデビューした。同年の『赤いスイートピー』から聖子は同性にも受けるようになり、アーティスト化します。そこで、大きなアイドル枠が空き、ぶりっ子として振る舞う『聖子チルドレン』がたくさん生まれました」(以下、「」内は宝泉氏)


 その隙間をかいくぐり、トップに躍り出たのが中森明菜だった。


「1980年デビュー組には三原順子のように、同年に引退した山口百恵の路線を狙うアイドルもいましたが、結果的に全く違うタイプの聖子が大ブレイクした。そのため、82年に百恵の系譜を受け継ごうとするアイドルはほとんどいなかった。


 そうした中で、明菜が『スローモーション』のような“しっとり系”と『少女A』のような“ツッパリ系”のシングルを交互に繰り返して出し、ポスト百恵としての地位を獲得しました」


 82年組からは革命児も生まれた。


「1983年、小泉今日子が『聖子ちゃんカット』だった髪をバッサリ切り、聖子のエピゴーネン(模倣者)から抜け出しました。その後『活人』という雑誌の表紙で、全身を黒塗りするなどサブカル的な展開もし、独自のポジションを築いた。


 1970年代にはアイドルは歌手へのステップでしたが、聖子がアイドル=職業にし、小泉が『なんてったってアイドル』と歌って、アイドル宣言をした」


 やがて他の82年組も、もがいて活路を見出していく。


「ブームだからこそ、持ち味を出していかないと生き残れない。石川秀美は足の美しさと速さを生かして芸能人運動会で活躍。堀ちえみはドラマ『スチュワーデス物語』のヒットもあり、親しみあるキャラクターに。


 1970年代にアグネス・チャンが君臨した『輸入系アイドル』には、帰国子女の早見優が座りました。三田寛子は天然ボケという新たな分野を開拓した。熾烈な競争を戦い、テレビ全盛時代に毎日のように露出したことで、現在でも82年組には芸能界で生き残っている人が多いのでしょう」


 現在のアイドルの原型を知るうえで、82年組の歴史は欠かせないのだ。


※週刊ポスト2018年1月26日号

NEWSポストセブン

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