15才で住み込み店員にされたオバ記者 末期がんの父への思い

2月2日(金)16時0分 NEWSポストセブン

末期がんの父への想いを告白(イメージ写真/アフロ)

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 親子関係はひとそれぞれだが、過去に「高校には行かせない。住み込みで中卒で働け」と父親に言われ、その通りにした経験を持つ女性セブンの名物還暦記者“オバ記者”こと野原広子。そんな彼女の父親はがんの終末期に。オバ記者が父親に対する複雑な思いを明かす——。



 散歩ほど気楽でないけれど、ここのところ、人として通らなければならない道を歩いている、という気がしている。去年の秋から、がんの終末期を迎えている父親(83才)の見舞いに、毎週のように茨城の実家に帰ったり、病院に行ったりしているのよ。


 年明けてすぐの頃まで父親は、「見ろ、こんなに痩せたんだ」とパジャマをめくって、ごぼうのような腕を見せていたけれど、今はベッドから起き上がるのもやっとだ。


◆大病院で「死んだっていい」と叫んだのに


 事の始まりは、一昨年の秋、東京のわがアパートに新米を持ってやってきた父親が、「食べ物がのどでつっかえんだよ。何だっぺか」と、自分の胸をこぶしでトントンと叩いたこと。


 その時の医者の見立ては、「胃がんのステージ2のB」で、全摘手術を勧められたけど、「手術はしない」の一点張り。


 そう言われると、胃がんを切ったところで、他に転移していないという保証はないし、それより何より、80過ぎまで定期健診もしなかった“野生人”に、手術を強く勧めるのもどうか。それで、「思った通りにすれば」ということになったわけ。


 とはいえ、父親も一度は、「手術して治るものなら…」と思い直したらしく、田舎の大病院へ行ったそうな。だけど、検査に次ぐ検査と、待ち時間が耐えられない。


 とうとう、いくつかの検査をした後、ロビー中に響きわたる大声で、「病人をいつまで待たせんだッ。ふざけんな、バカ野郎。おれは死んでもいいんだ。ああ、帰っから」と医者にタンカを切ったという。


◆15才で住み込み店員になって、そこから高校へ


 父親と私は一言でいうと“なさぬ仲”。私が3才、弟が1才のときに実父が急死し、その数年後にやってきた。さらにその数年後に下の弟が生まれて、その頃から父親と思春期の私の関係は目に見えて悪くなったの。



「あれは親子げんかじゃない。父ちゃんは、町のチンピラが本気でけんかをしているような言葉で、姉ちゃんを脅かしていた」と、昨年6月に亡くなった実弟は言い、「ま、姉ちゃんも負けちゃいなかったけどな」とも。


 それで「高校には行かせない。住み込みで中卒で働け」ということになって、「ああ、いいよ」と売り言葉に買い言葉。結局、15才の私は町内の商店の住み込み店員になって、そこから高校に入学した。


 朝6時に起きて一家の洗濯をし、ご飯を炊いてから制服に着替えて登校する。平日は放課後から寝るまで。土日と夏休みなどの長期休みは、朝から晩まで働く。これが1年間続いた。


 そのときのことを、父親はどう思っているか。聞いたことはないけれど、負い目になっていると私は確信しているの。


 私が就職をして上京すると、茨城から米を持ってどこにでもやって来るんだもの。農家から私の分もふくめて、まとめて買っていたのよ。それはずっと続いていて、先日も病室でかすれる声で、「米、あんのか?」だって。まったくまいっちゃう。


 そんなわけで、父親に対する恨みつらみはとっくの昔に消えているし、「長生きしてくれてよかったなぁ」と心の底から思うんだわ。


 だけど“なさぬ仲”の限界を感じることもあってね。父親に、「気持ち悪いからさすってくれ」と背中を向けられたら、とっさに、「えっ、 なんで?」と後ずさっちゃった。「なんでって、なんでだよ」と父親はすごく傷ついた顔をしている。


 覚悟を決めて、折れそうな背骨をさすったけど、手から伝わる感触は、間違いなく“他人”。なのに、ちょっと時間が空くと気になって、宇都宮線に飛び乗っているの。


 そして死体のように横たわっていた父親が、「起こしてくれ」と言って氷をガリガリ食べたり、「ははは」と声を出して笑ったりすると、どうしたことか、私はほっと胸をなでおろすんだわ。憎んだり、怒ったりしたところで、親は親なのよね。


※女性セブン2018年2月15日号

NEWSポストセブン

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