時代に媚びなかったがゆえに大ヒットしたダイアー・ストレイツのデビュー作『悲しきサルタン』
1月19日(金)18時0分 OKMusic
1978年はある意味で時代の境目にあった。パンクとAORがまだ全盛の時代、YMOやポリスが相次いでデビューし、ポストパンクとテクノポップの萌芽があちらこちらに見受けられる頃である。イギリス出身のダイアー・ストレイツはパンクでもテクノでもニューウェイヴでもなく、アメリカンロックのテイストを持ったルーツロックをプレイする地味な4人組としてデビューした。彼らは時代の要請や流行とはまったく無縁の音楽で世界を魅了した稀有なグループであると言えるだろう。彼らのアルバムはどれも高水準だが、何と言ってもデビュー作の『悲しきサルタン(原題:Dire Straits)』は衝撃的な傑作であった。
ダイアー・ストレイツの師、 J.J. ケイルというアーティスト
一般的にJ.J. ケイルの名がロックファンに知られるようになったのは、エリック・クラプトンの77年のアルバム『スローハンド』でケイルの「コケイン」を取り上げヒットしてからだろう。クラプトンは70年にリリースしたソロデビュー作『エリック・クラプトン』ですでにケイルの「アフター・ミッドナイト」をカバーしていたのだが、この時はまだケイルのアルバムはリリースされておらず、探しようがなかったのである。クラプトンの初ソロ作をサポートしたオクラホマ州タルサ出身のミュージシャンたち(レオン・ラッセル、ジェシ・エド・デイビス、ジミー・マーカム、ロジャー・ティリソン、カール・レイドルetc.)がケイルとクラプトンを引き合わせると、ケイルの独特のヴォーカルをはじめ、ギタープレイやソングライティングにもクラプトンは驚嘆する。
『エリック・クラプトン』以降、クラプトンとケイルは良き音楽仲間として付き合うようになり、それは2013年にケイルが亡くなるまで途切れることはなかった。熱心な中年以上のアメリカンロックファンならケイルのアルバムを何枚かは持っていると思うが、ケイルの特徴は一度聴いたら忘れられないほどのアクの強さである。20年ほど前、テレビのコマーシャルにケイルの音楽が使われたことがあり、その時は日本でも脚光を浴びたことがあるのだが、ケイルの音楽は侘び寂びにもつながるところがあり、ちゃんと紹介さえすれば日本では成功すると僕は感じている。
ケイルの影響が強い ヴォーカルとギター
クラプトンと同じ英国出身のアーティストで、誰よりもケイルに大きな影響を受けているのが、ダイアー・ストレイツのリーダー、マーク・ノップラーだ。一般の音楽ファンにとってケイルの音楽はとっつきにくいものだ。ノップラーは、そんなケイルの良さを損なうことなく、そのエッセンスを凝縮し見事にノップラー自身の音楽に昇華している。中でもケイルのヴォーカルをノップラーは研究したようで、ボソボソと呟くような部分はケイルにそっくりである。
ギタープレイに関してもノップラーはケイルの影響が強いと言える。音数だけみればノップラーのほうがはるかに多いが、サステインの使い方やピッキングにはケイルの影響が見られる。ノップラーはケイル以外ではチェット・アトキンス、ジェリー・リード、ジェームス・バートン、ハンク・マーヴィン(シャドウズ)など、特にカントリー系のギター奏者に多くの影響を受けている。
ダイアー・ストレイツ結成
マーク・ノップラーとデヴィッド・ノップラーの兄弟、ジョン・イルズリー、ピック・ウィザーズの4人は1977年にダイアー・ストレイツを結成し、メンバーの中では唯一ウィザーズがプロのミュージシャンで、彼はデイブ・エドマンズやマグナ・カルタといった有名アーティストのサポートドラマーを務めた後、グループに参加している。デヴィッドとジョンは仕事仲間で、マークは美大の教師であった。彼らはどこに勝算があったのかは分からないが、少なくともマーク・ノップラーのソングライティングとギタープレイに関しては自信があったのではないだろうか。
しかし、ロックの中心楽器はすでにギターからシンセへと移り変わろうとしていた中、ダイアー・ストレイツにはキーボード奏者すらいなかった。時代に媚びないとはいえ、彼らのやり方は時代の逆行ではないのか。そう思う業界人は多かったはずだ。
マフ・ウインウッドとの出会い
