シンクロナイズ - 残像から実像へ 反呪法のための副解読書

1月25日(月)17時0分 Rooftop

Chapter01:結成前夜〜シンクロナイズ始動

──まずはシンクロナイズ以前のお二人の音楽活動歴を教えてください。

白石未来夫(以下:白石):外で音楽活動はしていませんでした。個人的に曲と歌詞は書いていました。

野本健司(以下:野本):小学校高学年からドラムをやりたくて、教則本を見ながら適当に叩いていました。中学の頃からベースとギターを弾き始めて、友人と遊んだりしていました。高校1年〜2年の頃は仲間と3人でフォークトリオを組んで軽音楽クラブで活動していました。後にセカンド・シングル『Priest』の頃にシンクロでベースを弾いているのは、このときの西山(哲史)です。

──シンクロナイズは1978年に結成され、同年9月に新宿ライヒ館でライブ・デビューを果たします。結成のきっかけはやはりパンクに触発されたからでしょうか? 影響されたバンドがいたら教えてください。

白石:マージービートと言われた一連のバンド、ニュー・ロック、サイケデリック、アートロック、プログレ…。そしてパンク、ニューウェイヴ。それぞれの時代のバンドに影響を受けてます。パンク時代以前からバンドはやりたいと思ってはいました。でもパンクは動きを促進させ、メンバーとの出会いをもたらせてくれたのは確かです。

──バンド名をシンクロナイズにしたのはどういう理由からですか?

白石:身の周りの世界でも遠い世界でも、世界と自分は同じ時間に同期している。あるいは同期せざるを得ないという意識が音楽を演る動機と結びついていたと思います。

──1980年に発表された『都市通信』(注:レコーディングは1979年)に参加する前は、ライブ活動が中心だったのでしょうか?

白石:そうです。1曲でも多く曲を作ろうとしていました。

──その間にメンバーチェンジもあったようですが。

白石:メンバーチェンジは何度かありましたが、メンバーとして落ち着いて取り組むことができるようになったのは『都市通信』のメンバーからです。小暮(義雄)くんは雑誌の募集に応じてくれました。國井(聡)くんは小暮くんが連れてきました。メトロにいた横田(尚美)さんは僕がライヴハウスで声をかけたらしいです。僕は忘れてますが、横田さん本人がそう言ってました。

──バンドの最初期には、後にVanity Recordsからアルバムを発表するToleranceの丹下順子さんがメンバーだった時期もあるようですね。

白石:メンバーといえるほど定着してはいなかったと思います。お互い同士で試用期間を設けたような状況だったのだと思います。しかも短い間のことです。でもライヒ館に一緒に出ていました。

──MUNION発行の『日本のパンクロック』によると、ライヒ館でのデビュー当時のメンバーは、ボーカルとギターが白石、キーボードが丹下、ベースが坂本、ドラムが江口という布陣だったようですが。

白石:ギターが江口、ベースが坂本、キーボードが丹下、ドラムが吉川、ボーカルが白石。これが正解だと思います。

Chapter02:『都市通信』〜野本健司の加入

──企画グループ、海賊艇Kとはいつ頃どのようにして出会い、『都市通信』に参加することになったのでしょうか?

白石:森(未来)くんとどこで出会ったのか場所は覚えていませんが、出会ったときのことは覚えてます。初対面なのに異常に愛想がよく、昔からの知り合いのような気軽な口調で話しかけられました。かえって警戒してしまいました。『都市通信』に参加する経緯は覚えていません。おそらく森くんに誘われたのだと思います。

──『都市通信』のときにベースだった國井聡さんはその後脱退して、女性ボーカルのポップ・ロック・バンド、READYに参加。1981年4月に日本コロムビアからデビューします。かつてのメンバーが、芸能事務所が組ませた業界ロック・バンドに関わっていくことをどう思っていましたか?

