瀬戸内寂聴「今年99歳。夜中に転倒し入院しても、いまだ書ける喜び」

1月26日(火)18時0分 婦人公論.jp


「不幸だと思ったできごとが、実は思いがけない幸福への入り口になることだってあるのですから、コロナ禍の間に暮らしを見直し、価値観を変えることで、次の道が開けるかもしれません」(撮影:本社写真部)

今も仕事で徹夜をすることがあるという。100歳が目前に迫り、体に不調はあるものの、十分幸せだと感じる理由とは——(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部)

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価値観を変えれば次の道が開ける


世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大するという思わぬことが起きた2020年が終わり、2021年を迎えました。

最近の寂庵はとても静かです。出かけることもできないし、人様に「いらっしゃい」とも言えませんから。毎月行っていた法話や写経の会を開くこともできません。それをすればお堂はいつも人でぎゅうぎゅうになるので、まだ当分は難しいでしょう。

そういうわけでいつもは静かな寂庵ですが、秘書の瀬尾まなほが子どもを連れて来た日には、賑やかになります。1歳になったばかりの男の子ですが、本当にかわいいの! 将来、ものすごいイケメンになるんじゃないかしら。

子どもの成長というのは、本当に早い。ついこの前生まれたばかりだと思っていたのに、もう小さな歯が2本生えて、髪の毛も、ふさふさしてきました。一方、私は髪の毛がないので、子どもは最初は不思議そうな表情で私のことを見ていましたよ。でも今はすっかり慣れたようで、仲良く一緒に遊んでいます。

私は若い頃、4歳の娘を置いて婚家を飛び出してきたため、自分の孫を抱く機会がありませんでした。それなのに今、こうして身近にいる赤ん坊と、無心になって戯れているのですから、つくづく人の巡り合わせは不思議なもの。

5月に誕生日を迎えれば、私は99歳になります。もう99年も生きてきたのかと、自分でも驚いてしまいます。


『笑って生ききる』(著:瀬戸内寂聴/中央公論新社)

今から100年ほど前、世界中でスペイン風邪という感染症が流行しました。ちょうど私が生まれた頃、日本でも大勢の人が亡くなり、今と同じように、みんな病気に怯えて暮らしていたのです。

スペイン風邪によって恋人を亡くし、失意の時にやさしくしてくれた中国人の留学生と半ばヤケになって結婚したという日本人女性を知っています。その方とは、私が夫とともに北京で暮らしていた時にもまた出会い、いろいろ親切にしていただいたのです。とても思いやりのある旦那様との間に、かわいらしいお嬢さんが2人生まれていました。当時はそんなふうに、感染症がきっかけで、人生が変わった人がずいぶんいたものです。

人の運命というのは、どう動くかわかりません。人生の総決算は、死ぬ瞬間にしかできないのではないでしょうか。どんなに貧しい家に生まれても、チャンスを掴んで成功する人もいれば、恵まれた家庭に生まれても、辛苦を経験する人もいます。

不幸だと思ったできごとが、実は思いがけない幸福への入り口になることだってあるのですから、コロナ禍の間に暮らしを見直し、価値観を変えることで、次の道が開けるかもしれません。

失ったものを数え出したらきりがない


昨年10月には、夜中に寂庵の廊下で転んでしまい、けっこうひどい怪我をしました。足の先が痛むので杖をついて歩いていたら、杖が滑ってしまったのです。頭から廊下に打ちつけたので一瞬気絶して、気がつくと、全身の痛みで声も出ないほど。

朝になるのを待っていると、出勤してきたまなほが気づいてくれて助けられました。顔もぶつけたので、目の上に大きなたんこぶができ、まぶたも腫れ上がってしまい、ひどいありさまでした。それこそ、化けて出たお岩さんのようなひどい顔!

もともと、脚の血管の詰まりを治す手術を受ける予定があったのですが、転倒のために急遽入院を早めて検査を受けることに。CTを撮ってもらった結果、骨折などはしておらず、脳に異常も見られませんでした。ついでに予定していた脚の血管を拡げる手術も済ませてもらいました。


『新装版-寂聴 般若心経-生きるとは』(著:瀬戸内寂聴/中央公論新社)

入院直後はとにかく全身が痛くて、身動きもできない状態。まぶたが腫れているから、読み書きもできません。顔の傷は紫色から青、赤、黒と変色して、目も当てられない。やっと治ってきましたが、鏡を見て「なにかおかしいな」と思ったら、眉毛が片方なくなっているんです。(笑)

