大林宣彦監督「撮りたい映画がたくさん。死んでいる暇ない」

1月25日(金)11時0分 NEWSポストセブン

がんを克服し撮りたい映画に没頭する

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「がんが骨に転移しています」──昨年10月、医師にそう告げられると、大林宣彦(81)は微笑みながら意外な言葉を口にした。


「『ああ、よかった』と呟いていたんです。先生には『がんになって喜んでいる人はそうそういませんよ』と驚かれましたけど、見つかったからこそ治療できる。絶望なんて気持ち、全然ありませんでした」


 2016年8月、大林は映画『花筐/HANAGATAMI』のクランクイン直前にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けたが、特定の遺伝子変異のある人にしか効かないとされる抗がん剤「イレッサ」によって一時はがんが消えたというから、今回の骨転移は大きなショックだったはずだ。


 放射線治療の前に、医師は努めて冷静に「5日ほどで髪の毛が抜け始め、2週間もすればすべてなくなります。副作用も避けられません」と通告した。


「断言されると反抗したくなるんです。『僕の髪は絶対抜けない。賭けましょう』と宣言したら、治療が終わった翌日までフサフサしていた。先生に『賭けに勝ちましたよ』といったら、『負けました』と笑って頭を下げられました」


 ところが、賭けに決着がついた夜、頭を洗うと髪の毛がすべて抜け落ちた。


「不思議なもので、しばらくすると抜ける前は白髪だったのに、黒髪が生えてきたんです。しかも、2週間の放射線治療が終わると、がんが消えてなくなりました。人間の身体って、その人の意志でどうにでもなるんですよ」



 穏やかな語り口で淀みなく語りかける大林は、1月9日に81歳を迎えた。移動の際は車椅子に頼ることも多く、かつてのように自由に身体が動くわけではない。それでも昨夏、故郷の広島・尾道で新作『海辺の映画館─キネマの玉手箱─』の撮影を約1か月半行ない、10月には『花筐』の上映会で北海道・芦別まで出向くなど、驚くほど精力的に活動している。


「できれば、飛行機や新幹線にはあまり乗りたくない。本当は、在来線で行きたかった。時間と距離がシンクロしていないと気持ち悪いんですよ。飛行機を使うと、浜松より九州のほうが近いでしょ? 地図はどうなっているんだといいたくなるんですよ」


 誰もが素直に受け入れることにも、違和感を持ち続ける。思えば、大林は社会の通念を打ち破りながら人生を歩んできた。1960年代半ばから1970年代にかけて、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンの「マンダム」などを演出し、ハリウッドスターが日本のCMに出演する足掛かりを作った。その手腕が認められ、1976年に東宝から映画監督の依頼を受ける。


 助監督から監督に昇格する業界のルートを歩んでいないことで反発を買い、映画『HOUSE』の公開は立ち消えそうになる。しかし、物語のコミック化やラジオドラマ化などメディアミックスを自ら仕掛けて一大ブームを巻き起こし、映画化に漕ぎ着けた。


「他の業界の人間が、いきなり監督を務めるなんてありえなかった。日本映画史上初めてです。でも、壁を感じたことはありません。いつも楽しかった」


『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』という“尾道三部作”で映画監督としての地位を確固たるものに。1989年には“世界のクロサワ”黒澤明監督出演のCM演出を、本人から直々に依頼された。



「クロさんは『撮りたい映画はいつも30本くらいある。でも、どの1本をやるか俺が決めるわけにはいかない。旬じゃない時に表現者がいくら表現しようとしても無駄だよ』といってました」


 年内公開予定の新作映画は、現代の若者がタイムスリップし、原爆投下直前の広島にやってくるという内容。現在、編集作業に日々取り組んでいる。


「体調を考えて仕事は昼から夕方6時ごろまでと思っていても、気づくと11時になっていたりします。病気になっても、ここまで生きてきた意味を考えると、戦争を知る最後の世代としてその悲惨さを伝える責務を痛感します。まだまだ撮りたい映画がたくさんあって、死んでいる暇はないんです(笑い)」


 大林宣彦はどんな状況でも、ただひたすら前だけを向いている。


■撮影/佐藤敏和、取材・文/岡野誠


※週刊ポスト2019年2月1日号

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