『世界一受けたい授業』で話題 名医対談、幸せな死に方とは

1月18日(金)16時0分 NEWSポストセブン

「幸せな死に方」について垣添先生と小笠原先生が対談(撮影/黒石あみ)

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「『なんとめでたいご臨終』に学ぶ笑顔で最期を迎える方法」と題し、在宅医療の名医・小笠原文雄先生が人気テレビ番組『世界一受けたい授業』(日本テレビ系)で1月12日に行った授業が大きな反響を呼んでいる。余命宣告を大きく覆して生きる人、大切な家族を笑顔で見送った人…どうして自宅ではそんなことが起きるのか。がんを知り尽くす名医で、がんで妻を亡くし、自身もがんを経験した垣添忠生先生と、いつか必ず訪れる「その時」の迎え方について語り合った。生まれる処は選べないが、死ぬ処は自分で決められます!!


【プロフィール】

写真右:小笠原文雄(おがさわら・ぶんゆう)/1948年生まれ。名古屋大学医学部卒業。名古屋大学第二内科(循環器)を経て、1989年に岐阜市内に開院。現在は、小笠原内科・岐阜在宅ケアクリニック院長。在宅看取りを1000人以上経験。名古屋大学医学部特任准教授。


写真左:垣添忠生(かきぞえ・ただお)/1941年生まれ。東京大学医学部卒業。同大学医学部泌尿器科文部教官助手を務めながら、がんの基礎研究に携わる。1975年より国立がんセンター勤務。2002年、国立がんセンター総長、2007年、同センター名誉総長に。日本対がん協会会長。


◆私たちは人生の最期に何を望むのか?


小笠原:延命治療の是非やどこで最期を迎えたいかなど、医療関係者やケア提供者が患者さんの意思をあらかじめ聴いておくACP(アドバンス・ケア・プランニング)は、昨年11月、「人生会議」という愛称になりました。ここで重要なことは、本人がまだ死ぬとは思ってないときにやったACPは、ぼくの経験ではほとんどひっくり返るということです。


 ACPの聴き取りは何回も、特に病態が変わったときには改めてやらないといけない。そのつど患者さんの意思を確認しておくことがものすごく大事だと考えています。


垣添:それは私もそう思います。がんが再再発し、余命3か月の宣告を受けた私の妻も、最期は「家に帰りたい」と強い希望を持つようになりましたから。


小笠原:がんの末期とか心臓病の末期とか、本当の末期になってくると、患者さんの99%は、「もうちょっと家にいたい」というふうになりますね。家にいて「最期は入院したい」と言っていた人でも、死が迫ってくると「最期まで家にいたい」と気持ちがガラッと変わることが多いんです。


垣添:私に関して言えば、私もずっと前から死ぬなら自宅で、と決めてます。そのためにはどんな準備をしておくべきか、ずっと考えているんです。例えば玄関のドアは、寝室から遠隔操作で開けられるドアに取り替えようとか、合い鍵を余分に作ってどこかの医療チームに預けておかなきゃとか…。



小笠原:ああ。ぼくはひとり暮らしのかたを1年に10人くらい看取りますが、全員の鍵を預かってますよ。


垣添:今、病院で約8割のかたが亡くなっています。しかしこれから間違いなく来る多死社会で、それは成り立たない。国は「地域包括ケア」とかいろんなことを言って在宅に誘導していますが、地域によって取り組みに濃淡があるのが現状です。


 誰よりも早く、30年も前から在宅医療に取り組んでこられた小笠原先生の近くの地域に住んでいるかたは幸せですよ。でも先生は今、遠隔医療もやっていらっしゃるんでしたね。


小笠原:つい最近、岐阜から遠く離れた北海道の患者さんを看取りました。北海道のドクターからこんな電話があったんです。「末期のがん患者さんで、黄疸も出てる。苦痛のあまり、入院先の病院で鎮静をかけたら呼吸が止まりそうになり、鎮静は中止した。ご本人は苦しみながらも『家に帰りたい』と訴えています。私は在宅医療でがんの患者さんを診た経験がないんですが、小笠原先生だったらどうされますか」と。


