ヤクルト三輪正義、引退セレモニーの後にあった“最後の試合”

1月23日(木)17時0分 文春オンライン

 いくつもの偶然が重なって実現した引退セレモニーだった。土砂降りの中、一人でスピーチする三輪正義には、何だか罰ゲーム感すらあった。自分から「行ってきます」と走り出し、チームメイトと家族とファンに見守られながら、代名詞のヘッドスライディング。中止でもなく、小雨でもなく。あの雨の奇跡のさじ加減がなければ、あんなに笑顔に溢れたセレモニーはなかった。後に本人が「あんなの50年に一度。もうなかなかない」と言っていたが、50年経ってもこんなにみんなが大笑いする引退セレモニーは出てきそうにない。しかも、それはまだ三輪のファイナルエピソードではなかったのだ。


戸田球場の名物「三輪ちゃんのバント塾」


 翌9月23日。戸田球場。三輪正義は笑っていた。「俺やっぱり丈夫だな!」。前夜に雨の中を走らされ、ヘッドスライディングをしまくって。びしょ濡れになって。その後もきっと夜遅くまで取材や挨拶や付き合いがあっただろう。それでも次の日、彼は元気に朝から戸田にいた。雨も上がり、穏やかな試合前練習風景。いつものように三輪はバント練習をしにやって来る。「よく教わっとけよ!」。コーチが若手に声をかける。


 戸田球場のバント練習場所は、鉄扉のすぐ内側で、扉越しにファンがその様子を間近で見ることが出来る。シャッター音も絶えない。選手は気になるかもしれないが、満員の観衆の前でバントをするプレッシャーを考えたら、それぐらいは乗り越えてしかるべきだろう。



©HISATO


 中でも三輪のバント練習は見応えがある。自分でやって見せたり若手に対してアドバイスするその姿は、ファンから「三輪ちゃんのバント塾」と言われてきた。わざわざ教わりに来る若手もいて、この年も濱田太貴や松本友、吉田大成らとの練習は印象的だった。


 三輪の一つひとつの言葉を聞いていると、ポイントを明確に指摘する力と、それを分かりやすく言語化する力に驚く。


「打つ時も1、2、3ってタイミングとるだろ? バントもそう」

「やるのは手じゃなくて、体」

「足すぐ動かすな」


 訊かれなくても、傍にいれば気付いたことをアドバイスする。


「失敗しろ失敗しろ。考えろ」。きっと三輪もたくさん失敗した。そうして、考えて考えて練習したのだろう。「これは俺の編み出した技。ちょっとした技術」。コツを教わりみるみるうちに上手くなった選手もいる。しかしそれを技術に高められるほど、練習した選手はいただろうか。どれだけの人が、それほどまでにバントに打ち込むだろう。



「どこにどう当たるとどういう打球になるか、その感覚が分からない子が多いんでしょうね」。どこにどう当たるとどういう打球になるか、その感覚を掴むまで練習したのが、きっと三輪という選手だった。それでも「バントは怖い」。そう言っていたこともある。誰もがバントをすると思い、守備がバントをさせまいとして備える中で、バントをして成功させなければならない。そのプレッシャーは計り知れない。それでも成功させ、時には自らも生きる。怖さを乗り越えるためにはやはり、練習しかないのだろう。



たくさんの笑顔に送られた幕引き


 迎えた9月26日は戸田球場でのイースタン最終戦。この日の午前の練習では、三輪の現役最後になるバント練習があった。いつもと違うムードが漂い、鉄の扉の前は、それを見ようとする人垣が幾重にもなる。けれども三輪は、いつものように淡々と練習を終えた。試合ではスタメンセカンドでフル出場。神宮での引退セレモニー後にイースタン・リーグ公式戦は4試合あり、三輪は実に4試合とも出場している。これが、正真正銘の引退試合だった。


 ネット裏の座席には、ファンの手によって、三輪のタオルやユニフォームが、花飾りやテープ、背番号を書いた風船などとともに飾られていた。「ありがとう三輪選手」の文字も見える。


 ヒットこそなかったが、セカンドの守備機会は多く、三輪はスムーズに守備をこなしていく。第4打席に立つ三輪に、万感を込めて拍手と歓声が飛んだ。幾人かのファンが誘い合って応援歌を歌い出す。その声は少しずつ大きくなり、手拍子とともに広がっていった。


「勝利と言う名の 正義の為に 異次元のスピードで 今だフィールド駆けろ」


 この年、一軍の試合では歌われなかった歌が、現役最後の打席でファンから贈られた。戸田球場の座席とグラウンドは近くて、三輪の声はいつでもよく聞こえたから、きっとこの歌も三輪の耳にしっかり届いたに違いない。


 試合はヤクルトの勝利で終わり、高津二軍監督の挨拶があった。三輪はここでも花束を贈呈され、チームメイトの胴上げで送られた。試合後、100人あまりものファンが三輪を待っていた。出てきた三輪は一人ひとりにサインをし、写真撮影に応じた。並ぶファンの列は終わらず、長い長い時間がかかった。全ての人にサインを終えると、大きな拍手が起こった。居並ぶファンに家族とともに挨拶をして、そうして三輪の現役生活は終わった。一軍でも二軍でもたくさんの人に囲まれ、たくさんの笑顔に送られた幕引きだった。



球団広報としてのリスタート


 引退した三輪は、この1月から球団広報としての仕事に就いている。2020年1月9日。戸田球場での新人合同自主トレに、スーツ姿の三輪が現れた。ビデオカメラを片手に、動線に注意しながら新人たちの姿を撮っている。慣れた場所のはずなのに物慣れない様子が初々しかった。


 いずれ指導者にという希望はある。だが、三輪は「まずは球団への恩返し」と球団に残ることを優先した。初めての仕事に挑戦することになるが、何しろヤクルトの広報だ。さっそく学校へ行き、子供たちへの指導をする姿が伝えられた。オフにはスワローズジュニアの指導にあたるかもしれない。また三輪のユニフォーム姿を見られる機会はあるだろう。いつかはヤクルトでコーチとしての姿が見られれば言うことはない。戸田で、神宮で、ファンは心待ちにしている。



 ガソリンスタンド勤務、軟式野球、四国独立リーグ。異色の経歴は、そのまま多くの人との縁であり経験で、それが多彩な三輪正義を作った。決して忘れることのできない選手。無類のユーティリティ性を持つ職人。いじりいじられまくった稀代のエンターテイナー。もう「異次元のスピード」は必要ない。速度を落とし、ゆっくりと、三輪正義は再び走り始める。


 視野を広げ、色々なものを見て聞いて、経験しながら。球団へ、後に続く後輩へ、幾多の人々へ。たくさんのものを返し、与え、自分もさらに豊かになって。掲げた夢は、これからもフィールドを駆け続けるのだ。


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(HISATO)

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