『べらぼう』「平賀源内の序文」を手に入れた蔦重(横浜流星)に視聴者最注目 第2話画面注視データを分析
2025年1月19日(日)6時0分 マイナビニュース
●花の井の機転と艶やかな容姿に称賛
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、12日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜ほか)の第2話「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」の視聴者分析をまとめた。
○男色で有名な源内に言い寄られたが…
最も注目されたのは20時30〜32分で、注目度74.6%。蔦重(横浜流星)が重要アイテム「平賀源内の序文」を手に入れたシーンだ。
平賀源内(安田顕)を吉原へ案内した翌朝、九郎助稲荷で蔦重は花魁・花の井(小芝風花)から源内が執筆した『吉原細見』の序文を受け取った。亡くなった想い人である二代目・瀬川菊之丞(花柳寿楽)が、舞の稽古をする姿を見ているのが好きだったという源内。花の井は瀬川の面影を自身に写した舞を披露し、源内の心を惹き付けることに成功したと昨夜のてん末を蔦重に語った。花の井は源内が松葉屋で花魁・瀬川を求める姿を見て、源内が心から求めているものを正確に見抜いていたようだ。
「何か、すげえな…すげえわ、花魁って」蔦重は花の井に対してあらためて礼を言うと、花の井は朝顔(愛希れいか)や吉原のことを考えているのは、蔦重だけではない、あんたは一人じゃないと言い残しその場を立ち去った。男色で有名な源内に言い寄られるなど大変な思いをした蔦重だったが、ようやく念願の「平賀源内の序文」を手に入れることができた。
○安田顕の演技にも絶賛の声
注目された理由は、蔦重と花の井がどのようにして序をゲットしたのかに視聴者の関心が集まったと考えられる。また、源内の瀬川への一途な想いに心を打たれた視聴者が画面に注目したのではないか。
蔦重はようやく平賀源内と知己を得られたが、肝心の源内は有名な男色家。女を売り物とする吉原のセールスコピーを任せるには属性が真逆だった。蔦重はそれをも逆手に取り、男色家でも通いたくなるほど良い女がそろっているという触れ込みで源内に執筆を頼むが、当の源内は筆が乗らないと乗り気ではなかった。そこで、諸々の事情を把握していた花の井は、源内の要望を見抜き寄り添うことで、源内は吉原の深い味わいを知り、情緒あふれる序文を書かせることに成功した。
SNSには「蔦重の江戸っ子っぷりと花の井が素晴らしい。ふたりの掛け合いがいい」「吉原の女郎の為に奔走する蔦重と、そんな蔦重のために一肌脱いだ花の井。バディ感がいいね」「籠の中の鳥であることを自覚しながらも、自分にできることを考える花の井姐さんがすてき」と、2人の名コンビぶりや、花の井の機転と艶やかな容姿に称賛が集まっている。
また、「花の井の舞を見て、瀬川との逢瀬を思い出している平賀源内の表情が絶妙でしたね」「安田顕さんの源内がべらぼうによかった」「源内さんがどれだけ菊之丞さんを想っていたかが伝わってきて、エモかった」と、安田顕の演技も絶賛されている。
吉原は非常に厳格な階級社会だった。上から呼出(よびだし)、昼三(ちゅうさん)、附廻(つけまわし)、座敷持(ざしきもち)、部屋持(へやもち)、新造(しんぞう)、禿(かむろ)と呼ばれた。呼出は、客から指名されてから客のもとへ出向くもっとも高い地位の遊女。昼三は昼営業の揚代が三分かかる遊女、附廻は揚代が二分かかる遊女だ。座敷持は自分専用の座敷を持ち、そこで客をもてなすが、部屋持は自分の寝泊まりする部屋で客をもてなす。新造は新人の遊女で、禿は花魁の身の回りの雑用をする10歳前後の見習いの少女だ。呼出・昼三・附廻が花魁と呼ばれた。
今回、序文の受け渡し場所となった九郎助稲荷は吉原遊廓に鎮座していた稲荷社。昔、千葉九郎助という男が、天から降りてきた狐を地中に祀り、「田の畔稲荷」と呼んであがめたのが始まりとされる。吉原という特殊な環境で生活していた遊女たちは、自分たちの願いを託す相手として、九郎助稲荷を深く信仰していた。特に、縁結びの神様として信仰を集め、多くの遊女が良縁を祈願したといわれている。現在は、吉原神社として東京都台東区に祭られており、縁結び・所願成就・五穀豊穣の神様として信仰されている。
●蔦重、「貧家銭内」と夜の吉原へ
2番目に注目されたのは20時18分で、注目度74.2%。蔦重が銭内と吉原へ繰り出すシーンだ。
蔦重は貧家銭内(平賀源内)と名乗る男と、その従者・小田新之助(井之脇海)とともに夜の吉原を歩いている。平賀源内とは近しい仲だという銭内に、源内を紹介することと引き換えに吉原での接待を求められたからだ。
