浅草が主戦場のナイツ「最初は浅草も東洋館もイヤイヤだった」

1月31日(火)7時0分 NEWSポストセブン

浅草芸人の総本山「漫才協会」の要職を担う

写真を拡大

塙(はなわ):昨日、インターネットのヤホーでいろいろ調べてきたんですが。


土屋:ヤフーね。


塙:亡くなった昭和の大スターをひとり、見つけてしまったんです。


土屋:調べたんですね。


塙:永六輔という人を知ってますか?


土屋:今さらかよ。亡くなったのは滅茶苦茶ニュースになったし、われわれ散々お世話になったでしょ!


塙:今日は永……(指を折って数え始める)。


土屋:何で6まで数えてんだよ。さっき言えてただろ。


塙:すごい話をさせてもらいますが、永さんは1933年、戦後のどさくさにまぎれて生まれてきまして。


土屋:浅草だろ。どさくさってプロフィールないだろ。


塙:実家が有名な『寺尾』でして。


土屋:お寺、ね。


 塙宣之(立ち位置向かって左)、土屋伸之(右)の漫才コンビ・ナイツの得意ネタ「ヤホー漫才」のさわりである。


 ボケの塙が「言い間違い=小ボケ」をこれでもかと積み重ね、それに対し、相方の土屋が軽妙にツッコむ(間違いを正す)というスタイルだ。


 冒頭の永六輔ネタは、ナイツの得意ネタで、永氏の没後、ゆかりのアーティストたちが集まった追悼イベントでも披露された。


 永六輔氏とナイツ──実は浅からぬ縁がある。TBSラジオで24年以上にわたり放送された長寿番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が2015年9月に終了し、その枠を引き継いだのが、ナイツなのだ(『ナイツのちゃきちゃき大放送』)。


 永氏は、「これが東京のお笑いだ」とナイツのことを高く評価していた。中でも「言い間違い」のネタがことのほか好きだったという。


「そう言われても、そんなに接点がなかったんで、ピンと来ないんですけどね」(塙)


「永さんのラジオ番組にゲストで出たりしましたが、我々からしたら歴史上の人物ですからね。すごすぎて実感が湧きませんでした」(土屋)


 と、どちらも永氏の評価に浮かれない。この淡々、飄々としたスタンスこそ、ナイツの味である。


 ナイツの主戦場は、東京・浅草だ。浅草フランス座演芸場東洋館──浅草公園六区にあり、長い間ストリップ劇場として有名だったところだ。無名時代の井上ひさしが劇場座付き作者を務め、若かりし頃のツービートが舞台に立った場所でもある。


 現在は、都内唯一のいろもの寄席であり、青空球児・好児や昭和のいる・こいるといったベテランから若手まで、「漫才協会」の面々が毎日舞台に立っている。そしてこの「漫才協会」の中心メンバーが、ナイツなのだ。実際、塙は副会長、土屋は理事の要職にある。


「といっても、最初は浅草に何の思い入れもなかったし……」(塙)


「まあ、僕ら、浅草に何の関係もないですからね」(土屋)


 千葉生まれ、佐賀育ちの塙。東京出身だが浅草に縁のない土屋。2人は東京の大学の落語研究会の先輩・後輩という間柄で、芸人になりたかった先輩の塙が、大学時代に土屋に声をかけたのが、コンビの始まりだ。


 現在は、内海桂子師匠らが所属する事務所の一員だが、それは、土屋の母が同事務所の演歌歌手だったというツテを頼ってのもの。


 事務所の当時の社長から桂子師匠の弟子になるよう命じられ、「きみたちは、浅草のほうが向いている」と、半ば強制的に浅草の舞台に立たされた。今も昔もスーツ姿で舞台に立つが、桂子師匠から最初に「言葉遣いと格好だけは、きちんとしなさい」と注意を受けたから。


「始めは、浅草も東洋館もイヤイヤだったんですよ」(塙)


「やっぱり渋谷とかでワーキャー言われたいじゃないですか」(土屋)


 しばらくは漫才一本では暮らせず、バイト三昧の日々が続いた。塙は深夜のコールセンター員。土屋は、水商売の女性の送迎係。


「5、6年経った頃に気づいたんです。若手のお笑いの中にいるより、むしろ浅草のほうに自分たちを寄せたほうが、自分たちのキャラが立つんじゃないかって」(塙)


「僕らDAIGOさんと同じ年なんですけど、あんな若々しさ、最初からないですし(笑い)」(土屋)


「この老け顔ですから……」(塙)


「元々、塙の趣味が野球観戦に相撲。僕が競馬ですからね。よく考えたら趣味も若々しくない」(土屋)


「それで浅草の舞台を意識的に増やして、いろいろな師匠と飲みに行って話を聞いたり。そういう若手が珍しかったから注目され始めて」(塙)


「雑巾掛けをしてきた、というイメージがつきましたね。別に下積みをやったわけじゃないんですけど。J-POPのつもりが、いつの間にか若手で演歌をやるのは偉いみたいな」(土屋)


 塙は2007年、史上最年少で漫才協会の理事に就任。言い間違い漫才も完成の域に達し、翌2008年から、若手漫才コンビ日本一を決める「M-1グランプリ」に3年連続で決勝に進出した。この頃から、ナイツここにあり、と世間に認知されるようになった。


●塙宣之(はなわ・のぶゆき)/1978年3月27日、千葉県生まれ。ボケ担当。漫才協会副会長。

●土屋伸之(つちや・のぶゆき)/1978年10月12日、東京都生まれ。ツッコミ担当。漫才協会理事。

●ナイツ/2001年に2人で漫才コンビ結成。2008年、お笑いホープ大賞 THE FINAL優勝&NHK新人演芸大賞受賞で注目を集め、M-1グランプリでは2008年から3年連続で決勝進出。落語芸術協会、三遊亭小遊三一門として寄席でも活躍中。平成25年度文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞、第33回浅草芸能大賞奨励賞など受賞。2月15日にDVD『ナイツ独演会 この山吹色の下着』をコンテンツリーグから発売。


撮影■中庭愉生 取材・文■角山祥道


※週刊ポスト2017年2月10日号

NEWSポストセブン

「浅草」をもっと詳しく

「浅草」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