奇怪な呼称問題 「石川五右衛門・元死刑囚」と呼ぶべきか

1月22日(月)16時0分 NEWSポストセブン

菊地直子”元信徒”とはこれいかに?

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 ニュースのなかで、人の呼称をどうするか。「さん」づけなのか、呼び捨てなのか、身分をあらわす何かをつけるのか。評論家の呉智英氏が、現代の良識に照らし合わせてつけられた、報道のしかたによる奇妙な呼称について考察する。


 * * *

 昨年十二月、気になる報道が続けて二つあった。気になったのは報道された事実ではなく、報道のしかたである。何でもない記述に現代の良識の亀裂が感じられる。


 まず、十二月十九日の朝日新聞夕刊。「犯行時に少年 死刑執行」と見出しして、同日死刑執行された二人のうちの一人、関光彦死刑囚は、事件当時少年だったと報じている。記事の末尾には「おことわり」が付き「死刑が執行されたことを受け、実名での報道に切り替えます」「2004年、事件当時は少年でも、死刑が確定する場合」「実名で報道する方針」にした、とある。「社会復帰の可能性」がなくなったからだという。


 この実名・匿名措置は、記事にもあるように少年法の趣旨に沿ったものだ。少年法への賛否は措くとして、現実に少年法がある以上、これは妥当だろう。私が気になったのは、そこではない。記事中に何度も出てくる「関光彦死刑囚」という「呼称」のことだ。


 通常、名前の下に付く一種の接尾辞は「敬称」と言う。さん、君、殿などだ。役職や肩書でこれに代えることもある。教授、部長、議員などだ。こうした敬称を付けないのは失礼だ、さらには人権侵害だ、という奇怪な風潮が広まり、何でもかんでも敬称を付けるようになった。ついには死刑囚にまで敬称を付けなければならなくなり、だからといって犯罪者を敬う称もおかしいので「呼称」と言う便法が発案された。


 しかし、「関光彦」と呼び捨てにされるのと、「関光彦死刑囚」と呼称を付けられるのと、当人にとってどちらが嫌だろう。まことに不可解な人権尊重である。


 この記事には、関光彦死刑囚以前の例として「永山則夫・元死刑囚」が言及されている。いわゆる「連続射殺魔事件」の犯人で二十一年前に死刑執行されている。しかし、永山が「永山則夫・元死刑囚」なら、幸徳秋水は「幸徳秋水・元死刑囚」ではないのか。高橋お伝は「高橋お伝・元死刑囚」なのか。石川五右衛門は「石川五右衛門・元死刑囚」なのか。人権侵害は処刑後何年経ったら許されるのか。国会で決まったのか。


 と思っていたら、それから旬日を出ずして、十二月二十七日の朝日新聞夕刊に「菊地直子元信徒 無罪確定へ」との記事が出た。


 菊地直子元信徒とは、オウム真理教による爆発事件で爆薬原料を運んだとして殺人未遂幇助などに問われた人物である。これについて、テロに使われるとの認識がなかったとして、無罪判決が出た。


 判決内容への賛否は、ここでもさて措き、「菊地直子元信徒」と言う呼称が奇妙である。さん付けにも抵抗があるし、呼び捨てにもできないし、オウム信徒ではなくなったことを強調してこの呼称にしたのだろう。


 それなら、背教者ユリアヌスは「ユリアヌス元信徒」としなくていいのだろうか。国会ではなく、ローマ法皇庁の見解を尋ねてみたいところである。


●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。


※週刊ポスト2018年2月2日号

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