本郷和人『べらぼう』御三卿・田安家を潰そうと企む田沼意次だが、そもそも御三卿とはどんな存在?そして御三卿の家来だった「大河ドラマの主人公」とは?

2025年2月3日(月)10時40分 婦人公論.jp


北の丸公園・田安門(写真:stock.adobe.com)

日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが展開していく中、江戸時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「御三卿」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

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御三卿の一つ・田安家を潰そうと企む田沼意次


以前の放送回にて、「将軍家の血筋を守るための御三家があるのに加え、さらに御三卿まであるのは財政のムダ」とし、御三卿の一つ・田安家を潰すための策を練っていた田沼意次。

結果的に「田安家・一橋家は後継者がなければお家断絶にする」との吉宗の書状を偽造。松平武元を言いくるめ、賢丸からはさらに恨みを買うシーンが描かれました。

さてそこで、御三卿。

うーん、確かに聞いたり、勉強したことはあるけれど、何だっけ、という方も多いはず。今後のドラマをより深く楽しむためにも、今回の記事では、それを今一度復習しておきましょう。

御三卿とは


御三卿、読みは「ごさんきょう」。江戸時代中期に創立した徳川将軍家の一門です。具体的には、以下の通り。


本郷先生のロングセラー!『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)

●田安徳川家(田安家)—家祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の三男)

●一橋徳川家(一橋家)—家祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)

●清水徳川家(清水家)—家祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)

8代将軍徳川吉宗は、1731年(享保16年)に三男の宗武へ、1740年(元文5年)に四男の宗尹へそれぞれ江戸城内に屋敷を与えました。この時は2人を指して「御両卿」(ごりょうきょう)と呼んでいました。

その後、第9代将軍の家重が、1759年(宝暦9年)に次男の重好へ屋敷を与えたことで「御三卿」の体裁が整いました。

<尾張・紀伊・水戸>御三家との違い


御三卿は将軍家の身内として扱われました。

つまり、屋敷・経費・家臣のいずれも幕府から与えられており、一般的な大名に比べると独立性が非常に弱く、「部屋住み」の立場でした。

なお、特定の領域を有する領地はありません。居城もありません。

この意味で、尾張・紀伊・水戸の御三家、3代将軍家光庶子の甲府・綱重(25万石。6代家宣の父)、館林・綱吉(同じく25万石。5代将軍)とは大きく異なります。

御三卿には武家本来の大前提がなかった


御三卿には<代々の家督相続で家を続けていく>という武家本来の大前提がありません。

当主(屋敷の主)本人やその嫡子が養子となって御三家や親藩の越前家を相続した例があります。まさに本質は、然るべき殿さまになる候補としての「部屋住み」なのです。

また当主の死去もしくは他家への転出によって跡継ぎが存在しない事態が発生すれば、普通の藩は「取りつぶし」ですが、そうした事態になっても屋敷・領地・家臣団が解体されずに存続する「明屋敷」(あけやしき)という措置がとられました。

こうした御三卿の格式は、尾張家と紀州家に準じるものとされたようです。

元服すると従三位(朝廷の序列でいう「卿」)に叙され、長寿であれば権中納言や権大納言へ昇進します。当主と嫡子は「徳川」の苗字の使用を許され、庶子は「松平」を用いました。

幕府儀礼における御三卿の席次は、御三家の当主とその嫡子の間に置かれました。また、御三家の家格が尾張・紀州・水戸の順に固定していたのと異なり、御三卿はその時々の官職や年齢などで上下が決まりました。

御三卿・一橋家の家来だった渋沢栄一


御三卿の経費は幕領より支給され、それぞれ10万石。

しかし御三卿は先述の通り、いずれも独自の城を持たず、江戸城内に与えられた屋敷地に居住しましたので、「国元」という概念がありませんでした。

所領としては、関東と畿内周辺の数か国に分散していましたが、これらの支配はそれぞれの代官所によって行われました。

最後に家臣団。

基本は幕府から出向した幕臣(旗本・御家人)で、幕府の役職に復帰可能な「御付人」(おつけびと)と、出向したきりとなる「御付切」(おつけきり)に分けられました。

また、御三卿が独自に採用した「御抱入」(おかかえいれ)もいたので、都合3種類の家臣がいたことになります。

なお、一万円札の渋沢栄一は一橋家の家来でしたが、一橋慶喜が新規に召し抱えた「御抱入」ということになります。

ただし、彼の場合は特殊で、主人の慶喜が将軍職に就いたために、幕府の直臣にランクアップしています。

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