 ぼくは「緊急退院させます」と言いました。「退院すればうまくいくことが多い。薬の使い方は教えるので、苦痛は取れると思うけど、もし取れなくても家に帰りたいという願いが叶うんだから」って。


垣添:そうですよ。


小笠原:退院後、眉間にしわを寄せ、「大丈夫かしら」と不安がっていた娘さん姉妹にぼくがテレビ電話で話していると、患者さんはぼくの声が聞こえているみたいで、目も少しだけは動く。娘さんたちに「もうすぐ亡くなるんだから、お母さんの好きなようにしてあげたら」とか何とか話をしていると、「そうなんですね」と納得されて、その日にお風呂に入れてあげたんです。そうしたら患者さん、笑顔になってね、翌日も生きてる。3日目、初孫ちゃんにランドセルが届き、喜んで背負ってる姿を見ているときにコトッと息絶えられたそうです。自宅で2泊3日して旅立たれました。逆転満塁ホームランですよ。


 あとで娘さんたちが、亡くなった後のお母さんの写真をメールで送ってくれました。「この穏やかな顔を見てください」って。もちろん大切なお母さんが亡くなったのですから、悲しいですよね。でも、最期にお母さんの希望を叶えて笑顔にできて見送ってあげられたから、娘さんたちも、本当に嬉しかったみたいです。


垣添:遠からず亡くなるのは間違いなかったわけで、そういう意味で私も極めて幸せな亡くなり方だったと思います。病院だったら苦しんで、まったく別の亡くなり方になったでしょうから。


小笠原:病院のトップまで務められた垣添先生も、そう思われますか。



垣添:思います。妻は亡くなる前の3か月間、私が勤務する病院に入院して苦しい治療に耐えていました。2種類の抗がん剤治療、後で勉強すると、明らかに多かった点滴医療…最期の方はダブダブの浮腫になり、ベッドに寝たきりでした。本人としては“治療はもう充分”という気持ちだったようですが、“あなたはこの病院の医者だから”という思いもあって、ある諦念のもと、苦しい治療も受け入れていたんですね。


 でも、妻は病態が悪化する中で自分の死期を悟って、「家で死にたい」と希望するようになったんです。2007年12月28日、病院には外泊届を出して、いろんな医療器具を借りて妻を家に連れて帰りました。約1か月半ぶりの帰宅。妻は「家というのはこうでなくっちゃね」と、ニコニコしてましたね。ですが、わずか3泊でした。


 4日目の大晦日は朝から意識がなく、午後から激しい呼吸困難になり、担当医の往診も間に合いませんでした。最期、完全に意識がなく、胸郭が激しく上下するような呼吸困難を示していた彼女が突然半身をぐっと起こし、ぱっと私の方を見ました。両目をぱちっと開けて、完全に目で私を確認したんです。


小笠原:わかります。燃え尽きる寸前のロウソクが最期の炎を赤々と燃やすように、患者さんも不思議な力で最期の生命力を燃やすんです。ぼくは在宅医療の現場でそういう場面を何度も目撃してきました。


垣添:自分の右手で私の左手を力強くぎゅっと握り、それでがくっとあごが落ち、心肺停止。言葉にはならなかったけれど、妻が「ありがとう」と言ったように、私には思えました。


小笠原:その瞬間が在宅医療をやっていてよかったと思える最高の瞬間です。どんなご家族もみなさん、感動されますし、大切な人が亡くなったことは悲しいことですが、ご本人の希望が叶ったという意味では本当に幸せな死に方だと思います。


垣添:本当にそうで、意識がないまま亡くなっても全然不思議じゃない病態だったのに、最期にそうやって心が通じ合った。妻亡き後、半身を失ったようなつらい日々を過ごしましたが、自宅での最期の日々、心が通じ合ったあの瞬間があったから、なんとかこっちの世界に戻ってこられたんだと思っていますね。


※女性セブン2019年1月31日号

NEWSポストセブン

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