勝谷誠彦さんの盟友が語る、壮絶なアルコール依存との闘い

1月17日(木)11時0分 NEWSポストセブン

元気だったころの勝谷さん

写真を拡大

 情報番組の辛口コメンテーターとして活躍していたコラムニストの勝谷誠彦さん(享年57)の訃報が報じられたのは昨年11月28日。死因は、急性肝不全だった。


 しかし、「死の魔の手は3年以上前から忍び寄っていた」と言うのは、勝谷さんの20年来の盟友で出版社『世論社』の代表・高橋茂さん。高橋さんは、勝谷さんの死後、彼がアルコール依存症に陥っていたことをウェブメディア『JBpress』に寄稿している。


「勝谷が命を絶たれた原因は、長年の飲酒によるものです。2015年3月に情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)を降板。編成の切り替え時期でもあり、1か月ほど仕事がまったくない状態になりました。その頃うつを発症。次第に酒量が増え始め、昼間から飲むようになりました」(高橋さん・以下同)


 勝谷さんは真面目でストイックな人だった。文筆業で締め切りを一度も破ったこともなければ、取材やテレビ出演で約束の時間に遅れたことなどもない。


 しかし、心のどこかで孤独を抱えていたようで、電話で高橋さんを呼び出し、不安を訴えることも多かったという。


「彼は離婚をしているのですが、その時、『おれさぁ、離婚した時も多分、うつだったと思う。なんだか全部、嫌になっちゃって』と話していました。そのうえ、ぼくが知り合う前にアルコール依存症が原因で母親を亡くしている。彼は母親が大好きだったので、その時も相当なショックを受けたのでしょう。さらに、心の拠り所だった父親も2015年2月に病気で倒れ、1年ほど意識が戻らないまま帰らぬ人に。そのあたりから余計に酒に走るようになったのです」


 冗談か本当かは不明だが、勝谷さんはよく、周囲に『おれは中学生の頃から飲んでいたよ』と話していたという。


「40年以上、まったく休肝日なしで飲んでいたのも、彼にとっては自慢でした。でも、仕事がある時は、『この後、原稿書かなきゃいけないから、酒飲むのやめとく』と言って、プロだなあと感心していたのですが…」


◆肝臓は5倍以上に膨れ上がり、腎臓が機能しない状態に


 仕事の変化、親の病気、自身のうつも重なり、勝谷さんは昼間から酒を飲むようになっていく。



「2015年にうつを発症した時には、抗うつ剤を酒で流し込み、2017年の兵庫県知事選挙落選後は、仕事のない日は昼から飲むようになりました」


 そして、異変が訪れた。


「この頃から認知症のような症状が表れ始め、特に酒が入ると自分がいる場所や状況がわからなくなる。昔のことはよく覚えているのに、さっきあったことが思い出せない。地方の講演に行く時も、マネジャーが飛行機のチケットを渡して、待ち合わせの時間を告げてもすぐに忘れて、『おれはどうしたらいいんだ?』と電話やメールがくる。10回くらい同じことを言わないと飛行機にも乗れない状況だったそうです」


 もともとスリムな体形ではあったが、2018年に入ると、さらにやせ細っていった。食事はほとんどとらず酒ばかりをあおる日々。口にするのは居酒屋でひじきかれんこんのきんぴら、少量のご飯のみだった。


 深刻な状態であると、周りが判断したのはその年の8月10日。軽井沢(長野県)にある勝谷さんの自宅で配信されたネット番組『血気酒会』。異常なほどの顔色の悪さが話題となったのだ。


「黄疸がひどく、やせているのに腹だけ出ている。周囲は『栄養失調じゃないか』とはじめは笑っていましたが、尋常ではないと思い直し、病院に行くことを勧めました」


 勝谷さんの出身地・兵庫県尼崎市にある実家は病院で、弟が医師として勤めている。大阪での用事を済ませた勝谷さんを弟が診断した。その結果、同月21日に都内の大きな病院を訪れることになった。


「病院では『重症アルコール性肝炎』で、『劇症肝炎』と診断され、そのままICUに入って緊急入院。検査をするのが1日でも遅れていたら、救急車で搬送され、最悪、そこで絶命していたかもしれません」


 手が施せるような状態ではなく、肝臓医療の国内最高峰、慶應病院に転院。膨れた腹は肝臓の腫れによるもので、通常の5倍以上になり、他の臓器を圧迫。腎臓も半分以上、機能していなかった。


「がんやそのほかの合併症は見つからず、アルコールを断ち、肝臓の機能が元に戻れば退院もできる。最初は意識ももうろうとしていましたが、酒を断ち、次第に意識が戻ってきた9月5日からは、毎朝病室からメールで日記を配信するようになりました」


 多少、認知症のような症状はあったものの、次第に自力で歩けるまでに回復し、10月9日には晴れて退院した。が、すぐに飲酒を始めてしまった。



「10月16日の復帰記念のライブ配信では、話ができたものの、配信が終わるとフラフラ。それなのに、『行きつけの飲み屋でいっぱいやろう』と言う始末。『酒はダメだろう』と注意をすると『じゃあ、いい』とマンションにしぶしぶひとりで帰って行きました」


 その後、ネットで毎日配信されていた日記も判読不明になり、休載を余儀なくされてしまった。


◆再び入院。病室で隠れて酒を飲んでいた


 10月20日に尼崎で講演があり、そのまま弟家族のもとへ。禁酒生活に入ったものの、腹水はたまる一方だった。尼崎中央病院で腹水を抜き、再び慶應病院に入院した。


「この時、家族やぼくたち友人は、肝臓の状態がよくなったら、依存症治療の施設に入所させようと話し合っていました。しかし、本人はまだ自分を依存症とは認めていなくて…」


 肝臓の数値がよくなり、退院の兆しが見えてからしばらくして、病院での飲酒が発覚した。隠れて外のコンビニに行き、ウイスキーなどを買い込み、病室で飲んでいたところを看護師に見つかったのだ。


「これには私たちも大きなショックを受けました。病院でもさじを投げられるような状態で、実家の病院へ。依存症治療施設への入所を検討していましたが、その矢先、状態は急変。28日午後1時48分に息を引き取りました」


 生死をさまようになっても酒をやめることができなかった勝谷さん。高橋さんをはじめ、周囲は今もなお「なんとかできなかったか」と、悔やむ日々を送っている。


※女性セブン2019年1月31日号

NEWSポストセブン

「勝谷誠彦」をもっと詳しく

「勝谷誠彦」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