橋下氏、東国原氏、竹中氏らがブレーンとして重用した謎の男

1月23日(水)7時0分 NEWSポストセブン

その男は、竹中氏の右腕だった(時事通信フォト)

写真を拡大

 通常国会の召集を前に、置き去りにされた議論がある。「水道と空港の民営化は本当に安全なのか」という問題だ。昨年9月に発生した関西空港のタンカー事故と、12月に成立し物議を醸した水道民営化法案は、民間企業に運営を任せる「コンセッション」という言葉と、ひとりの仕掛け人の存在で繋がっていた。それはどのように生み出されたのか。ノンフィクション作家・森功氏が知られざる経緯を辿る。(文中敬称略)


◆元大臣の告白


「コンセッションについては、検証が必要だとは思っています。たとえばインバウンドが右肩上がりで増えているような状況において、空港がうまくいく余地はある。しかし、需要が落ちる事業、市場が縮小していくものについては、果たして半永久的にコンセッションが可能かどうか。そこは慎重に検討しなければなりません。水道などはその一つかもしれません」


 国土交通大臣を務めた前原誠司(国民民主党)がそう語る。10年前の民主党政権時代、従来の公共事業の民間化を取り入れようとしてきたのが、ほかならない前原である。その前原でさえ、今ではコンセッションに異議を唱えている。


 前原が国交大臣として取り組んだ一つが、政府の管理する新関西国際空港の民営化だ。のちにそれが実を結び、仏の空港運営会社「ヴァンシ・エアポート」と日本のオリックスが40%ずつ株を出資してつくった「関西エアポート」が、関空および大阪国際空港(伊丹空港)の運営権を買い取った。そうして2016年4月、空港コンセッションの本格的な第一号として鳴り物入りでスタートしたのである。


 その空港コンセッション第一号の迷走ぶりは、前号(週刊ポスト2019年1月18・25日号)で書いた通りだ。昨年9月の台風21号の上陸で、滑走路が水浸しになってパニックに陥る。急きょ、首相補佐官の和泉洋人や国交省が乗り出して空港の復旧にこぎ着けたものの、企業統治(ガバナンス)の欠如や災害時の対応の拙さをモロに露呈した。昨年の事態について前原に尋ねた。



「災害時にどこが責任を持つか。おそらく(コンセッション)契約の中身が、その想定に入っていなかったのだと思います。国も対応が決まっていなかったので、初めはオリックスさんとヴァンシさんでやってくださいよとなった。いや、それは国でやることでしょう、とお互い押し付け合いになる。それで混乱したのでしょう。戦争や大規模震災などの有事では、空港という重要インフラは国が一義的に責任を持たなきゃいけない。それを契約のときに決めておく必要があるのです」


 さすがに関空を民営化した張本人だけに、あからさまに「コンセッションの失敗だ」とは言わない。


「衆院本会議場での隣がたまたま石井啓一国土交通大臣なので、国土交通大臣経験者同士として話す機会がありました。で、関空のほか、自然災害によるインフラ整備は国費でテコ入れすると言っていました。ああいう災害が起き、検証できて対応策がとれたのだから、むしろ私はよかったんじゃないかと思います」


 しかし前号で書いた通り、その検証作業は4か月経た今でも、さほど進展した様子がない。そもそも放っておいてもインバウンドで利益が上がるなら、コンセッションによる民営化が必要だったのかどうか。そんな疑問すら湧く。


◆「竹中先生が連れてきた」


 このコンセッションの旗振り役が、昨年11月まで官房長官補佐官だった福田隆之である。昨年暮れの臨時国会で、水道民営化の推進役としてその存在が取り沙汰されたが、一般にはあまり知られていない。


 1979年千葉県生まれの39歳。福田は2002年3月に早大教育学部を卒業し、野村総合研究所に入社して公共事業の政策を研究するようになったという。いったいどんな人物なのか。



 もともと政治や行政への関心が旺盛だったのだろう。福田は早大で政治サークル「鵬志会」に入り、大学4年時の2001年11月には、その延長線上でNPO法人「政策過程研究機構」を設立、代表に就任した。


「鵬志会は彼の原点で、その頃から自民党青年局の学生部に出入りし、早大の先輩議員の選挙を手伝っていました。卒論のテーマが『ニューパブリック・マネージメント』。文字通り、公共事業の民営化がテーマでした。そして大学卒業後、野村総研に就職してからもNPO『政策過程研究機構』の活動を続けていました。早大に通っていた東国原(英夫)さんが2006年に宮崎県知事選に出馬するにあたり、そのマニフェスト作成に関わりました。もともと有名人好きなのでしょうね」(知人の一人)


