名脇役・光石研 緒形拳から褒められた言葉だけが支えだった

1月27日(金)16時0分 NEWSポストセブン

「名脇役」としての評価が高い光石研

写真を拡大

 俳優・光石研(55)が「名脇役」と呼ばれるようになって久しい。決して目立ちはしないものの、ああ、あの映画にもこのドラマにもと、おびただしい数の作品に渋い味を添えてきた。まさに名うてのバイプレイヤーなのだ。


 しかし、本人は、そんな評価を至って淡々と受けとめている。


「名脇役とかバイプレイヤーとかって、二枚目俳優以外を指すときに、いちばん便利な言葉なんじゃないですか。それは人様が呼んでくださることであって、自分としては何と言われようがいい、という感じです」


 そんなバイプレイヤーを題材にしたドラマ『バイプレイヤーズ〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜』(テレビ東京系)が1月13日にスタートした。


 光石のほか遠藤憲一大杉漣田口トモロヲ寺島進、松重豊の6人のバイプレイヤーたちが、世界的映画監督の作品に出演するため、シェアハウスで共同生活を送るというコメディだ。


 15年ほど前、6人が集まったときに「みんなで何かやれたらいいね」と話していた企画が実現したのだという。フィクションではあるものの、各俳優が本人役を演じるという不思議な設定。第一線に立ち続けてきた脇役6人が繰り広げるストーリーが面白くないはずもなく、深夜番組ながら、すでに評判を呼んでいる。


 が、名バイプレイヤー光石研のデビュー作は、意外にも脇役ではなく、堂々の主役だった。


 福岡県にある東海大学付属第五高等学校のサッカー部員だった光石は、友達に誘われ、博多で撮影される映画のオーディションを受けた。演技とは無縁のど素人だったが、なんと3回の試験をパスし、主役の座を射止めてしまう。


『嗚呼!!花の応援団』シリーズを手がけた曽根中生監督の新作『博多っ子純情』(1978年公開)だった。


「『受かったのはどいつだ』と先輩が教室に見に来て、オーディションの翌日から学校中で大騒ぎでした。撮影は夏休みの前10日間と夏休みを合わせて40日間で収めたんですけど、お父さん役の小池朝雄さんをはじめ、大人たちとの撮影が新鮮でおもしろかった。セリフ覚えで苦労したという印象もなくて、ただただ楽しかったですね」


 博多を舞台に中学生の青春群像を描いたこの作品に、北九州育ちの純粋でやんちゃな16歳はぴったりはまった。


 初主演で役者の醍醐味を知った光石は、高校卒業を待って上京、緒形拳らが所属する事務所に入り、俳優としてのスタートを切る。ときを移さず、NHK大河ドラマや山田洋次監督の『男はつらいよ』といったメジャー作品に出演し始める。


 もっともそれは実力というよりは、名優・緒形拳との抱き合わせ、「バーター出演」に過ぎず、「緒形さんに食わせてもらっていたようなものです」と話す。


 演技をまともに習ったことのない素人は、ほどなく壁にぶつかる。


「『博多っ子純情』では、やりたい放題やらせてもらったので、山田洋次監督のところでも同じような調子で演じたら、ものすごく怒られました。


 山田さんもスタッフも怖くてね。『男はつらいよ』のタイトルバックに出るだけのアベック役だったけど、『ダメだ、ダメだ、もう1回、もう1回。君は何なんだ』って、もう、めちゃくちゃ言われました。


 それで次に相米慎二監督の現場に行ったら『お前、いったい何を教えてもらったんだ』とまた怒られて。目立とうと演技過剰だったんでしょうね。怒られ続けていました」


 そんな中で、光石の唯一の救いとなったのは、緒形から言われた「君はおもしろいな、いまが辛抱だぞ」という一言だった。


「興味半分にオーディションを受けてなんとなくこの世界に入っちゃって。でも演技の勉強をしてないからこそ、逆に自分はおもしろいんだと思い込んでいました。もちろん、それは間違いだったけど、緒形さんから褒められた言葉だけを支えとして、当時は演じていたような気がします」


 1990年代に入ると同世代の新鋭監督から声がかかり、『Love Letter』(岩井俊二監督)、『Helpless』(青山真治監督)といった作品に出演。さらに、1998年には『シン・レッド・ライン』でハリウッド映画にも進出し、役者としての地歩を固めていく。


 だが、売れているというにはほど遠く、29歳で結婚してからの数年は、極貧生活が続いた。


「その頃、『世にも奇妙な物語』のネタが不足しているという話を聞いて、とにかく暇だったから、ワープロで脚本を4、5本書いたりもしました。採用されませんでしたけど(笑い)。


 脚本家になりたかったわけじゃなく、なんとかして仕事に結びつかないかと思ったんです。芸術劇場の舞台監督にひとりで売り込みに行ったこともあります。どちらも実を結ばなかったけれど、必死にもがいている時期でした」


 出演作品が増していくのは、40代の坂を上り始めた頃からだ。あきらめない地味な努力の積み重ねが次第に形となり出したのだ。たとえば、2006年から2008年の3年間で、光石は映画だけで40作以上に出演している。


「光石研、おもしろいんじゃないかと言ってくださるんだったら、それに応えたいという思いがあるんです。スケジュールさえ合えば、基本的に仕事は全部受けています。仕事のない時期をもう味わいたくないという思いがありますからね。もちろん役の得手不得手はあるんですけど」


「どんな役が不得手なんですか」と尋ねると、光石はこう答えた。


「社長さんとか、ホワイトカラーの人とか。たとえば警察物でも偉い人の役は苦手ですね。撮影のときは一生懸命やるんですけど、本当にそういう役に見えているか不安で、あとから自分で見たくないし、見ないです。政治家なんて面の皮が厚そうで、なかなかあんな顔にはなれないですものね」


●みついし・けん/1961年、福岡県生まれ。1978年、映画『博多っ子純情』でデビュー。以来、『Helpless』『それでもボクはやってない』『めがね』『あぜ道のダンディ』『共喰い』など200作以上の映画に出演。『砂の塔〜知りすぎた隣人』『コールドケース 真実の罪』『奇跡の人』などテレビドラマへの出演も多い。今年の映画待機作は北野武監督の『アウトレイジ 最終章』など。


撮影■二石友希 取材・文■一志治夫


※週刊ポスト2017年2月3日号

NEWSポストセブン

「光石研」をもっと詳しく

「光石研」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