花の82年組 小泉今日子による「アイドルの刷新」の功績とは

1月21日(日)7時0分 NEWSポストセブン

小泉今日子は何がすごかった?(左から松下氏、売野氏、太田氏)

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“花の”と冠が付くほど隆盛を極めた1982年デビュー組のアイドルたち。小泉今日子早見優原田知世堀ちえみなど綺羅星のごとき逸材が続出した。そんな82年組の中でも大成功を収めた中森明菜『少女A』の作詞家・売野雅勇、『ザ・ベストテン』司会者・松下賢次、著述家・太田省一の3氏が、あの時代と「花の82年組」を振り返る。


太田:82年組アイドルでは、小泉今日子さんは欠かせないですね。アバンギャルドな仕事も軽々こなしながら、輝き続ける。アイドルの概念を新しくした別格の存在。


売野:僕、彼女にものすごく詞を書きたかったんですよ。彼女の持つフィーリング、モダンな感覚がとても好きで。YMOに通じる素養を持っていて、アイドルを超えたポップアイコンだった。中森明菜さんに書いていたせいか、なぜか僕には発注が来ませんでした。


松下:一時期、キョンキョンは「Kyon2」と表記していましたよね。アイドルというより、自然な感じの人でしたね。『キスを止めないで』を歌う時に穿いていた毛皮のミニスカートが本当にかわいくてね(笑い)。


売野:堀ちえみさんにもシングル3曲の詞を書きました。僕は彼女にすごくセクシャリティを感じたので、『夢千秒』では「私の素肌は綺麗でしょうか」という詞も綴りました。


太田:『スチュワーデス物語』(TBS系)の「ドジでのろまな亀」という台詞の印象が強いので、セクシャリティとは意外ですね。


松下:売野さんは、本性を見抜いていたんですね(笑い)。


売野:82年組の登場でパラダイムシフトが起こって、それ以前のアイドルは少し古く見られるようになった。その影響で、1980年デビューの河合奈保子さんのプロデューサーが実験的に作曲を筒美京平さん、作詞を『少女A』の売野に頼み、1983年6月の『エスカレーション』が生まれたんです。


「モラルを誰でも心の中で乗り越えている」というコンセプトで、セクシャリティに踏み込みました。彼女のイメージとのギャップが大きくて批判もあっただろうけど、売り上げ枚数は彼女のシングルの中で1番でした。


太田:82年組は他のアイドルの歌にも影響を与えていたんですね。彼女たちのデビュー前後から、アイドルに興味を持つ世代が広がり始めたような気がします。


 1970年代までは高校生で卒業するという風潮がありましたが、僕が大学2年の1980年くらいから『よい子の歌謡曲』というアイドル同人誌が大学の書籍部に堂々と置かれるようになり、衝撃を受けました。「三田寛子の『駈けてきた処女』って井上陽水の作曲なのか」と作家陣にも敏感になっていった。


売野:高度成長を経て、経済的に成熟した1980年代を迎え、パトロン的なものがアイドル文化に繋がったこともあるでしょうね。


太田:1970年代に築かれたアイドル文化が、東京(=TOKIO)がテーマパークのような華やかさと軽さを醸し出し、消費の誘惑が漂い始めた1980年代に花開いた。その中心に、花の82年組が存在していたと思います。


●松下賢次(まつした・けんじ)/1953年3月2日生まれ、東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、1975年にTBS入社。プロ野球やゴルフなどの実況を中心に活躍。1986年10月2日から2年3か月にわたって『ザ・ベストテン』の司会を務める。自身の結婚式には中森明菜、近藤真彦、田原俊彦などが出席した。


●売野雅勇(うりの・まさお)/1951年2月22日生まれ、栃木県出身。上智大学文学部英文科卒業後、コピーライター、雑誌編集長を経て、1981年に作詞家デビュー。1982年に中森明菜『少女A』でブレイクし、チェッカーズ『涙のリクエスト』、郷ひろみ『2億4千万の瞳』、荻野目洋子『六本木純情派』などヒット曲多数。


●太田省一(おおた・しょういち)/1960年11月13日生まれ、富山県出身。社会学者、著述家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。アイドルや歌謡曲、お笑いなどに造詣が深い。著書に『アイドル進化論』(双書Zero)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『木村拓哉という生き方』(青弓社)など。


※週刊ポスト2018年1月26日号

NEWSポストセブン

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