 前知事の談合事件を批判して出馬した東国原は「そのまんまマニフェスト」なる公約で「宮崎県を変える」と民間活力による地域経済の活性化を謳い、当選した。


 それで自信を得たのかもしれない。福田はそこから折々の政権中枢に近づき、自らの政策を実現させていく。


 日本におけるコンセッションの源流をたどれば、民主党政権時代の国交大臣だった前原が、福田を有識者として政府の委員会に招聘したことに始まる。紹介者が小泉純一郎政権時代に規制緩和で鳴らした竹中平蔵だという。小泉は「官から民へ」、前原は「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げたが、つまるところ公共事業を減らすという政策だ。


「国土交通大臣として私は、選挙公約として掲げてきた高速道路の無料化に取り組み、そこで親交のあった竹中平蔵先生にアドバイスを頂戴しました。そしてあるとき朝食会に竹中先生が福田さんを連れて来られ、紹介されました。で、国土交通省の中に成長戦略会議をつくって福田さんにメンバーに入ってもらったのです。その中でインバウンドをどう増やすか、という大きなテーマを掲げた」


 2009年9月に誕生した民主党政権で、前原は鳩山由紀夫内閣の1年間、国交大臣を務めた。目下、成長戦略における安倍政権の看板政策である訪日外国人旅行者の拡大政策は、その実、民主党時代の発想でもあった。



 福田はPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)やPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)政策の専門家として、野村総研から国交省の成長戦略会議に初めて出席した。それが2009年12月14日の第5回会議だ。と同時に、大阪府知事だった橋下徹も会議に招かれ、関空のLCC(格安航空)拠点化やインバウンド政策について、話し合っている。


 以来、前原と竹中の後押しを得た福田は成長戦略会議だけでなく、内閣府のPFI推進委員会にも参加するようになる。公共施設の建設から維持管理まで民間に任せるPFIそのものは1999年から導入されていたが、なかなか定着しなかった。そこで福田は、PFI法の改正を働きかけていく。


 そして2011年5月、法改正により政府や自治体が施設を所有したまま公共事業の運営を任せる新たなコンセッションの導入が可能になる。民主党では、鳩山から菅直人に政権が移り、前原は国交大臣から外務大臣に横滑りしたが、コンセッションには肩入れした。


◆震災で民営化が加速


 折しもこの年の3月11日、東日本大震災が東北一円を襲った。宮城県では津波が仙台空港に到達し、滑走路の航空機が流されていく衝撃的な場面がニュースで流れた。菅内閣は空港再建のため、関空に続く仙台空港の民営化に乗り出した。


 ちなみに、水道コンセッションは、空港より遅れて計画された感があるが、実は同時に進んでいたという。


「水道コンセッションもここから始まっています。東日本大震災が起きた直後の2011年5月、私は福田さんと仙台に行って村井(嘉浩)知事とお話をしました。このとき仙台空港の民営化だけじゃなく、水道も提案したのです」


 前原がこう振り返った。



「沿岸部がすべて津波で壊滅的な被害を受けた。そこで村井知事に、広域の自治体協議会をつくり、一体的に上下水道を管理、運営できるように改組してはどうか、そこに民間の経営手法を取り入れたらどうですか、と提案しました。まだコンセッションとは呼んでいなかったけど、村井知事は仙台空港と宮城の水道の両方を検討し、先に空港に手を付けたわけです」


 水道コンセッションには法改正が必要なため、後回しになったわけだ。全国の自治体の中では、宮城県が最も水道コンセッションに前のめりだとされるが、それは東日本大震災のときのこうした経緯があったからにほかならない。


 周知のように民主党政権は2009年から2012年12月までの3年しかもたなかった。現実には、それを引き継いだ第二次安倍政権で、コンセッションが動き始めたといえる。そこでも、民主党政権のときと同じく、中心は竹中−福田のラインだ。


 自民党が政権に返り咲く前夜の2012年3月、政府委員会に参加する有識者として顔を売った福田は、国内3大監査法人の一角である「新日本有限責任監査法人」にヘッドハンティングされる。パブリック・マーケッツ推進本部インフラストラクチャー・アドバイザリーグループの金融・PPP・PFI担当エグゼクティブディレクターという肩書で、取り組んだのが関空のコンセッションだ。大阪府知事だった橋下徹もいたく福田を評価し、福田は翌4月、関空と水道コンセッションを進めるべく、大阪府の特別参与にも就任する。


