ジェームス小野田 米米CLUB解散と再結成とSMAPに言及

1月25日(水)7時0分 NEWSポストセブン

米米CLUBのジェームス小野田がSMAPの解散を語る

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 2016年12月31日をもって解散したSMAP。木村拓哉とそのほかの4人とが対立、こじれた関係が修復できずに解散に至ったとされている。


 メンバー同士の“不仲”が原因で解散したグループは枚挙にいとまがない。『浪漫飛行』など100万枚を超えるミリオンセラーを生んだ米米CLUBは12年活動を続けたのちに1997年に解散した。その理由は当時、カールスモーキー石井の借金が原因で不仲になったと報道された。メンバーのジェームス小野田(57才)が初めて当時について明かした。


「メンバーは学校も一緒でずっと友達。最初は仲間で面白いことをやろうという感覚で曲を作っていて、だから『コミックバンドだ』といわれてたんです。ハナ肇さんからも『きみたち面白いね。クレイジーキャッツバンドだろ、ドリフターズだろ。それでそのあとが米米CLUBだよ』って言ってもらって…まだ全然有名になってなかったころだけど、そのころは楽しかった。いやあ、楽しかったなあ…」


 しかし曲がヒットし、人気が出てくるとプロデューサーも付き始め、かかわる人の数や動くお金の額も膨大になってくる。周囲からの期待も、当然膨らんだ。


「そうなると、自分たちが楽しいことだけをやっていくわけにはいかない大人の事情があるんですよね。解散前に、森(且行)くんがSMAPを脱退した時みたいに、メンバーが2人辞めたんです。その時に何かが違うなっていう違和感というか、しっくりこないところはありました。それでも、米米CLUBを存続しなければいけないという周りからのプレッシャーと期待感があって…。ありがたいと思うと同時に、そうじゃないんじゃないかという気持ちがありました」


 そんな時、脱退したメンバーがライブを見に来たことがあった。


「『おれたちはこんなバンドにいたのか』なんてことを言われて…ショックだったけれど、やっぱりそうかという思いもありました。その後何度も話し合いをして、一度解散しようということになったんです」


 10代から始めるからこそ、成長し、年を重ねるにつれて性格や考えの違いが出てくる。25年続いたSMAPも結成時はみんな10代。結成8年目に森がオートレーサーの道を歩むために脱退。その後、キムタクの結婚で解散説が出たこともある。2014年の27時間テレビではSMAPのメンバー自らが「解散の危機は4、5回あった」と明かしてもいる。そう考えていくと、青春時代から40代を迎えるまでグループでいたことの奇跡と、そこにずっと立ち会って来られた幸運を感じずにはおれないのではないか。



 米米CLUBは、1997年に解散し、2005年に再結成した。ジェームス小野田が振り返る。


「再結成の大きなきっかけは、ギタリストのCharさんの50才の誕生日会でした。息子さんが内緒で誕生日会を企画して、米米CLUBにサプライズで登場してほしいと頼まれたんです。ハッピーバースデーの歌を作って、3曲くらいやりました。リハーサルもしてないからすごく下手なんだけど、みんながいいね、って言ってくれたのがうれしくて。ずっとギターを弾いてないからうまくできなくてカッコ悪いんだけれど、それもなんか楽しいんです。そこで確信したんです。今だったらもう一度、できるんじゃないかって」


 再結成にいたるまで10年。解散直後ジェームス小野田は舞台俳優として活動を始めたものの、最初は台詞を覚えずに稽古に行ったこともあった。


「ものすごく怒られました。そんな当たり前のことも、わからなかった。本番初日は大雪だったのですが不安でいっぱいな気持ちとその雪景色はすごく覚えています。米米CLUBでコンサートをやった時は不安になったことなんてなかったのに」


 ジェームス小野田だけじゃなくメンバーそれぞれがいろいろな経験をしたからこそ再結成することができたのかもしれない。


「前は、石井さんに全部準備してもらっていたけれど、今はみんなでアイディアを出し合ってます。これまでにみんなが吸収してきたことが、表現として生きて来るんです。だけど、こうやってまた活動できるまでに10年が必要でした。解散してすぐの頃は、新しい道に進もうとしていたから米米CLUBのことを聞かれたり、曲をやってほしいと言われるのがすごく嫌だったんです。だからSMAPが今後どうなるかは誰にもわかりませんが、少なくともそういう気持ちに傾くまでには、まだ時間が必要なんじゃないでしょうか」


※女性セブン2017年2月2日号

NEWSポストセブン

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