篠原涼子 夫・市村正親『ミス・サイゴン』卒業への思い

1月26日(木)16時0分 NEWSポストセブン

『ミス・サイゴン』を卒業する夫を見守った篠原涼子

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 順風満帆ではなかった。『劇団四季』では看板俳優だったが、退団後はなかなか仕事が見つからなかった。オーディションを受けるため稽古をしようにもスタジオを借りるお金がなく、カラオケ店を稽古場としていた時期もある。『ミス・サイゴン』のオーディションを受けたのはそんなどん底の時期。ようやく念願の役を手に入れたとき、英国人の有名プロデューサーから「きみは(オーディション室に)入ってきたときから、エンジニア(役名)だったよ」と声をかけられた。その目は確かだった。


「『ミス・サイゴン』に市村あり」といわれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。以来四半世紀──。市村正親(67才)が、1992年の初演時からずっと演じ続け、当たり役と高く評価された『ミス・サイゴン』のエンジニア役を卒業した。1月22日の千秋楽のカーテンコールでは、拍手がいつまでも鳴りやまず、客席には感極まって涙を流す人もいた。そこには夫のラストを見届ける妻・篠原涼子(43才)の姿もあった。


 1992年の初演以来25年間、計853回、市村はエンジニアとして舞台に立った。しかし、2014年には開幕直後に休演に追い込まれた。胃がんだった。2016年10月に始まった今回の公演は、市村にとって待ちに待った復帰の舞台。ただし、初日前に、卒業する胸の内も明かしていた。


 篠原は、最後の舞台を共にかけ抜けた。東京公演だけでなく、地方での公演にも何度も足を運んだ。


「東京、名古屋、それから大阪。何度も篠原さんの姿を見かけました。お子さんを連れていることもありましたね。パパの勇姿を家族みんなで見守っている姿が印象的でした」(熱心な市村ファン)



 2年半前に市村が胃がんで休演した際、息子たちは6才と2才だった。息子に父親の『ミス・サイゴン』を見せたい──篠原の強い思いもあったという。


「息子たちに焼きつけておいてほしいという気持ちはもちろん、篠原さん自体、夫であることを超えて市村さんのファン。誰よりも復帰を望んでいたでしょう。でも激しく歌って踊るミュージカルは健康のために引退してほしいという妻としての気持ちもある。復帰と卒業は篠原さんにとっても、市村さんと同じように言葉にできない思いがあったと思います」(関係者)


 市村が初めて父親になったのは59才。仕事が終わると飲み歩いていた生活を改め、たばこもやめた。息子と同じ舞台に立ちたいという夢もインタビューで語っている。


《遺伝子を引き継いでいるわけだけど、やることなすこと息子はとにかく僕のまねをする。劇場が好きだし音楽に非常に反応する。(中略)息子との会話を通して、苦しみ、悩み、喜びというのがこれまで以上に深まった気がする。将来、役者を希望したら初舞台を見てみたい》


 そんな夫に篠原は寄り添ってきた。


「子育てや家事を分担する夫婦でしたが、市村さんの病気以降は篠原さんは仕事をセーブしていました。市村さんのためにベランダで無農薬野菜を育て、それをメニューに取り入れたり、意外といっては怒られるかもしれませんが、かいがいしかった」(前出・関係者)


 千秋楽、市村はカーテンコールの最後に、舞台から客席に投げキッスをしていた。それは復帰までを支えた愛妻と、俳優人生を一変させたエンジニアという役への感謝の証でもあった。


※女性セブン2017年2月9日号

NEWSポストセブン

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