 一方、竹中平蔵は第二次安倍政権が誕生すると、明くる2013年1月、日本経済再生本部の下に置かれた「産業競争力会議」のメンバーに抜擢された。官房長官の菅義偉が竹中を推薦したとされる。菅は第三次小泉改造内閣時代に総務大臣だった竹中の下で副大臣を務めて以来、竹中の政策を信奉し、今でも頻繁に会っている。産業競争力会議は2016年9月、「未来投資会議」に衣替えするが、アベノミクスの成長戦略を担うエンジンとして期待されてきた。


◆関空から官邸へ



 福田はその竹中の右腕として仕えてきた。二人は空港と水道のコンセッションを実現すべく、二人三脚で取り組んできたといえる。


 たとえば2013年4月3日の「産業競争力会議」テーマ別会合では、竹中が次のように提案している。


「規制改革の突破口としての特区を今までと違う形で大幅に拡充したい。もう一つは、官業の民間開放としてのコンセッションを今までとは違うスケールで進めるという点。この2つが実現すれば、日本の経済にかなり違った景色をつくれるのではないか」


 念を押すまでもなく、竹中の挙げた2点のうち、特区の見直しは加計学園問題で注目された「国家戦略特区」であり、もう一つが福田と進めるコンセッションだ。政府の関係者が打ち明けてくれた。


「竹中先生がこうした委員会で提案する際のバックデータとして資料作りを担ってきたのが、福田さんでした。それだけでなく、会議にも出てきて竹中先生をサポートする。その構図は未来投資会議においても同じでした」


 実際、産業競争力会議関連の議事録を見ると、竹中と福田がコンビで登場する場面がやたらと目立つ。とりわけ2014年2月の「第2回産業競争力会議フォローアップ分科会」(立地競争力等)以降、毎回のように二人がそろって出席している。一例を挙げると、2015年4月13日に開かれた「第15回産業競争力会議」の実行実現点検会合にも、福田が民間の有識者として参加し、こうぶち上げている。


「(公共施設の)運営権の場合は(中略)民間に設定されるが、資産そのものは行政側に残る。行政側に残る資産は、当然何か大規模な災害などが発生した場合には復旧をしたりしないといけない。復旧をするときに交付税や補助金でその復旧財源を国から補填してもらう必要があると考えていくと(中略)公営企業を維持しなければ、交付税や補助金をもらうことが現状はできない」


 そうして竹中や福田は、関空や仙台空港のコンセッションに取り組んできた。わけても関空では、新日本有限責任監査法人が政府のアドバイザー企業に選ばれ、そこに籍を置く福田は関空コンセッション検討チームのリーダーになる。関空の関係者が明かした。



「ところがいざやってみると、きちんとした計画ができない。福田氏のつくった実施計画の素案を見て財務省が激怒したのです。ごく簡単にいえば、財務省は関空の借金返済にこだわっていたが、彼の素案では、仮定の計画ばかりで現実には返済のあてがないという内容。それでメンバーを替え、再び検討し直した。しかし彼は、解決策を探っていくギリギリの議論についてこれなかったのかもしれません。いつの間にか、検討会に参加しなくなり、懇意の村井知事の進める仙台空港に乗りかえていきました」


 これでは会社にも居づらくなったのかもしれない。そうこうしているうち、福田は新日本有限責任監査法人を退社してしまう。気づくと、内閣官房長官補佐官に就任していたという。


「竹中先生はずっと福田氏を使ってきましたから、福田氏が竹中先生に相談し、菅官房長官に推薦したのではないでしょうか。それで、2015年12月の年の瀬になり、官房長官が補佐官就任を記者発表した。さすがに驚きました」(関空関係者)


 2016年1月1日付で官房長官補佐官に就任した福田は、以前にも増して権勢を振るうようになる。同月に開かれた内閣府PPP/PFI推進室の「PPP/PFI推進タスクフォース全体会合」第1回では、議長の和泉に次ぐナンバー2の議長代理として参加。水道コンセッションのほか、北海道7空港の民営化を取り仕切っていく。(以下続く)


【PROFILE】森功(もり・いさお)/1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』(文藝春秋)で「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション」大賞を受賞。近著に『地面師』(講談社)。


※週刊ポスト2019年2月1日号

NEWSポストセブン

「ブレーン」をもっと詳しく

「ブレーン」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