鹿賀丈史 稽古場以上に舞台の上が勉強になった

1月18日(木)16時0分 NEWSポストセブン

鹿賀丈史が若き頃を語る

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 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・鹿賀丈史が、研究生2年目でいきなり主役デビューした当時について話した言葉を紹介する。


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 鹿賀丈史は1972年、劇団四季に入団したことで、役者としての道を歩み始める。


「小学校の時に合唱団に入ったことで音楽との触れ合いが始まりまして、高校でもコーラス部に入り、個人的にも声学の勉強もしていました。歌をずっとやっていたんです。


 東京で音楽大学を目指して浪人していた時、バイト仲間が芝居好きで『今度、劇団四季を受ける。お前も歌が歌えるんだから一緒に受けないか』と言われて、受けたんです。その時の僕は劇団四季の名前も知りませんでした。それでも、僕だけ受かって彼は落ちました。


 当時の四季はスケールが大きくなくて、参宮橋に小さな稽古場がありました。そこで研究生として、朝の掃除から始まって、バレエのレッスン、歌のレッスン──そんな生活でした」


 翌1973年、劇団を主宰する浅利慶太演出の歌劇『ジーザス・クライスト=スーパースター』でいきなり主役の「ジーザス」役に抜擢された。


「オーディションを受けたら、なぜか通りまして。研究生としてまだ二年目なのに主役に抜擢されたんです。その時はまだ舞台のことは何も知らなくて、あれよあれよという感じでした。本当に出会いに恵まれています。


 これはミュージシャンも手こずるような高度な作品でした。でも最初、中野サンプラザで幕が開いた時はお客さんガラガラで。それが千秋楽の頃には立ち見が出るようになっていました。日本のミュージカルにとって、これは大きな出来事だったと今になると思っています。


 浅利さんの演出は、もちろんご自分で演じてみることもありますが、それ以上に役者としての存在のあり方、心構え、生き方、そういったことを厳しく言われましたね」


 その後も、『ウエストサイド物語』『カッコーの巣をこえて』と、四季で主演を重ねていく。


「『ジーザス』は全編が歌だけでしたが、『ウエストサイド』は芝居があって歌があって踊りもある。それを経験して、二十七歳の時に出た『カッコー』が初めての本格的なストレート・プレイになりました。この時に初めて、芝居の面白さに目覚めたんだと思います。『よし、役者としてやっていこう』と。


 もちろん、ミュージカルも楽しかったですし、それまでも一生懸命やっていなかったわけではありません。でも、ミュージカルは歌や踊りで救われるところはありますが、ストレート・プレイにはそれが全くない。だから、人間の心のひだを深めていく芝居のダイナミズムを感じることができたんですよね。それで、歌から芝居へと表現したいことが移っていきました。


 四季で一番大きかったのは、舞台数を物凄く踏めたことです。あの頃は日生劇場で子供向けのミュージカルもやっていましたから。子供は面白くないとすぐに騒ぐ。ですから、どうやって面白くするかをこちらも工夫する。そして、日下武史さんをはじめとする先輩方との共演。その芝居を見ながら表現の仕方を覚えました。稽古場以上に舞台の上が勉強になったんです」


●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。


◆鹿賀丈史×市村正親主演ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』日生劇場(3月9〜31日)などで全国公演


※週刊ポスト2018年1月26日号

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