「芸人は2度売れないといけない」説 有吉、アンガ田中の例も

1月18日(日)7時0分 NEWSポストセブン

「芸人は2度売れないといけない」——テレビ業界や芸人の間でよくいわれるのはそんな説である。最近、テレビで見かける芸人には、確かにその説があてはまるというのだ。例えばどんなケースがあるのか? 芸人の世界やテレビ業界の裏側を知り尽くすキャリア20年の放送作家A氏が検証した。


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 その昔、ダウンタウンの松本人志が、「大阪の芸人は2度売れないといけない」という主旨の発言をしていた。というのも東京をめざす在阪芸人にとってはまず地元で1度売れ、次は東京進出後、全国区に駆け上がるときにもう1度売れなければならないという宿命を負っているというのだ。


 これは、もはや大阪に限ったことではない。よしもとクリエイティブ・エージェンシーは、今や北海道・札幌や名古屋、広島、福岡、沖縄と全国各地に支社を持っているため、各地で頭角を現した芸人が東京で一旗揚げようと思ったら、やはり東京でもう1度売れなければならないのである。


 だが、この「2度ブレーク」の法則は、上京後でもあてはまりはしないだろうか。その卑近な例として挙げたいのが、有吉弘行である。


 1996年、有吉はお笑いコンビ・猿岩石として、『進め!電波少年』(日本テレビ)内の企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」を香港からスタートさせた。半年間の壮絶なチャレンジの末に最終地点ロンドンに見事ゴール。その模様を見ていた視聴者たちは大熱狂、帰国後、西武球場で開かれた凱旋公演では3万人が押し寄せ、旅の様子を綴った『猿岩石日記』はシリーズ累計で250万部のミリオンセラー、デビューシング『白い雲のように』もミリオンヒットを飛ばした。



 これが、誰もが知る1度目のブレークだ。そのまま「一発屋」と呼ばれる芸人として人生を終えるはずだった彼がもう1度売れたのは、これもあまりにも有名、2007年当時人気絶頂だったお笑いコンビの品川庄司・品川祐に「おしゃべりクソ野郎」という、それ以外考えられないアダ名をつけたことがキッカケだった。


 つまり有吉の売れ方は、「顔が売れる」のと「人気を確立する」というのは別物であり、そういう意味で2度売れないと生き残れないことを証明しているのではないだろうか。


 これは他の芸人でも説明できる。「キモかわいい」で売れたアンガールズ田中卓志は、そのまま消えるかに思われたが、「本当にキモい」で再び売れてからはバラエティー番組には欠かせない存在として定位置をキープしているし、「キモい」つながりで言えば、NONSTYLE井上裕介は、2008年『M-1グランプリ』(テレビ朝日)で最初に世に出たあと、「ナルシストキャラ」「スーパーポジティプシンキング」で2度売れた。


 M-1チャンピオンで言えば、アンタッチャブル山崎弘也も、優勝直後は柴田英嗣同様、キャラに迷走していたフシがあったが、今や師と仰ぐくりぃむしちゅーの有田哲平をも超えるテキトーキャラで地位を確立している。



 オードリーは、NONSTYLEが優勝した『M-1グランブリ』準優勝コンビとして注目されたあと、まず春日俊彰が先行して貧乏ネタで売れた。その後、春日を追いかけるように若林正恭が今度は「人見知りキャラ」で再注目。「貧乏キャラ」が落ち着いた春日は、今度はボディビルダーデビューを果たし、「筋肉芸人」として開眼。異例ともいえる3度目のブレーク期を迎えている。


 一方で、大きな大会で優勝した後も、くすぶり続けている芸人コンビは、やはり「2度目のブレーク」が訪れていないとも言える。2009年の『M-1グランプリ』で優勝、『THE MANZAI2011』でも優勝したのに未だに呼ばれるのは地方営業のみという(営業も立派な仕事だが)バンクブーブーは、チャンピオンという肩書きを越える売りとなる「何か」が見いだせていない。


 こうして、1度世に出ることより、2度目のブレークのほうがよりハードルが高く、そしてより難しい芸人の世界。昨年流行語大賞を獲った日本エレキテル連合にしても、「2度目のブレーク」を果たすための芸や人生の引き出しの解禁が早くも求められている。


 ただ彼女たちの場合ブレークが急すぎて、手持ちのコマがないまま消費されてしまっている可能性も否めない。果たして、エレキテル連合が「またキテル」と言われるのはいつ、どういう形で訪れるのだろうか。

NEWSポストセブン

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