リハビリと脚の治療を終え無事退院しましたが、さすがに夜中に一人でいるのは危ないということで、交替でスタッフの誰かが泊まってくれるようになりました。ですから今は、夜も安心して過ごせます。執筆も再開していますし、こうして取材を受けられるくらい元気になりました。

たしかに、まったくつらくなくなったと言えば嘘になります。スタッフはみんな、とてもよくやってくれるけれど、痛みを代わってもらうことはできませんしね。でも私は今、とても幸せですよ。原稿が書けるし、本はいくらでも読めますから。

歳を重ねれば、なにかしら体に悪いところが出てきます。私も90歳頃から、腰椎圧迫骨折や胆のうがんの手術などで、何度も入院しています。もちろん痛みで苦しんでいる時は、「神も仏もあるものか」といった気持ちにもなる。でも快復すると、また心が元気になるのです。

人間、悪いところや失ったもの、手に入らないものを数え出したらきりがありません。逆に、今持っているものに目を向けると、それが幸福につながるはず。

私は今、目が見えて、書くことができるので、それで満足。片方の耳はかなり遠くて補聴器が必要ですし、若い頃のようにさっさと歩けませんから多少は不便を感じるけれど、ちっとも不幸せではないと思います。私にとって、本が読めて原稿が書けるというのは、本当に幸せなことです。

仕事の依頼が元気の源に


ありがたいことに、この歳になっても原稿を依頼してくださる方たちがいます。不思議なことに、注文があるといくらでも書くことが湧いて出てくる。今も締め切りとの闘いです。

退院後も時々、仕事で徹夜をしていますよ。私の原稿を待っていてくださる人がいるというのが、元気の源になっているのかもしれません。

読みたい本も山ほどあります。2020年は三島由紀夫さんが亡くなってちょうど50年たったから、いい機会だと思い、三島さんの本を読み返しました。やっぱり三島さんの作品は面白い。読み出したらやめられなくなり、時間がたつのも忘れてしまいます。気がつくと、一日中読み続けていることも。それで慌てて、夜になってから原稿用紙に向かうことになるのですが。(笑)

私は三島さんとは、一時期かなり密接なおつき合いをしていました。知り合ったのはずいぶん昔で、私がまだ作家としてデビューする前。三島さんの作品に感激してファンレターを送ったら、面白がって返事をくださったのがきっかけです。それから文通が始まり、私が作家になってからはお顔を合わせる機会も増えました。

もし今、三島さんが生きていらしたら、世の中についてどんなふうに思ったか。ちょっと聞いてみたかったですね。三島さんが割腹自殺を遂げた事件から、もう50年。そう思えば、100年なんてあっという間だという気がします。

どうしたら女性が幸せに生きていけるか


『婦人公論』は私よりもちょっとだけお姉さんで、今年創刊105周年を迎えるそうですね。私は、デビュー直後でまだ無名の作家だった頃、「徳島ラジオ商殺し事件」の現地ルポルタージュを書く機会をいただいたことがあり、とても貴重な経験となりました。

この100年ほどの間に、女性の地位は大きく変わりました。私が若い頃は、女は男に従属するしかないし、人権も認められていませんでした。働く場所も、電話交換手くらいしかなかった。

でも今では、自分が働いて家族を養っているというような頼もしい女性がたくさんいますね。秘書のまなほも、普段は子どもを保育園に預けて仕事をしてくれていますが、昔は子どもを預けて働くなんて考えられませんでした。女性が働く環境は、まだ不十分な点はあるかもしれないけど、100年の間に大きく進歩したと思います。

日本よりは男女同権が進んでいるはずのアメリカでも、女性大統領はまだ誕生していませんが、今年カマラ・ハリスさんが歴史上初の女性副大統領に就任します。これをきっかけに、たくさんの女性が後に続くことでしょう。

日本の女性政治家も、決して数は多くありませんが、頑張っている人が少しずつ増えてきています。20年の4月、私の出身地の徳島市で、36歳の内藤佐和子さんが史上最年少で市長に当選しました。徳島県内の長に女性が就くのは初めてのことだとか。やはり皆さん、若い女性の柔軟な発想に期待する気持ちがあるのでしょう。

私は作家になって以来、一番力を入れた仕事は近代女性の伝記でした。田村俊子をはじめ、岡本かの子や『青鞜』の女性たちを次々書きました。伊藤野枝を書いたのは、自分でも誇らしい仕事をしたと思っています。『源氏物語』の現代語訳をしたおかげで、王朝の女性たちの素晴らしい生き方も教えられました。

100年生きてつくづく思うことは、日本の女性の資質の素晴らしさです。その末端に生きた自分はなんと幸福だったかと思います。

婦人公論.jp

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