白石:もともと彼はオーソドックス・ロック志向のテクニック派で、ニューウェイヴ系志向ではありませんでした。でもお互い方向性の違いはあっても音楽の姿勢では通じるところが多大で一緒にやっていて、まったく違和感はありませんでした。そのことが不思議でもありました。僕は志向性の違いの問題を忘れさせてくれるくらい彼の人柄が好きだったので、彼が去ったことにネガティブな感情を抱くことはありませんでした。すぐに美れいの(実方)仁美ちゃんが後を継いでくれたこともあり不都合もありませんでした。彼が去ったのは残念でしたが納得はしてました。その後、彼は業界に長くはいませんでした。自らの意志で業界と距離をとったようでした。彼の素朴な性格からして芸能業界は合わなかったのだろうなと想像してます。

──野本さんが加入することになった経緯というのは?

白石:海賊艇Kと関わるようになったら、気がつくと彼がなんとなく近くにいるなと感じて、横田氏が辞めたタイミングで彼にキーボードをやってくれないかと頼みました。それが始まりです。

野本:ちょうど(自分が)ノンバンドを抜けた後に(シンクロでは)キーボードの尚美ちゃんが抜けていて、その助っ人的な感じで参加しました。それで、つくばアクアクでS-KENとシンクロがライブをやったときに「KENはギターが良いんだよ」とS-KENの田中(唯士)さんが言ったことで、すぐにギターに変更となりました。たぶんキーボードとしてのライブはその1回だけだったと思います。その後すぐにベースの國井くんも抜けてしまい、代わりに解散していた美れいの仁美ちゃんが(ベースで)参加することになりました。

──ノンバンドのオリジナル・ギタリストとしての活動からシンクロナイズに参加するまでの野本さんの活動の歴史を教えていただけますか?

野本:ノンバンドに参加したのは17歳(高校3年)のときでした。ノンバンドの活動は1979年7月から1980年2月24日の『都市通信』発売記念GIGまでで、その後、S-KENの田中さんに誘われてS-KENでギターを弾いてました。S-KENでのライブはディスコむげん等の数回だったと思います。

──野本さんはシンクロナイズと並行して江戸ッ子というバンドでも活動されていたそうですが、江戸ッ子はどのような経緯で結成されたのですか?

野本:パンク系のライブによく来ていた増渕(利恵:後にコリーナ・コリーナ、コンクリーツ)さんと話していたら「バンドがやりたい」というので、「じゃあやればいいじゃん」ってことで始まりました。シンクロはメンバーが抜けたりして活動があまりできていない時期だったと思います。増渕さんがベース、当時の増渕さんの高校の友人の池野さんがドラム、私がギターという構成で、16〜18歳で全員が高校生でした。増渕さんと池野さんの高校の文化祭にも出演しています。後に池野さんが受験に専念するということで抜け、代わりにモモリン(後にGAUZE)が参加しました。モモリンも高校生でパンク系のライブをよく見に来ていて増渕さんが声をかけました。江戸ッ子の詩や曲は増渕さんと私が作っていました。ノンバンドではノンがすべての曲を作っていましたし、私も初めてのバンドなのでほとんど曲作り音作りに関わることなく抜けてしまいましたし、S-KENでは単純にギターを弾いていただけですし、シンクロも参加した当初は白石くんの曲のレパートリーがしっかりありましたので、江戸ッ子では曲作り音作りについて自分が主体となって試して遊んでいました。

──野本さんは海賊艇Kのスタッフでもあったそうですが、スタッフとしてはどのようなことをされていたのでしょうか?

野本:海賊艇Kを主宰していた森未来(野本耕作)が兄でしたので、自動的に手伝うようになりました。当初はミニコミ『マインドゲリラ』用にライブの写真を撮ったりレポートしたりという感じでしたが、海賊艇Kがライブ企画を行なうようになると、チラシ作成とチラシまき、ほとんどのライブの当日の設営スタッフ、参加バンドとの打ち合わせなどをやっていました。写真を撮りに行ったライブでノンのメンバー募集を知り、応募して参加することとなりました。数回セッションしただけですぐに1979年7月に屋根裏でノンバンド(ノンと2人だけ)としてデビューしました。

──お兄さんが海賊艇K主宰者だったということは、『都市通信』リリース後のゴタゴタに巻き込まれて大変な思いをされたのではありませんか?