ところが、彼らは耳の肥えたすぐれたプロデューサーと出会い、励まされることで自信につながっていくのである。そのプロデューサーとはマフ・ウインウッド。彼はスティーブ・ウインウッドの兄で、スペンサー・デイビィス・グループのベーシストとしても知られる。マフはダイアー・ストレイツが正統派のロックグループであるからこそ、パンクやAORの時代に存在価値があると確信し、メジャーの世界に送り出したわけだが、それが正しかったことは後に証明されることになる。このパターンで世に出たギタープレーヤーは、ヘヴィメタ全盛の80年代初頭に登場したブルースギタリストのスティーヴィー・レイ・ヴォーンや、同じく80年代中期に登場したスミスのジョニー・マーなどがいる。
本作『悲しきサルタン』について
そして、グループ結成から1年後の78年にリリースされたのが本作『悲しきサルタン』だ。アルバムはノップラーのトレードマークとも言えるフェンダー・ストラトキャスターの幻想的なハーフトーンのギターソロから始まり、一転してエッジの効いたロックに転化する。アルバム1曲目のナンバー「Down To The Waterline」のヴォーカルはボブ・ディランのような囁きスタイルであり、全編を彩るノップラーのギタープレイが素晴らしい。エイモス・ギャレットっぽいフレーズやペダルスティール・リックまで登場する。ほぼアメリカ的なサウンドであるだけに、これがイギリスのグループだとは当時は思いもしなかった。
次の曲「Water Of Love」でノップラーはリゾネーターギターを使っており、こちらはケイル風の泥臭い仕上がりになっている。次の「Setting Me Up」はロカビリーで、クラプトンの武道館ライヴでもカバーされた初期ダイアー・ストレイツの代表曲だ。武道館のライヴではアルバート・リーがリードヴォーカルとリードギターを担当していただけに完璧なできであったが、ノップラーのカントリーファンク的なギターも素晴らしい。同じスタイルの6曲目「Southbound Again」も良い曲だ。
おそらく誰もがそう考えるであろうが、やっぱりアルバムの白眉は「Sultans Of Swing」である。この曲に尽きる、とは思わないが、ヴォーカル、ソングライティング、ギタープレイのどれをとっても文句なしの仕上がりで、一時期は日本でも毎日のようにこの曲が至るところでかかっていた。このジプシー的なマイナーサウンドは、ダイアー・ストレイツというグループを印象付けるのに大きな役割を果たしたと言えるだろう。この曲がリリースされてなければ、彼らはこれほどビッグな存在になれていないだろう。それぐらい重要なナンバーである。ここでのノップラーのギターソロは繊細かつ情念にあふれており、ロック史上に残る名演となっている。
他にもオールマンブラザーズの「メリッサ」を彷彿させるようなメロディーの美しい「Wild West End」(ピアノが聴こえるがクレジットなし)やAOR的なアレンジが施された「Lions」など、収録された全8曲はどれも佳曲揃いで、捨て曲は1曲もない。結局、本作はチャート上でもアメリカで2位、イギリスで5位、ドイツ、フランス、オーストラリアで1位という輝かしい成績を収めることになるのである。マーク・ノップラーの才能恐るべし…。
本作以降のダイアー・ストレイツ
本作がリリースされた当時、初めて聴いたときのインパクトはすごかったが、彼らは『コミュニケ』(‘79)、『メイキング・ムーヴィーズ』(’80)、『ラブ・オーバー・ゴールド』(‘82)と名作を立て続けにリリースし、85年の『ブラザーズ・イン・アームズ』はダイアー・ストレイツ最大のヒット作(多くの国で1位を獲得)となるのだが、ゲストは多いしアルバム自体ゴージャスな作りとなってしまっていて、前4作と比べると彼らの魅力は半減してしまっている。
僕はロイ・ビタン(ブルース・スプリングスティーンのバックバンドであるEストリートバンドのキーボード奏者)の助演が光る3作目の『メイキング・ムーヴィーズ』がもっとも完成度が高いと考えている。この後、グループは失速し、マーク・ノップラーはカントリー寄りのソロ活動や映画音楽の仕事をしながら、今でも悠々自適の生活を送っているようだ。
もしダイアー・ストレイツを聴いたことがないなら、どのアルバムでもいいからこれを機に聴いてみてください。きっと新しい発見ができると思うよ♪
TEXT:河崎直人
アルバム『Dire Straits』
1978年発表作品
<収録曲>
1. Down to the Waterline
2. Water of Love
3. Setting Me Up
4. Six Blade Knife
5. Southbound Again
6. Sultans of Swing
7. In the Gallery
8. Wild West End
9. Lions