蔦重は源内に『吉原細見』の序文の執筆を依頼するため、源内の居場所を探していた。しかし一向に見つからず、源内が老中・田沼意次(渡辺謙)の屋敷へ出入りしていることを聞きつけ、以前、意次に会うきっかけとなった炭売りの男を探して厠で待ち構えていたところ、首尾よく男との再会がかなった。その男は貧家銭内といい源内とは親しくしているという。蔦重は半信半疑であったが、仕方なく2人を連れて吉原にやってきたのだ。
銭内は、吉原は古くさくて、金持ちの爺と田舎者しか来ないと聞いていると言いながら、老舗女郎屋である松葉屋を希望した。蔦重は格式も金額も高い松葉屋ではなく、河岸見世に連れていきたかったが、銭内に押し切られしぶしぶ松葉屋へ足を運んだ。銭内という男は一体何者なのだろうか…。
○銭内のペースに振り回される蔦重
このシーンは、自分が平賀源内だということを隠して、蔦重をからかう銭内の行動に視聴者が興味を引かれたと考えられる。
ほうぼうに手を尽くして蔦重はようやく、平賀源内と知り合いという貧家銭内を見つけることができた。しかし、足元を見られた蔦重は銭内のペースに振り回されることになった。わがままな取引先に翻ろうされる自分を重ねたビジネスマンの視聴者も多かったのではないだろうか。
SNSでは「軽妙でうさん臭い源内先生、見ていて楽しいな」「平賀源内、魅力的だな。しゃべり方や粋な序文、瀬川を思う表情ぜんぶいい!」「源内先生が最高すぎてこれから一年楽しみ!」と、クセつよの源内だが、その評判は上々だ。
この頃の吉原には、およそ2,000人の女郎が所属していた。吉原で遊ぶには、まず引手茶屋と呼ばれる仲介をする店を訪れるのが一般的だった。蔦重の住んでいる蔦屋もそうだ。引手茶屋で自分の予算や好みの女郎を告げ、紹介してもらう。その後、女郎の部屋へ案内され、酒宴をするなどして親睦を深めるのが一般的な流れだった。
初めて訪れた客が、いきなり親しい間柄になることはできない。 複数回通うことで、女郎との関係を深めていき、ようやく枕を交わすことができた。女郎に気に入られなければ、初回で振られることもあった。また浮気も許されず、もしほかの遊女のもとへ通ったことが発覚すると、詫び料の支払いが必要だったり、場合によっては出禁を言い渡されることもあった。このような厳格なルールが定められていたこともあり、より遊びやすく料金も安価な岡場所に人気が集まっていた。
平賀源内は、本草学者・地質学者・蘭学者・医者・殖産事業家・戯作者・浄瑠璃作者・俳人・蘭画家・発明家と非常に多くの顔を持っていた。1761(宝暦11)年に伊豆で鉱床を発見し、この頃に老中・田沼意次と知り合っている。
また、第1話で蔦重が朝顔に読み聞かせていた『根南志具佐(ねなしぐさ)』は源内が風来山人という号(ペンネーム)で書いた戯作。当時の人気歌舞伎役者・荻野八重桐の溺死事件を題材に、その死を巡る様々な憶測やウワサをユーモアを交えて描いた作品だ。作中には瀬川菊之丞や妖怪まで登場する。男色に関する描写も多い大胆な作品だった。ファンタジー+BLという現代でも通じそうな設定に源内の才能がうかがえる。
●御三卿同士の激しいバトルが幕開け
3番目に注目されたシーンは20時40分で、注目度72.7%。御三卿同士の激しいバトルが幕を開けるシーンだ。
「恥を知れ!」突如、田安賢丸(寺田心)の怒声が宴の場に響いた。第8代将軍・徳川吉宗の孫である一橋家当主・一橋治済(生田斗真)の嫡男・豊千代の誕生を祝う席でのことだった。
一橋家は御三卿と呼ばれる家柄である。治済が老中・田沼意次とともに、宴の余興として自ら傀儡(かいらい)を披露したのが、どうやら賢丸の気に障ったらしい。賢丸は治済と同じく吉宗の孫であり、賢丸の父・徳川宗武は治済の父・徳川宗尹の兄である。御三卿の一つである田安家に生まれた賢丸は、武家のあり方に高い理想をもつ若者であった。
傀儡師にでもなるかと言って周囲の笑いをとろうとする治済は、そんな賢丸にとって武士の風上にもおけぬ愚物なのだ。折り合いの合わない2人は、これからも幾度となく衝突を繰り返すこととなる。
○全く馬が合わない一橋治済と田安賢丸
ここは、幕府内の人間関係に視聴者の関心が集まったと考えられる。
ひょうひょうとした一橋治済と生真面目な田安賢丸はともに8代将軍・徳川吉宗の孫だが、全く馬が合わないことがよく分かるエピソードだった。若く真面目な賢丸は軽薄な治済が嫌いで仕方がないようだ。幼いころから聡明で知られた賢丸は次期将軍候補に挙がるほどだった。そんな賢丸の苦言を軽くいなす治済。衝突は避けられそうにない。
