心臓病の14歳少年を前向きに変えたキンコン西野との出会い

1月29日(水)7時0分 NEWSポストセブン

「TK」との愛称で呼ばれるミウラタケヒロくん

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「TKと呼んでください」——彼はそう言いながら少し恥ずかしそうに微笑んだ。14歳のその少年の名前は、ミウラタケヒロくん。多くの人が「TK」と愛称で彼のことを呼ぶ。TKは生まれながら「複雑心奇形」という病を抱えていた。医師からはのちに「生きて生まれてこられる確率は3%だった」と言われた。奇跡的にこの世に生を受けたのだった。

 

 複雑心奇形は完治が難しい先天性の病気で、医師からは「彼のような病状の場合、寿命は平均的に15歳ほど」と言われている。10代の少年にとっては重すぎる現実だが、彼は自宅や病院に閉じこもっているわけでも、鬱々と日々を過ごしているわけでもない。「毎日、楽しく生きている」と言い、むしろ普通の中学生よりも多くの人と出会い、自分が好きなものや、やりたいことに向き合っている。大きな病を抱えながらここまで前向きにいられるのはなぜか? 「今」を精いっぱい生きる14歳の少年の姿から、私たちが教えられることは多い——。


◆青紫色の泣かない赤ん坊


 2005年2月16日、兵庫県芦屋市の地域の産婦人科医院で帝王切開手術が行われた。生まれてきたのは2500gの赤ん坊。しかし、いつまでも聞こえない泣き声に、TKの母・ユウさんは気が気ではなかった。医師は、必死になって、冷たく青紫色をした赤ん坊をひっくり返したり、背中をトントンと叩いたりと忙しく処置を行っている。助産師が心臓の音を確認した直後、「こんな心音、聞いたことがない!」と叫び声に似た声を上げた。助産師はユウさんに、「次会える可能性は低いかもしれないから、そのつもり抱いてあげて」と赤ん坊を抱かせた。その後、TKは県立の病院に搬送される。出産の安堵感は、一気に絶望に近い気持ちへと変わった。

 

 病院のNICU(新生児集中治療室)で命をつないだTK。生後15日目にして、やっと「原因がわかりました」と医師から伝えられた。4つある心臓の部屋のうち1つが先天的にほぼ欠損している、複雑心奇形という診断だった。生きて生まれてこられる確率は3%だったそうで、この子の症例は心臓病全体でも1%ほどしかないと聞かされた。そして、この病状では寿命は平均的に15歳ほどだとも伝えられた。


 心臓に負担がかかるようなことは避けるように言われ、笑わさないように泣かさないように慎重に生活する日々が続いた。体が成長すれば心臓への負担も大きくなる。その日から、TKの成長に目を細めながらも、大きくなりすぎないように願う。ユウさんはそんな葛藤を抱え続けた。ミルクを飲む量も制限された。TKは初めての手術を生後27日に受けるが、水分量を一定に保っていないと心臓に負担がかかり、血流が悪くなる。これにより体に酸素を取り込みにくくなり、手術の大きなリスクとなると言われたのだ。ユウさんは当時をこう振り返る。


「毎日病院に寝泊まりするような日々もつらかったのですが、この時期一番こたえたのが『もっと飲みたい!』と赤ちゃんが泣いてもミルクを飲ませてあげられないこと。どんどん大きくなるはずの時期なのに、手術を迎える日には体重が700gも減っていました」(ユウさん)


◆医療事故により脳障害を負う


 1回目の手術は成功。心臓の手術は全3回予定されており、生後半年で2回目が行われた。それも無事に成功し、あと1回の手術を乗り越えれば家族で暮らすことができる…そんな希望が見えた時、思わぬ悲劇が起こる。看護師が赤ん坊のTKにベルトをかけずに病院内をベビーカーで移動し、TKを頭から落としてしまったのだ。TKは頭を強打。頭蓋骨の下にあり脳を覆っている硬膜と脳との隙間に血がたまる難治性硬膜下血腫となり、生死の境をさまよった。頭蓋骨を開き、血を抜く緊急オペは成功した。しかし、その後長い闘いを余儀なくされる。3回目の心臓の手術に加え、計6回の頭部の手術が繰り返されたのだ。血を抜き取る手術を重ねても出血は止まらず、最終的には頭の血液を排出するためにチューブを埋め込むことになる。TKの頭には今もそれが生々しく残る。


◆「ぼくは小卒」、“主体的不登校”の道を選んで


 6歳になったTKは特別支援学校の小学部に通い始める。地域の公立小学校に通う交渉をしたものの、「重症なため、受け入れが難しい」と学校側に判断された。他の子と比べ、体調が悪かったり病院に通わねばならなかったりと、学校を休まざるを得ないことも多かった。あきらめなければいけないことが重なったTKは、「なんでぼくは生きているんだろう」と、塞ぎがちになる。学校では「将来のために」という言葉を聞かされるが、“寿命15歳”という自分に学校で勉強する意味はあるのだろうか。そう疑問を抱くようになった。


「運動会をやって学芸会をやってと、学校は年間スケジュールが決まっていますよね。ぼくにはあまり時間がないのに、学年が上がる度に1周目、2周目と同じことをしなきゃいけないのかと思ったんです」(TK)