野本:正直なところ、それどころではなかったです。18歳で家業が倒産してホームレスになりましたので、日雇いバイトして三畳間を借りて落ち着くまでの2週間程度は何も手がつかない状態でしたし…。とはいいつつ、バンド活動は続けていたので、森くんはバックレましたが『ストリート・サバイバル宣言』(1980年6月14日に開催された海賊艇K主催のオールナイト・イベント)にもシンクロとして出演してますし、同時期に『ニュー・ディスク・リポート』付録ソノシートのためのレコーディングもしていました。『都市通信』の通販の云々などまったく考える余裕すらありませんでしたね〜。

Chapter03:New Disk Report〜「訪問者」「Priest」

──DISC-1の1〜3曲目(「都市通信」「転写」「Easy Money」)には、1980年6月にスタジオ・マグネットで録音された未発表音源が収録されています。ミニコミ『ニュー・ディスク・レポート』の付録ソノシート用に録音されたという音源が、これなのでしょうか?

白石:そうだと思います。正直、オープンリールが残っていることも忘れていました。

野本:『ニュー・ディスク・レポート』の付録ソノシートにするということで、「都市通信」「転写」「Easy Money」「Cool Point」の4曲を録音しました。どの曲を使うかは決まっていませんでした。

──録音されたものの未発表でお蔵入りしてしまったのは、雑誌自体が発行されなかったということですか?

白石:その辺も覚えていませんが、そうだと思います。

野本:『ニュー・ディスク・レポート』を発行していた守屋(正)くんからの依頼でしたが、『ニュー・ディスク・レポート』自体の発行が頓挫してしまいました。守屋くんはライブ企画などでも親交がありましたし、『ニュー・ディスク・レポート』中のレコード評を私が執筆していました。江戸ッ子として参加した『ハチ公前ゲリラ』も守屋くんからの誘いでした。

──シンクロナイズとしては、1981年にようやく最初の7インチ・シングル『訪問者』がリリースされます。リリース元のPLAZA RECORDSというのは自分たちで設立したレーベルなのでしょうか?

野本:そのとおりです。

白石:設立したというほどのことではないのですが、名前がないと寂しいのでこのレーベル名を付けました。

──『都市通信』の頃はまだパンキッシュな荒々しい勢いが目立つポスト・パンク・サウンドであったのに対し、シングル『訪問者』はネオ・サイケ的な色合いが濃くなっています。サウンドの変化は、当時の白石さんや野本さんの音楽的嗜好性を反映したものだったのでしょうか?

白石:パンクというブースターを装備した上で、違う嗜好性を出してみた感じですかね。ケンが作った曲ですが。僕にもまったく違和感はありませんでした。

野本:正直、私が参加したせいだと思いますね。『訪問者』のレコーディングはかなり私の好みが反映されたものになりました。そのころから私が曲も作るようになっていて、「訪問者」も「幼年期」も私が元の曲を作りました。

──DISC-1の6曲目「連続線」は1981年に録音された未発表テープの音源となっています。これはシングル『訪問者』と一緒に録音されたものの、レコードには未収録だった音源なのでしょうか?

白石:そうです。練馬にあった個人経営studioで録りました。録音にはかなり時間をかけました。数日費やしたと思います。夜中までかかることもあり、電車もバスもなく練馬から西荻まで歩いて帰ったことも何度かありました。

野本:「訪問者」「幼年期」「連続線」「迷宮」「Holiday」の5曲を同時にレコーディングしました。「連続線」は出来が良かったのですが、シングル盤に収まらない時間であきらめたような記憶があります。

──CDの解説でコサカイフミオさんが白石さんの書く詞の独特な世界観を高く評価されています。白石さんは詞を書くうえでどのようなことを心がけていたのでしょうか?

白石:日常使わないような言葉でも響く場合があるので、基本的には言葉の制約を自分に課さないようにしてます。制約なしをポップに仕上げるのが大事だと、個人的には思ってます。
 連想仕様にしない。連想でイメージ言葉を連ねると、一見、詩らしく見えたりしますが、整合感を失い冗長になります。
 描き過ぎない。上の注意点と重なるところですが技術的なことに捕われると、つい描き過ぎます。
 クールでありたい。陶酔という湿度には注意が必要です。言葉は湿度に弱い気がします。湿度が上がると響かなくなります。ただでさえ母音の連なりのために重量がある日本語がさらに重くなります。
 この辺はコサカイさんが書いてくれたことに通じていると思います。

──キーボードで大桃修一さんが参加されていた時期がありましたが、彼はシンクロナイズの前はモンゴル・キャベツというバンドに参加していて、シンクロナイズ脱退後はD-DAYに参加します。彼が加入した経緯は?

白石:その頃ドラムの小暮くんがモンゴル・キャベツに参加していて、小暮くんがうちに復帰するときに大桃くんも引き連れてきました。大桃くん、小暮くん、それに僕は◯◯倶楽部を結成していました。これは音楽には関係ありませんが。余談ですが大桃くんはよく金縛りにあっていました。

──1983年に発表された2枚目のシングル『Priest』はPOLAR RECORDSからのリリースですが、これも自分たちで運営していたレーベルなのでしょうか?

白石:そうです。

──『Priest』は、ファクトリーなどヨーロッパのインディ・レーベルに通じる淡いタッチの(エレクトロニック・ポップとネオサイケとネオアコをミックスさせたような)抒情的な音になり、この路線はザ・スカーレッツでさらに発展していきます。これは、意識しての変化なのでしょうか?

白石:特に意識はしていませんでした。自分たちにとっては自然な流れでした。

野本:『都市通信』から『訪問者』の音の変化も、『訪問者』から『Priest』の音の変化も、どちらも特に何かを意識したということはありません。実際、「Priest」「Mode」「Disillusion」の反呪法三部作の元曲は『訪問者』のレコーディング中のスタジオで、休憩時間を利用して作り始めていたものですし。ただし、『訪問者』のレコーディング直前にキーボードの大桃くん(後にD-DAY)が抜け、ドラムの小暮くんが不在となり、やむなくドラムマシーンになったため、音作りも変わったという面は大きかったと思います。

──その後もメンバーが幾度かチェンジしますが、中期から後期にかけて参加されている方々はどういう流れで加入されたのでしょうか? それまでの経歴など、覚えている範囲で良いので教えてください。まず、川野陽子さんは?

白石:川野陽子さんは雑誌の募集に応じてくれました。彼女はOLで、バンド経験はそれまでなかったと聞いた覚えがあります。

──山口健太郎さんは?

白石:山ちゃんはケンの高校時代の同級生です。

野本:山口は西山と同様に私の高校の同級生です。彼はプログレが好きで、音楽的に嗜好が合ってバンド以前から友人関係でした。シンクロのライブにもよく来てくれていて、デンスケでライブ録音などしてくれていました。ドラムが抜けたタイミングでドラムマシーンのオペレートとして参加してもらって、徐々にキーボードも弾いてくれるようになりました。

──佐藤敏文さんは?

野本:白石くんが飲み屋で声をかけたんじゃなかったっけ?

白石:彼とは西荻の居酒屋「庄屋」で出会いました。偶然、隣の席にいました。話してみたら音響技術系の専門学校で学んでいて、ニューウェイヴ系が好きということでした。その数日後か、数週間後にベースをやらないかと誘いました。彼もバンドは初めてだったはずです。

──橋本由香里さんは?

白石:ケンのファミリーであります。メンバー欠員で困ったときに助けてくれる女性。今現在もバンドがお世話になってます。

野本:橋本さんは私の妻ですね(笑)。ずっと夫婦別姓なので。彼女は1980年頃に友人とミニコミを作っていて、江戸ッ子が出演した法政の『Save Momoyo』(1980年11月29日)のときにインタビューを受けたのがきっかけで知り合ったんだと思います。『訪問者』のレコーディングも見学に来てましたし、シンクロの曲をよく知っていたということもあり、トシちゃんが抜けた後にベースとして参加してくれました。スカーレッツ名義のカセットでもベースを弾いていますし、CDに収録されているチキンシャックのライブも彼女です。2月19日の新宿ロフトで行なわれるレコ発ライブでもベースとして参加する予定です。

Chapter04:反呪法

──DISC-1の9曲目に収録されている「Disillusion」は、シングル『Priest』制作時に一緒に録音した未発表音源でしょうか?

白石:そのとおりです。本当は「Priest」「Mode」と3部作として作ったので、3曲収録が理想だったのですが。今回CDに収録できたのは嬉しい限りです。

──CDの帯にも「反呪法のための考察」というコピーが書かれていますが、「Priest」「Mode」「Disillution」を「反呪法三部作」と位置付けたのは、どういう理由からなのでしょうか?

白石:社会、所属世界への違和感、不都合感などの表現はロックが引き受け得る、特長であり包容力だと思います。ただそれらが反発として膨らみ過ぎると呪歌になるのではないか? そんな疑問が湧きました。反発、否定感情に飲み込まれずに違和感と付き合うには? 無力な私は世界と自分の関係にクールな視線を持ち続けるぐらいしかできない。その想いから反呪法のためとコピーを付けました。少し大袈裟なコピーで恥ずかしいのですが。これは僕なりのユーモアも加味してあります。「こんな大そうなコピー付けちゃって」と笑ってもらってかまわないのです。呪術戦というのは道を説く者と邪道の者との間で行なわれます。そこで3作を通じて呪法ファンタジーっぽいイメージで統一しようと3部作としました。とはいえ3部作には邪道の者は登場しません。「Priest」では道を説く者の不確かさと脆弱さみたいなものを書き、道を説く者を簡単に信用するなというニュアンスになりました。「Disillusion」では道を説く者の予言など気にしないでクールにいこうぜというニュアンスです。「Mode」では自分の考えを最新モードにして、自分の考えを信じろと。そういうわけでこの順序が僕が考えた3部作の本来の順序です。

Chapter05:未発表アルバム『Polar Song』

──1984年にはアルバム『Polar Song』のレコーディングをしていながら、発表することなくお蔵入りしてしまったのは何か理由があるのでしょうか?

白石:録音だけで息が切れてしまったような記憶があります。

野本:資金不足だったかと思います。雪山でジャケット用の撮影まで行ったのですが…。

──今回の裏ジャケットに使用されているのは、そのときの写真でしたか!

白石:そうです。シンクロ号で雪山に行って撮りました。寒い極地のイメージを求めて雪山に向かいました。

野本:ちなみに『Polar Song』のレコーディングでは、芸大の学生さんに手伝ってもらって生バイオリンを入れていますね。よくシンクロを見に来ていた芸大の、女性に私がギターで作ったものをスコアに起こしてもらいました。このレコーディングはかなり頑張りました。

白石:スタジオに女性音大生を3人呼んでバイオリンとチェロのパートを録音しました。

──DISC-1から3までを通して聴くと、シンクロナイズがサウンドをどのように変化させていったが分かる内容になっていますね。野本さんはご自身のギターの音色や演奏タッチを変化させていくうえで触発されたバンドやギタリストはいますか?

野本:小中学校時代に聴いていたプログレに影響を受けているのは間違いありません。ピンク・フロイド、イエス、マイク・オールドフィールドが好きでした。日本ではコスモス・ファクトリー、四人囃子、喜多嶋修、クロニクルなんかが好きでしたね。高校時代には、意識的にロックではない音楽もよく聴いていました。現代音楽や民族音楽なんかもよく聴いていました。当時のパンク・ムーブメントに触発されてバンドに参加しましたが、当時の周辺のバンドで影響を受けたバンドはありません。海賊艇Kのスタッフとして相当数のバンドをリアルタイムで見ていますが、音として影響を受けるようなバンドはなかったな〜。唯一、午前四時は格好良かった。

──海外のポストパンク/ニューウェイヴのバンドはどうでしたか?

野本:PILには衝撃受けましたね。特に1stと2ndは圧巻でした。音作りとしてはTHE SMITHの後期、エコー&ザ・バニーメンの初期も好みですね。ですからウィル・サージェントやジョニー・マーは好みです。常に意識しているのは音はなるべく少なく、不必要な音やメロディは排除、できるだけ少ない音で最大の効果を、ダークなものや暗いものは限りなく美しい音で、難解なものほどポップな音に。という感じです。白石くんのボーカルや歌詞はダークで暗く難解に受け取られがちなので、とにかくサウンドは美しくポップに(笑)。

──「NOBUYA」というタイトルの曲がありますが、これはあの金属バット殺人事件を起こした青年がモチーフになっているのでしょうか?