SNSでは「田安賢丸の堅物な面と、一橋治済の腹黒い面がさっそく垣間見えてるなぁ」「田安賢丸と一橋治済の対立、のちの出来事を予感させるな」「ほくそ笑んだ一橋治済と田安賢丸の立ち去る姿に大河の雰囲気がただよってきた!」と、盛り上がりを見せている。
もともと江戸幕府には、徳川家康の男子を開祖とする尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家といった徳川御三家があった。将軍宗家に次ぐ家格を持ち、徳川の名字を称することを認められていた3つの分家だ。
そして8代将軍・徳川吉宗が将軍家の血筋を保つために用意したのが、田安徳川家・一橋徳川家・清水徳川家の御三卿。家格は御三家に次いで、他の大名よりも上だったが、各地に城は持たず、江戸城内に居住していた。その役割は劇中で治済が語ったとおり、将軍家に後嗣がない際は後継者を提供することだった。
意次が幕政の中心となっていく中、一橋家は家臣団とともに意次と縁戚関係を強めていくが、治済は賢丸とともに反田沼派(この2人が手を組むとはよっぽど意次が嫌いなのだろう)として動いていく。しかし、反田沼として協力した治済と賢丸も、その関係がやがて変わっていくことになる。
意次は経済政策に注力していたが、その1つが「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」の発行。南鐐は高品質で精錬された美しい銀という意味で、「朱」は当時の貨幣単位の一つだ。その名の通り、「南鐐二朱銀」の純度は98%と極めて高いものだった。当時は日本各地で様々な種類の銀貨が流通しており、その多くは重さを量って価値を決める秤量貨幣だった。しかし金貨は一枚一枚の額面が固定された計数貨幣だったのだ。
この2種類の間にはレートが定まっていなかったため、経済活動に混乱が生じていた。そこで意次は秤量貨幣ではなく、一枚一枚の額面が固定された計数貨幣を導入することで、貨幣の価値を明確にし、取引を円滑にすることを目指した。当時の貨幣価値は1両=4分=16朱となる。
●「鬼の平蔵」の登場に反響
第2話「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」では、1773(安永2)年の様子が描かれた。
岡場所に奪われた客を吉原に呼び戻すため、蔦重は『吉原細見』を使うことを思いつき、その序文を当時「嗽石香(そうせきこう)」のキャッチコピーで一世を風靡していた平賀源内に執筆を依頼するため奔走した。一方、幕府では経済政策を進めようとする老中・田沼意次を中心に、御三卿や他の老中が各々の思惑を胸にうごめいている。
注目度トップ3以外の見どころとしては、足しげく花の井のもとへ通う長谷川平蔵宣似(中村隼人)が挙げられる。SNSでは「この平蔵が『鬼の平蔵』に成長すると思うと感慨深いね」「平蔵、今週もいい感じにカモにされてる」「長谷川平蔵がギャグ担当なのかな」といったコメントが集まり、憎めないキャラクターとしての地位を確立しつつある。また蔦重にのせられ、「紙花」を盛大にふるまう姿は「江戸時代にスパチャがあったんだ」「まんま現代のスパチャだね」といった投稿も見られた。今も昔も、人は「推し」には大金を注ぎ込むようだ。
池波正太郎氏の時代小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として有名な長谷川平蔵宣似だが、史実でも若い頃は放蕩かつ、無頼な生活を送っていたようだ。「本所の銕(てつ)」という異名で呼ばれ、向こう見ずで荒っぽい性格だった。当時の流行であった「大通」と呼ばれる服装を好み、父・長谷川宣雄がたくわえた財産を浪費しながら遊郭に通うなど、派手な生活を送っていたそうだ。
また、石坂浩二演じる老中首座・松平武元も大きな存在感を見せつけた。ことあるごとに田沼意次を制する武元は意次にとって最大の障壁といえるだろう。意次はどのように対抗していくのだろうか。
石坂浩二は1963年『花の生涯』、64年『赤穂浪士』、65年『太閤記』、69年『天と地と』、75年『元禄太平記』、79年『草燃える』、83年『徳川家康』、95年『八代将軍吉宗』、99年『元禄繚乱』、04年『新選組!』、11年『江〜姫たちの戦国〜』に続いて渡辺謙を上回る12回目の大河出演となる。大物俳優の対決は、大きな見どころとなりそうだ。
きょう19日に放送される第3話「千客万来『一目千本』」では、蔦重の編集した『吉原細見』が目論見通り、大きな話題となる。そして、その『吉原細見』をめぐってまた一悶着が起こりそうだ。
REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら