安倍政権の打ち出したプロパガンダ映画計画を是枝裕和監督は危惧していた!「映画が日本に利用されている」

1月21日(土)20時30分 LITERA

言論活動も精力的に行っている是枝監督(画像は『世界といまを考える 3』PHP文庫)

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 先日も本サイトで報じた、政府が国策映画事業に乗り出そうとしている問題。


 1868年の明治維新から150年の節目となる2018年に実施する記念事業として、明治期の国づくりなどを題材とした映画やテレビ番組の制作を政府が支援することを検討しているというのである。菅義偉官房長官はこれに関し、「大きな節目で、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは重要だ」とコメントしている。


「明治期の国づくり」限定で国が金を出すのは、言うまでもなく、明治の日本を「伝統」などと嘯き、戦後民主主義を否定すること。こういった思想を映画やドラマにまぶすことで、「改憲」への世論形成の後押しにしようと考えているのは明白だ。


 この国を戦前に回帰させようとする安倍政権とその背後の極右勢力が企画したプロパガンダ映画計画には多くの批判的な声が寄せられているわけだが、実は、こういった事態に対して以前から示唆的な発言をしていた人物がいた。


『誰も知らない』、『そして父になる』、『海街diary』などを監督し、海外の映画祭での受賞経験ももつ是枝裕和氏だ。是枝監督は日本の映画産業のシステムが監督などのクリエイターにとって著しく不公平な制度になっており、それが製作費の資金調達や作品内容のコントロールにも悪影響を及ぼしているということを常々訴え続けていることでもよく知られているが、そういった話題のなかで、国が映画産業を支援することの危うさを語っていた。


 たとえば、昨年9月には、ウェブサイト「Forbes JAPAN」のインタビューで、東京国際映画祭(昨年10月に開かれた第29回東京国際映画祭のオープニングセレモニーには安倍首相も出席している)の立ち位置を問題視しつつ、「国・政府」と「映画」の距離感の大切さを訴えていた。


「残念ですが、東京国際映画祭はいまだ「日本映画を売り込む場所」という認識が強い。国威発揚としてオリンピックを捉えるのとまったく同じです。「映画のために」「スポーツのために」と考える前に、「日本のために」を考えてしまう、その根本の意識から変えていかないと、映画祭もオリンピックも本当の意味での成功は成し得ないと僕は思う。
 助成も同じで、たとえばですが「国威発揚の映画だったら助成する」というようなことにでもなったら、映画の多様性は一気に失われてしまう。国は、基本的には後方支援とサイドからのサポートで、内容にはタッチしないというのが美しいですよね。短絡的な国益重視にされないように国との距離を上手に取りながら、映画という世界全体をどのように豊かにしていくか、もっと考えていかなければいけないなと思います」(16年9月1日付)


 また、昨年12月にはウェブサイト「日経トレンディネット」のインタビューでこのようにも答えている。


「補助金もあるけれど、出してもらうと口も出すからね。映画のために何ができるか考える前に、映画が国に何をしてくれるのか、という発想なんだと思いますよ。それはむしろ映画文化を壊すことにしかならないんです。
 たとえば、東京オリンピック招致のキャッチコピーに『今この国にはオリンピックの力が必要だ』っていうのがありましたけど、私は五輪はスポーツの祭典の場であって、国威発揚の場ではないということがとても大切な価値観だと思っています。安倍首相は東京国際映画祭のオープニングでも挨拶したけれど、映画が日本のアピールのために利用されているようにも思える。なのでサポートして欲しい、ということも個人的には言いにくいわけです」(16年12月9日付)


 是枝監督がこのように語っている時点では、本稿冒頭で述べた政府による支援計画は発表されていない。それにも関わらずこのように国が映画に金を出して支援することの危険性を何度も語るのは、それだけクリエイターが資金を欲する状況があり、その弱みを利用されかねないという状況を危惧しているからではないだろうか。


 昨年の『君の名は。』や『シン・ゴジラ』に代表される邦画の活況を見ると勘違いしてしまいそうになるが、そのような恵まれた環境にある映画はごくごく一部だ。むしろいまの日本映画界は、潤沢な環境で製作され広告も大量に投下されるうえ300館規模で公開される大作映画と、数百万から数千万の予算でつくられる小さい規模のインディペンデント映画との二極化が進み、きつい懐事情の単館系映画はより一層厳しい製作環境を強いられるようになっている。


「キネマ旬報」(キネマ旬報社)が発表した昨年の「日本映画ベスト・テン」で1位に選ばれた『この世界の片隅に』がクラウドファンディングを利用していることはよく知られているが、それは製作費を集めることができなかったからで、片渕須直監督自身も雑誌のインタビューで「出資先を探すと『内容はすごくおもしろいし、絵コンテもよくできているが、前作の初動数字が良くない』と次々に断られた」(「AERA」17年1月2日・9日号/朝日新聞出版)と証言している。結局は、クラウドファンディングで集めた資金をもとに5分ほどの営業用パイロットフィルムを製作し、それがきっかけで製作費を集めることができたのだが、こういった事例は昨今の業界において珍しい話でもなんでもない。


 その根本的な原因となっているのは前述した通りの大手寡占の状況なのだが、それは興行収入の数字をみるとよく分かる。「キネマ旬報」16年3月下旬号のデータによれば、15年の興行収入でハリウッドメジャー6社(ウォルト・ディズニー、20世紀フォックス、パラマウント、ソニー、NBCユニバーサル、ワーナー・ブラザース)と邦画大手3社(東宝、東映、松竹)が占める割合は全体興行収入(2171億1900万円)の85%に達する。この9社以外の映画会社で残り15%のパイを奪い合っているのだ。その一方で、これら9社が昨年公開した映画の本数は全体(1136本)のうちの13.5%(153本)しかない。インディペンデント映画は983本で前述のたった15%の部分を取り合うという状況なのである。


 その結果、格差の広がった業界で起こるのは、過酷なブラック労働だ。『淵に立つ』が前述の「日本映画ベスト・テン」3位に選ばれた深田晃司監督は、「キネマ旬報」2016年10月下旬号のなかで、自主映画の製作環境の過酷さをこのように告白している。


〈市場原理主義に基づく新自由主義経済において自由を謳歌するのはごく一部の大手企業のみであったように、今日本のインディペンデント映画は歪つで排他的な業界構造の中、大手三社外に残った二割のパイを奪い合っている状況にある。結局そのしわ寄せは現場へと押し寄せ、保障のない不安的な生活や低賃金、長時間労働といった劣悪な撮影環境へと反映される。そこで最初に脱落するのは、経済的弱者や体力的弱者で、公正で自由な競争原理ならびに人材の多様性を保つことが困難となるのだ。映画の労働環境におけるジェンダーバランスの不均衡もこれと無縁ではないはずだ〉


 映画界が抱える問題はこういった「大手」と「中小」の格差だけではない。製作費に苦慮するのはビッグネームの映画作家でも同じ。さらに、現行の日本映画界のシステムでは映画をつくっても、そこで得た利益が制作者に還元されることはほとんどないという状況がある。是枝監督は昨年11月、ウェブサイト「現代ビジネス」のインタビューでこのように語っていた。


「僕も資金調達には苦労していますよ。先日、韓国に行ったとき、向こうのプロデューサーと話をして、韓国のシステムについて聞いた。韓国では興行収入の4.5割が劇場分で、残りの5.5割を映画の製作委員会(出資者)と制作会社(監督など作り手)が6対4の割合で分け合うそうです。
 つまり、興行収入が10億円あったとすると2億4000万円が、一番汗を流した制作者たちの手に渡る。そして、その資金は次の作品の準備に充てられます。でも、日本だと5割が劇場で、残り5割のうち1割を配給会社、4割が製作委員会に渡る。多くの場合、監督には配分がないんですよ。
 僕は、交渉するようにしていますが、日本でお金の話をするのは、あまり好まれない。1%の成功報酬を交渉するのに、なんでこんなに苦労しなければいけないんだろうってつくづく思っていた。
 なので、韓国のシステムを聞いて、暗い気持ちになりました。映画監督は食えなくて当たり前、みたいな感覚では、映画監督という職業に若い人たちが夢を持てなくなっても仕方がない」(16年11月28日付)


 製作費もない。映画をつくっても儲からない。そんな苦境にあえいでいる状況を利用し、いまこの国の為政者たちは、札ビラで頬を叩きながら才能ある映像作家たちの力を利用しようとしている。


 かつてこの国は戦争を礼賛した国策映画を大量につくりだした過去がある。歴史を繰り返さないためにも、弱みにつけこもうとしている政府のやり口をわれわれは監視する必要がある。
(編集部)


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