母は「今、ここ」から「いつのどこ」に行っているのだろうか?

2月3日(日)7時0分 文春オンライン


『エリザベスの友達』(村田喜代子 著)


 認知症の母初音(はつね)さんに会いに、介護付き有料老人ホーム『ひかりの里』に通う次女千里(せんり)の日々は、娘と息子の違いはあれど、まさに“ペコロスの母に会いに行く”日々に重なります。入所している認知症の方たちの様々なエピソードも、あるあるネタ満載……あ、母は5年前に亡くなったから、あったあったネタ満載、ですね。母が亡くなってもう5年になろうとするのですが、読んでて、母がまだ施設に居るような錯覚にとらわれていました。個室からロビーに出ると初音さんたちが居るような。


 僕の前に道はない。


 僕の後ろに道は出来る。


 というのは高村光太郎の有名な詩の出だしの二行ですが、認知症を発症すると、後ろに出来てたはずの道が消え、まだ道がないはずの目の前に、迷路となって現れます。経てきたはずのいろんな道、路地や上り坂や下り坂が、時系列がごちゃごちゃになった迷路として目の前に現れます。初音さんや他の入所者の方々の前にも、過ごしてきた様々な過去が新たなリアルさを伴って訪れるのです。そして振り返ると、たった今歩いた道(時間)は、消えてしまっているのです。


 初音さんたちが迷い込む道に、千里も読者も迷い込みます。


 そこには、若い頃の華麗な初音さんが、エリザベスという名で佇んでいます。天津という日本租界の地で。たぶん初音さんの一番輝いていた世界。モノクロの世界からカラーの世界を覗き込んでいるような華やぎに満ちているのです。初音さんがなぜエリザベスかは、読んでのお楽しみに(笑)。


 別の個室のおばあちゃんたちも、もちろんそれぞれ別の人生を生きてきて、それぞれの迷路の中に迷い込むのです。


 迷路の中で、兄たちと同じく戦争に駆り出された懐かしい飼い馬たちに出会う牛枝さん。馬はある日、牛枝さんの、戦死した初恋の人を連れて来る。亡くなった命たちが、牛枝さんに「こっちさ来(き)まっせ」と語り掛けます。


 そして母親が産み落とし続ける赤ん坊を一生懸命受け取る乙女さんは、「痛い、痛い!」と自らも陣痛に襲われます。乙女さんの痛みをしずめる「コウゴさん」という言葉の謎。


 時空を越えて過去と今を行ったり来たりする認知症の親たち、そして親の言葉の切れ端、行動から、今親がいつの時代のどこに居るのか、思いを馳せる娘たち。それは自分たちの人生を振り返る事でもあるのです。


 認知症とは、人生の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて生き延びてきた人たちへ、人生の最後に神様が与えてくれた、魔法の薬のような病気なのかも知れない、と改めて思いました。


 切ないユーモアが全編を大きく優しく包み、読んだ後、無性に、母みつえのお世話になった施設を訪ねたくなりました。そしてロビーに居るだろう初音さんたちを探しに。



むらたきよこ/1945年、福岡県生まれ。87年「鍋の中」で芥川賞、92年「真夜中の自転車」で平林たい子賞、98年「望潮」で川端賞。2016年旭日小綬章受章。近著に『火環:八幡炎炎記 完結編』『人の樹』『焼野まで』。『飛族』が3月発売予定。



おかのゆういち/1950年、長崎県生まれ。漫画家・シンガーソングライター。著書に『ペコロスの母に会いに行く』など。





(岡野 雄一/週刊文春 2019年2月7日号)

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