SMAP育ての親女性 入社当時はメリー氏のお気に入り

1月23日(土)7時0分 NEWSポストセブン

 SMAPの5人のうち中居正広(43才)など4人がジャニーズ事務所を離脱し、木村拓哉(43才)が残留すると報道されたSMAP空中分解騒動。SMAPの育ての親である元マネジャー・I氏(58才)が、ジャニーズ事務所を退職することに端を発したこの騒ぎだが、I氏とはいかなる人物なのか。


 I氏は幼い頃から生活の中に音楽がある環境で育ってきたという。


「Iさんは東京の山の手の出身だそうです。お父さんは大手のレコード会社に勤めていて、お母さんはピアノの先生。絵に描いたような音楽一家に生まれ育ちました。


 そんな両親の影響もあったのか、幼い頃からクラシック音楽から流行りのポップミュージックまで、幅広い音楽に触れてきたそうです。今と違ってアイドル歌手に興味はそれほどなく(笑い)、いいところのお嬢さんといった雰囲気でした」(I氏の知人)


 ジャニーズ事務所入社は今から30年ほど前のこと。音楽関連会社への就職を探すなか、父親の知人の紹介でメリー喜多川副社長(89才)に出会ったのがきっかけだったという。


「彼女はすぐにメリーさんに気に入られました。アイドル好きのミーハーではないし、他の女の子たちとキャピキャピつるむタイプでもない。それでいて愚痴をいわずに言われた以上の仕事をこなすタイプでした。当時のジャニーズのマネジャーは100%男性。それでIさんはデスクとして入社しました」(前出・知人)


 ジャニーズ事務所における「デスク」とは、事務所内に常駐し、電話連絡やデスクワークなど事務的作業を担当する係。I氏もそんな仕事を手伝っていたという。


「仕事ぶりは際立っていました。ただ、デスクには女性が多く、目立ちすぎてしまったからか、人間関係がうまくいっていなかった。入社した当時はぽっちゃりとした体形だったそうですが、数年でみるみるやせてしまったそうです」(前出・知人)


 当時、ジャニーズ事務所は「光GENJI」人気の全盛期。彼らに続き、超えていくアイドルをいかに作り出すかが事務所内の課題でもあった。


 とはいえ音楽業界には逆風が吹いていた。1989年に『ザ・ベストテン』(TBS系)が、1990年には『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)が終了するなど音楽番組が次々に姿を消していた時代だ。


 そんな中で結成されたのがSMAPだった(1988年)。デビューまでは3年もかかった。



「デビュー曲はオリコンチャートは2位だったものの、完全に落ちこぼれグループ。その後も鳴かず飛ばずで専属マネジャーもいない状態でした。


 見かねて面倒を見はじめたのがデスクのIさんだった。当時小学生でランドセルを背負っていた香取慎吾(38才)の勉強を見てあげたり、衣装が破れていたら繕ってあげたり、“お母さん”のような役回りでした。


 そうこうしているうちに、ジャニーさんから“I、面倒見てよ”とSMAPのマネジャー的な仕事も任されるようになったんです。当時、マネジャーをやるなんて、事務所の女性としては初めてのことだったと思いますよ」(テレビ局関係者)


 以降、SMAPはアイドルの王道とは異なる道を歩みはじめる。1992年、SMAPにとって初めてのレギュラー番組は『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)だった。


「ただコントに挑戦するだけでなく、当時のアイドルにはあり得ない格好悪いカツラをつけて芸人以上のリアクションで番組を盛り上げた。Iさんの提案でしたが、最初は本人たちも渋っていたんです。だけど、そのハメの外し方が新しいと彼らの人気に一気に火がついた。そこからメンバーはIさんのことを徐々に信用するようになっていきました」(前出・テレビ局関係者)


 1994年、デビューから2年半、通算12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』でついに念願のオリコン1位を獲得した。ここからSMAPの快進撃が始まる。


※女性セブン2016年2月4日号

NEWSポストセブン

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