岩崎宏美と父の骨肉裁判 背景に娘の結婚や歌手活動への反対も

1月23日(月)7時0分 NEWSポストセブン

2009年4月にミュージカル俳優・今拓哉(43)と再婚した岩崎宏美(53)に次いで、昨年11月には大学病院の勤務医(53)と結婚した妹・良美(50)。岩崎家はさぞ幸せな新年を迎えたと思いきや一昨年9月、父が娘である宏美ら家族を訴え、係争中だという。


1958年、東京の下町で材木機械の輸入販売会社を経営する父の下、3人姉妹の次女として生まれた宏美。小学校入学から歌のレッスンを受け始め、オーディション番組に出演したのをきっかけに、16才で歌手デビューした。2年後の1978年10月には父が「有限会社スリージー」(当時)を設立し、宏美のマネジメントをすることになった。


デビュー時から宏美のステージパパだった父親だが、妹・良美には厳しかった。


「宏美さんに憧れて歌手になりたいと、良美さんは家族に懇願したんですが、お父さんが“宏美の邪魔になる”と猛反対したんです」(音楽関係者)


そのことを知った宏美が父を説得。「歌手以外なら」との条件付きで、良美はテレビドラマ『江戸の鷹』で女優デビューすることとなった。2年後には念願の歌手デビューの夢も叶えた。


ヒット曲を連発した姉妹だが、その一方で父は先代から続いていた材木機械の会社の経営がうまくいかなくなり、1985年、とうとう会社を手放すこととなった。マネジメント業に専念するつもりだったが、良美は同年リリースした『タッチ』を機に歌手業を休止。一家の稼ぎ手は宏美だけとなった。そのためか、宏美が結婚しようとするたびに、「歌がうたえなくなるから」と口をはさんできたという。


1988年、俳優の内田直哉(58)と結婚目前も破局。しかし、「30才までの結婚」を夢みていた宏美は、1989年商社マンと結婚。最後まで反対していた父も結婚式には駆けつけた。だが、結婚生活は長くは続かず、1995年に離婚した。


「宏美さんが結婚し、仕事が激減してしまったことで、『スリージー』はもう後がない状況でした。そこで、お父さんは宏美さんの旦那さんがドイツに転勤になった際に、黙って宏美さんの仕事を受けたんです。


旦那さんは宏美さんと“結婚したら仕事は控える”と約束していたので激怒したんです。でも宏美さんは、家族のこともあったし、結婚前のように自由に歌いたいという思いを募らせていたので、離婚して実家に戻り、父についていくことを決めたんです」(前出・音楽関係者)


当初は、2人の子供の親権は前夫、養育権は宏美が持っていたが、前夫の再婚を機に養育権も失ってしまった。家族を選んだ上のやむを得ない選択だったが、そんな思いもむなしく仲良し一家は崩壊してしまう。


「お父さんは、愛人関係にあった女性と結婚するため、2002年5月にお母さんと離婚してしまったんです。お母さんは良美さんと一緒に家を出て行ってしまったので、宏美さんは老いたお父さんのことを思って実家に残ることにしたんです。複雑な思いもあったでしょうが、やっぱり実の父親ですからね」(岩崎家の知人)


2003年に再婚した父は、年齢のこともあり、会社の代表を宏美に譲ることを決めた。


会えなくなってしまった最愛の子供、両親の離婚、会社の経営…、当時さまざまな悩みにくれていた宏美を支えたのは、舞台『レ・ミゼラブル』で共演し、2001年から交際していた今だった。


「お父さんは、今さんに婿養子にはいってほしかったんです。岩崎家には娘しかいないからなんです。でも、これには今さんは首を縦に振らなかった」(今の知人)


今が婿養子を拒むと、父は一転して、結婚に猛反対するようになったという。しかしさすがの宏美も、この時は父ではなく今を選んだ。2009年4月、宏美は実家を離れ、今と再婚することに。そしてこれを機に、宏美は父と決別をすることになる。


「2009年12月に、『有限会社スリージー』から『株式会社スリージー』に社名を変えて、お父さんを会社の役員からはずしたんです。そして、今さんがマネジメント会社を作り、宏美さんをそっちに移籍させました。これまで『スリージー』から父に支払われていた金額は役員報酬や会社がはいっているビルの賃料など月々およそ80万円ほど。会社の形態が変わり、これがほとんど支払われなくなってしまったんです」(前出・岩崎家の知人)


冒頭の裁判で争われているのは、この際の父の役員辞任が正当なものだったかどうか。事前に承諾はなかったという父に対し、宏美側は承諾があったと主張している。


※女性セブン2012年2月2日号

NEWSポストセブン

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