「角田美代子に物言えたのは息子だけ。あとは奴隷」と関係者

1月18日(金)7時0分 NEWSポストセブン

 主犯格の獄中死という最悪の結末を迎えた尼崎連続変死事件。今となっては事件の動機すらはっきりしない。事件発覚から3か月——。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏が舞台となった尼崎を隈なく歩き、角田美代子の修羅がいかに育まれたかを炙りだす。(文中敬称略)


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 高級マンションにほど近い杭瀬駅のアーケード街の奥は空いたテナントが目立ち、タコ焼き屋や接骨院やスナックがポツポツと並んでいた。二〇〇〇年代の半ば以降、美代子はこの道を通る時、かならず十名近い「角田家」の人々を引き連れていた。

 

 商店街の人々の目には、彼らの風体は異様に映った。美代子はボサボサの髪で顔が半分隠れており、角田瑠衣と恋人のように手を握り合っていた。李正則は刺青の入った巨漢、角田健太郎は長髪のジーンズ姿、東頼太郎は常に美代子の顔色をうかがっていた。

 

 美代子は普段ほとんど口をきかなかったが、一言いえば全員が慌てて従った。パチンコ友達として三年ほど付き合いのあった人物は語る。

 

「おばはんが独裁者。その下にいるのが息子の優太郎と健太郎だ。おばはんに物を言えるのはそのうち優太郎だけ。健太郎も含めて、あとは全員奴隷や。ハナちゃん(瑠衣のあだ名)はいつもおばはんにべったりで、まるでレズの恋人みたいに腕にしがみついて、『おかあちゃん、おかあちゃん』と愛嬌を振りまいていた。

 

 命令は絶対で、マンションでの食事の時におばはんが『食え』言うたら、マサ(李正則)は怯えたように糖尿病のインシュリン注射を打ちながらバクバクひたすら肉を食いつづけとった。このままじゃ死ぬぞ、と思ったけど、絶対に口答えは許されん感じやった」

 

「角田家」の中で美代子が独裁者ほどの権力を握るようになったのには理由がある。彼女は方々から人を集めて一族を作ったが、社会的な落伍者が含まれていた。

 

 たとえば正則はヤクザの父と薬物で逮捕歴がある母の間で生まれ、二十歳そこそこで暴力団からさえも追い出されて、薬物で逮捕されてからは行き場を失っていた。他にも放っておけばギャンブルや酒におぼれて借金まみれになったり、社会で生きることを途中で捨てたりした人間がいた。そんな者たちを一家としてまとめるには、強大な力で抑え込む必要があった。

 

「おばはん、女だから腕力で人を従えさせることはでけへんから、言葉でそれをしとった。よく『いつでも組のもんを呼べる』と吹いとったようです。マサたちは何度もそう言われているうちに疑う気持ちがなくなり本気でビビッとったようです」

 

 これを単なる「洗脳」という言葉で片付けてはいけない。重要なのは、「角田家」の秩序は良い意味でも悪い意味でも美代子の力によって保たれていたことだ。これを如実に示す暴行事件がある。犠牲者の顔に泥を塗る危険を孕むが、家族における美代子のありかたを考えるのに必要な逸話なのであえて記したい。

 

 この事件は二〇一〇年七月に起こった。当時、美代子は川村博之の娘Bをマンションに住まわせ、全員でかわいがっていた。ゆくゆくは瑠衣のように「角田家」の娘にするつもりだったのだろう。そんな中に角田家で共同生活を営んで30年以上経つ男がいた。捜査関係者は語る。

 

「マンションで美代子たちはBを相当かわいがっておったようです。まだ若い女の子だったので娘のように面倒を見ていたのでしょう。でも、この男がこともあろうことか、Bに性的ないたずらをしたんです。美代子は家族の絆を壊すつもりかと激怒し、男をバルコニーにあった監禁小屋に閉じ込めたんです」

 

 美代子は激高すると誰の手にも負えないほどの狂気に陥る。彼女は男に手錠をはめ、猿ぐつわをさせ、飲食を制限した。仲間もやむを得ないとして協力した。だが、結果として彼は衰弱死し、「埋めるのは大変」という理由からドラム缶にコンクリート詰めにされることになったのだ。


※週刊ポスト2013年1月25日号

NEWSポストセブン

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