白石:最初の発想はその通りです。あの事件は詳細は覚えていないのですが、NOBUYAは受験戦争を強いる父親を憎み、殺害に至ったと記憶してます。支配構造に組み込まれている受験戦争を離脱するには殺害しかなかったのか? 支配構造はそこまでの憎悪を生み出すのか? そう考えさせる事件でありショックでした。そして作っている途中で普遍性を持たせたいなと思いました。ノブヤの表記をアルファベットにしたのはそのためです。そこで事件内容には触れず、支配構造が待ち構える社会だけれど、2人目、3人目のNOBUYAにはならないでおこう。ならずにおこう。みたいな内容にしました。

──DISC-2には、シンクロナイズのライブ音源が時系列に沿って収録されています。膨大なライブ音源の中からどのようなポイントで曲をセレクトしたのでしょうか?

白石:それぞれの時期で演奏頻度の高いもの。演奏が割と出来のいいもの。歌詞の間違いがないもの。を選びました。とはいうもののほんの少し歌詞の間違いがあります。それから希少性です。特にCD-3(The Skarlets Studio & Live)のライブ曲はチキンシャックでのものなのですが、あの音源に入ってる曲の大半はあれ1本にしか残っていませんでした。

野本:CD-1のスタジオ版と比較して聴いて面白いように考えました。シンクロの主要な曲が漏れないようにも配慮しました。活動が10年以上にわたるので、その中で変化していく曲もあります。その辺の変化が分かるようにも考慮しました。もちろん演奏が良くてミスしておらず音質が悪すぎないものということもあるため、相当時間をかけて吟味を重ねました。コロナの時期ならではの作業でした。

Chapter06:改名〜活動停止〜その後

──バンド名をザ・スカーレッツに改名したのは、どういう理由からですか?

白石:これも自然の流れでしょうか。あるとき、今演ってるのはシンクロナイズという名前に合わないなと、ふと気づきました。スカーレッツにしたのは色を表す言葉であること。汚れなき清純さと俗っぽさの両極の意味があることに惹かれました。

──改名は、白石さんと野本さんが話し合って決めたことなのでしょうか?

野本:白石くんが決めました。シンクロは言葉に関することはすべて白石くんが決めますね。誰一人異をとなえません(笑)。

──ザ・スカーレッツのライブではどういうバンドとよく対バンをされていましたか?

野本:スカーレッツの活動はレコーディングが主となっていて、ライブはCDに収録されているチキンシャック(対バンは突然段ボール)の1回だけだったかもしれません。

──ザ・スカーレッツがリリースした2本のカセットは「Recorded at ken's home」とクレジットされています。これは野本さんの自宅で録音されたということだと思われますが、当時の宅録環境を教えてください。

野本:TOAの8トラック・マルチトラック・カセットレコーダーを私が購入したということ、ドラムが不在でドラムマシーンだったことで、自宅録音が可能となりました。一戸建てですがことさら防音などはしておらず、ボーカルはクローゼットの中で録音しました(笑)。自宅録音としたことで音を作りこむことができました。逆に言うとかなり私の個人的な音作りになってしまい、バンドとしてはどうなのかな? という部分もなくはありません。

──ザ・スカーレッツは何年頃まで活動したのでしょうか? 活動を停止した理由は?

白石:スカーレッツは1987年から1990年まででしょうか。停止した理由は、精神的に行き詰まってしまったからでしょうか。モチベーションが保てなくなりました。少しバンドを休もうと思って、練習を保留にしたのですが、そのまま数十年経ってしまいました。

野本:収録されているライブ音源の直後で活動は停止となりました。理由はよく分かりません。白石くんの個人的な理由だったのかもしれませんね。もしくはほとんどのサウンドを私が一人で作ってしまうようになっていたので、今から思うとバンドとしては成立しなくなっていたのかもしれないなと…。そもそもライブ活動自体ほとんどなくなっていましたし…。自然消滅したように感じています。

──ザ・スカーレッツの後に白石さんはBLOSSOM FOREVERSというユニットで活動されていたようですが、これはどういうユニットだったのでしょうか?