 TKは、小学校は卒業するも、中学校には行かないと決断する。“主体的な不登校”となり、会いたい人に会いに行く、したいことをすると決めたのだ。「ぼくは小卒」と少し自虐的に語りながらもその判断に後悔はないという。


 また、12歳はTKにとっても大きな節目の年ともなった。脳に大きな損傷を負い、兵庫県と病院側を相手に起こしていた医療事故訴訟が結審したのだ。法廷でTKは意見陳述を行う。小児医療事故裁判で、原告となる15歳未満の子供が意見陳述した前例はほぼなかった。


「ぼくは悪いことをしたら謝りなさいと言われています。なんで皆さんは謝らないんですか?」


 TKのこの一言に法廷は静まり返り、その時初めて県と病院側は謝罪した。


◆「会いたい人に、会う」キングコング西野亮廣さんへのメッセージ


「前を向こう」と自ら動き始めたTKに大きな転機が訪れる。13歳になったTKはキングコングの西野亮廣さんが描いた『えんとつ町のプペル』という絵本に夢中になった。


「ぼくと同じく未完成な人間が主人公であることにひかれました。そしてその絵本展が全国でやっている。すぐに行きたいと思ったのですが、どこの会場も連日超満員。ぼくは人が多いところは体力がもたず、さらに感染症のリスクもあり、行くことができません。だから、最初はあきらめようと思っていました」(TK)


 しかし、まだ見ぬ絵本展への思いは日増しに強くなっていった。そこで、思い切って西野さんに「満員じゃない、絵本展を開催してください」とツイッターでダイレクトメッセージを送ったのだ。驚くべきことに、西野さんから「やろうよー! アートは君みたいな人のためにあるんだから」と返事があった。


 TKは、西野さんが開いた絵本展に行けることになった。西野さんが10組の外出困難な子供とその家族だけのために絵本展を開催してくれたのだ。自身の障害を理由にあきらめる経験を重ねてきたTKにとって、これは大きな転機となった。


「障害者である前に、人として自分の思いや意見を自分の言葉でちゃんと伝えようと思ったんです。そしてもっとたくさんの入院している子供や外出困難な子供たちが、夢を語り、遠慮しないで楽しめる機会を作れる人になりたいと感じました。西野さんがやってみせてくれたおかげで、ぼくは背中を押されたんです」(TK)


◆14歳の誕生日はUSJで、会いたい人と


 13歳となり、TKは地元の兵庫県と東京都を行き来する生活をスタートさせる。会いたい人に会い、過ごしたいように過ごすことをさらに体現していったのだ。そして、TKが14歳の誕生日に向けて望んだのは、「仲間とUSJに行きたい!」ということだった。真冬のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にTKの体で行くことはリスクがないわけではない。しかし、もう障害を理由であきらめたくはなかった。ただ、TKには自走式車椅子を漕ぐ体力がなく、USJ内を移動するには電動の車椅子が必要だった。そこで、TKはクラウドファンディングを実施。自身の言葉で訴えた。


〈ぼくが一人で出かけるには電動車椅子が必要です。そして同世代の子が自分の趣味に合う自転車を選んでいるように、かっこいいと思う電動車椅子を選びたい。だけど、僕は歩くことができます。足が不自由なのではなく、体力がないから車椅子を使います。もしかしたら必要性を訴えたら公費補助があるかも知れません。でもぼくはできるだけ本当に必要な人に公費補助は回してほしいと考えました。なぜならば、ぼくには、助けてくれる仲間がいるからです。その仲間とともに『ジュニア世代の内部障害者も堂々とオシャレしよう! 自分の意思で自由に行動しよう!』と訴えたいのです〉(一部抜粋)


 その結果、30日間でクラウドファンディングの目標額を達成した。そして、14歳のTKの誕生日には、分身ロボットOriHimeの開発者・吉藤オリィさん、with ALS代表の武藤将胤さん、フォトグラファーのイシヅカマコトさんら総勢33名をUSJに招待した。「最高の誕生日だった!」とTKは振り返る。


◆14歳と11か月、「ぼくの新たな挑戦」


 15歳の誕生日を目の前に、TKは新たな挑戦を初めている。これまでのこと、今の活動、そして、未来の展望について記すための書籍制作をスタートさせたのだ。書籍の制作費はクラウドファンディングで募っている。クラウドファンディングの終了日の2月16日にTKは、“寿命”と言われてきた15歳の誕生日を迎える。TKは書籍制作への思いを、こんなふうに綴っている。


〈僕の話をすると、同情して、涙を流してくれる人がたくさんいます。でも、僕は毎日、毎時間、毎秒、楽しく生きています。だから、僕を見て泣くんじゃなくて、一緒に笑える仲間がほしい。本を通して、そんな仲間が増えていくといいなと思っています。生まれた時から人よりも短い可能性が高いと言われている人生。だからこそ、『いつか』なんて先送りせずに、行きたい場所に行き、会いたい人に会い、したいことをする。そんなふうに僕は生きています〉(一部抜粋)


 TKとユウさんには毎夜祈る言葉がある。「同じ世界に目覚めますように」。


「明日目が覚めた時に、お母さんと同じ世界にいるかな」、そんな小さい頃のTKの不安が言葉になったものだ。TKにとって、明日を迎えることが何よりの願いなのだ。そして、明日を迎えられたなら、その日を精いっぱい過ごして「今」を重ねていく。それがTKにとって「生きる」ということだ。(取材・文/佐藤智)

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