詩人・谷川俊太郎が、自分をテーマに展覧会をつくったら?

1月20日(土)11時0分 文春オンライン


二十億光年の孤独に

僕は思わずくしやみをした


(「二十億光年の孤独」より)



 最初の詩集『二十億光年の孤独』が刊行されたのは1952年のことだった。以来、20億光年とはいかぬまでも、60年超の年月を詩作に捧げてきたのが谷川俊太郎さんである。


 これまで脈々と生み出されてきた詩は、いつだって平易で明快、かつリズミカル。和歌俳句など日本の「うた」の伝統を最もよく受け継ぎ、日本語の美しさを誰より深く探究してきた詩人だ。日本人で次にノーベル文学賞をとるなら、この人こそふさわしいんじゃないだろうか。


 そんな国民的詩人が、みずからをテーマとした展覧会を東京初台・東京オペラシティアートギャラリーで開催中。展名はずばり、「谷川俊太郎展」という。





音楽と映像で詩を立ち上げる


 詩人が展覧会? いったい何を展示するというのかと不思議に思う。趣旨として掲げられているのは、谷川の詩の数々を改めて味わい、体験すること。そして、詩人・谷川俊太郎の実像をあらわにすること。


 ともあれ第1室に足を踏み入れてみる。広いスペースの全体が暗がりになっていて、そこに無数のモニターが並んでいる。部屋の中央で佇んでいると、リズミカルな音が鳴った。谷川の詩が朗読される声も聴こえてくる。それらに合わせ、モニターには文字が現れたり消えたり。どうやら音と映像を素材にして、空間全体でひとつの詩を表現している。


 音を担当しているのは音楽家・小山田圭吾。映像はインターフェイスデザイナー中村勇吾によるもの。谷川の詩「いるか」「かっぱ」「ことこ」の3編を、彼らが五感に訴える作品に仕立てたのだ。


 たしかにこうして詩を浴びるように体感すると、単に詩集を開いて読んでいるときとは受け取るものが明らかに違う。体内に言葉がぐいぐいとめり込んでいくような、不思議な感覚を味わえる。





巨大な新作詩が「出現」する


 歩を進めると、さらなる大空間へ出た。そこには人の背よりずっと高い、言葉の柱があちらにもこちらにも立ち上がっている。その数、20に及ぶ。





 それぞれの柱には、谷川の詩「自己紹介」の一行ずつが大書されている。その言葉に応じたテーマが設けられており、柱の内側にあれこれと展示物が陳列されているかたちだ。


 たとえば、


「私は工具類が嫌いではありません」


 の柱のもとには、年季の入った詩人愛用の工具がずらり。


「室内に直結の巨大な郵便受けがあります」


 のところでは、堀口大學や高橋睦朗といった詩人から谷川家へ送られてきた古い葉書が見られる。


「私が書く言葉には値段がつくことがあります」


 では、これまでに刊行された谷川の著作が一堂に集められている。


 自作の言葉に沿って、数々のモノで谷川俊太郎という人物に迫ろうとの試みだ。


 続く展示スペースでは、白壁いっぱいに大きく詩が書かれている。



言葉の町並みを抜けると

詩の雑木林だった



 と始まり、26行にわたる新作「ではまた」だ。仰ぎ見るように、また少しずつ歩きながら詩を読むというのは、他ではなかなかできない体験だろう。





 会場をひと巡りすると、「ではまた」の一節にある通り、詩の雑木林を散策してきたような気分。茂っているのは谷川俊太郎の言葉なのだから、そこはもちろんこの上なく楽しく和やかな林なのだった。



(山内 宏泰)

文春オンライン

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