白石:一度スカーレッツを休止した後で、この先モチベーションを保てるのか確信が持てない状態の頃です。無理なく自身の意欲度を上げられるのか確かめてみたいと思いました。そんな試験的あるいはリハビリ的な意味合いを持ってやってみたユニットでした。スタジオ内での音出しまでで、活動といえる域までにはいきませんでしたが静かな充実感。穏やかな楽しみみたいな感覚を得ることができました。記憶財産。

──その後はどのような活動をなさっていたのでしょうか?

白石:普通に社会人でした。音楽活動はつい最近まで個人レベルでもまったくやっていませんでした。

──野本さんはスカーレッツの後はどのような活動をされていましたか?

野本:バンド活動がなくなってからしばらくは何も音楽活動はしていませんでしたが、DTMが発達して一人でも音作りできるようになったため、ソロで録音していました。これは(kenji nomoto名義で)リリースしたソロCD(『music for myself』)のA面に収録されています。それも本業が忙しくなり休止していましたが、コロナで時間ができたので再開しました。これはソロCDのB面に収録されています。

Chapter07:『An afterimage』〜未来

──今回シンクロナイズからザ・スカーレッツまでの音源をこういう形でまとめることになったのは、どういう経緯からですか? 昔から考えていたことなのでしょうか?

白石:昔はまったく考えていませんでした。最初はシンクロナイズのスタジオ録音とライブ音源からセレクトしたものを考えていました。2枚組になりそうな感触でした。3枚組にしたいという石戸さんの意向を知ったのは昨年の秋ぐらいでしょうか。3枚ということでスカーレッツ時代の音源も加えることになりました。ケンが音源を多数所有していることで、選曲は彼に頼ってしまいました。

──選曲や内容に関して野本さんはどのようなアイデアや意見を出されましたか?

野本:というか、企画構成や選曲については私がすべてを任されていました。私が選んだ「偽装」という1曲だけは、歌詞に問題があるため収録したくないという要望が白石くんからあったため変更しましたが、それだけです。

──自分たちの過去の音源をまとめて聴き返してみて、どう思いましたか?

白石:密度が濃いなと思いました。初期の言葉の散らかり具合、曲と歌詞の緩やかな変化、その過程の曲数の多さ、それらがまとまって密度の濃さになってるなと思いました。曲のなかにはバージョン違いなども含め、忘れていたものが多く、その点は新鮮な想いで聴けました。ケン加入後から言葉がいくべき方向に向かい始めたなと。そしてそれは音も並行進行してるなと感じました。

野本:30年〜40年も経っているので、すごく客観的に聴けました。活動期間が10年以上になるので、年代によって音楽性も変化しているな〜と。スカーレッツは意外と古く感じない。「抱擁」なんてまさに今の曲なんじゃないかな〜と。それからレコーディングを機に音を作り込むため、レコーディングごとに変化していくな〜と。音楽性が変化していっても不思議とシンクロ(スカーレッツ)らしいな〜と。ライブ音源は、何よりギターが下手だな〜と(笑)。こんなに曲数あったっけ?

──2月19日にはCD発売記念ライブがあります。シンクロナイズは完全に再始動したと考えてよいのでしょうか? 再始動した理由は? また、今後どのような活動を計画していますか?

白石:再始動したのは、ある友人にまた演って欲しいと強く勧められたからです。彼がいなかったら再始動もなかったと思います。今の状況下では先の予定を立てるのは難しいですが。新旧含めて未収録の曲を録音できればいいなと思ってます。

野本:バンド活動は再始動しています。ただしメンバー全員が高齢なので、あくまでゆるく。(2020年11月8日の)高円寺SUB STOREでのミニライブでも新曲を演奏していますが、すでに数曲の新曲を作っていますし、活動休止でレコーディングできていない曲についても、ちゃんとレコーディングするつもりです。

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