前田美波里、由美かおる…「広告ポスターの昭和女優」

1月26日(金)11時0分 NEWSポストセブン

前田美波里の資生堂ポスター(1966年)

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 戦後の混乱から高度経済成長を経て、バブル景気で頂点を極めた激動の時代の中で、様々な商品やサービスが次々と生まれ、国民の消費意欲を大いに喚起した。当時の広告に目を向けると、生々しい息遣いが聞こえてくる。


 日本唯一の広告ミュージアム「アドミュージアム東京」の学芸員・坂口由之氏が語る。


「広告は“時代を映し出す鏡”といわれます。時々の時代背景に応じた広告表現が生まれる。広告の歴史を紐解けば、人間と社会の関係が見えてきます」


 戦後の広告を振り返ると、そこにはいつも美しい女性の姿があった。1950年代、“三種の神器”のひとつだった洗濯機の広告には、それまで女性が担ってきた家事の重労働を劇的に軽減するというキャッチコピーが躍った。また、別世界の存在として憧れる映画女優がポスターでニッコリと勧めるのは、かつてない新しい色味の口紅やドレスだった。「銀幕のスターと同じ商品を使う」という夢物語に似た感覚が、多くの消費者の心を捉えた。


 その後、テレビが一般家庭に広く普及した1960年代に入ると、広告は飛躍的な発展を遂げた。各種メディアと連動しながら、商品の販促キャンペーンが激増した。


「最大の要因は、新聞、雑誌、ラジオ、テレビというマス4媒体が確立したことです。メディア中心の時代が到来し、広告のあり方も多様化していきました」(坂口氏)


 象徴的な広告といえば、なんといっても前田美波里を起用した資生堂の夏用化粧品「ビューティケイク」。「太陽に愛されよう」をキャッチコピーに、それまで「色白が美人の条件」の社会通念を覆し、健康的な小麦色の肌を露わにしたポスターが話題を呼んだ。以降、モデルによる夏のキャンペーンというスタイルを取り入れる企業が急増、同時に海外ロケも一般化していった。


 大阪万博で幕を開けた1970年代は、日本国有鉄道(国鉄)の大々的なキャンペーンで若い女性の間で国内観光ブームが到来。そして、「モーレツからビューティフルへ」の言葉に代表されるように、「モノの豊かさ」から「内面の豊かさ」へと広告の方向性が変化していった。さらに1980年代に入ると、商品を「いい、悪い」ではなく「好き、嫌い」で判断する新たな物差しが登場。個人の価値観に訴えかける広告が誕生した。


 やがて大量生産・大量消費の行き詰まりでバブルは崩壊、昭和は終わりを告げる。ここで、昭和の広告ポスターを飾った女優たちを紹介しよう。


●前田美波里──1966年、資生堂「ビューティケイク」で登場。無名に近かった17歳の前田美波里を起用し、日本初の海外ロケで製作されたポスターは、店先に貼るたびに盗まれたという。ロケ地は、当時の憧れの地・ハワイ。


由美かおる──1967年、三共製薬「ルルゴールド」で登場。モデルは歌手としても活躍していた17歳の由美かおるを起用。「クシャミ3回、ルル3錠」のヒットコピーで国内の風邪薬市場を牽引した。


●藤田弓子──1970年、カコ商事「カコストロボ」で登場。NHKの朝ドラ『あしたこそ』(1968年)のヒロイン役でブレイクした。当時25歳。大阪万博を記念したストロボのセールを告知した。


●栗原小巻──1973年〜、象印マホービン「エアーポット押すだけ」で登場。ポットは白地に花模様のデザインで知られるヒット商品。モデルは『忍ぶ川』(1972年)で毎日映画コンクール女優演技賞を受賞した28歳の栗原小巻だった。


松坂慶子──1980年、三楽オーシャン「メルシャン」で登場。深作欣二監督作品に多く出演し、女優として絶頂期を迎えていた。当時28歳。1982年には『蒲田行進曲』と『道頓堀川』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。


◆取材・文/小野雅彦


※週刊ポスト2018年2月2日号

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