宍戸錠さんはタフにユーモラスに生きた高田文夫のパイセン

2月3日(月)7時0分 NEWSポストセブン

高田氏がエースのジョーの思い出を語る

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 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、母校・日本大学芸術学部の先輩でもある俳優、宍戸錠さんとの思い出についてお送りする。


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 心の中の“昭和芸能史”の灯がまたひとつ消えた。「エースのジョー」宍戸錠、86歳で死去。たしか本棚のどこかにあったはずと探すと2冊、『シシド 小説・日活撮影所』が出てきたので久しぶりに読んだ。「上」にあたるのが新潮社から。「完結編」とあるのが角川書店からと別のものだった。1冊目を書いて筆が止まらなくなったのだろう。唐突に「(つづく)」と終わって、奥付をみると2001年から11年もたって2012年に続編の完結編が出ている。このあたりがこの人らしくて何か笑っちゃう。


 石原裕次郎小林旭、赤木圭一郎の時代から、ついに61年『ろくでなし稼業』で初の主演を勝ちとり走りぬけること10年、1971年に日活がロマンポルノを始めるまで「エースのジョー」としてひとさし指を一本、顔の前に立て「チッチッチッチ」と不敵に微笑んだ。


 エースのジョーは早撃ちのジョーでもあって、0.65秒は世界第3位だと知って、子供ごころにいたく興奮し、真似をして早撃ちにチャレンジしたがまったく駄目だった。0.65秒って誰が計ったんだろう。


 日大芸術学部の学生時代に日活が募集した第1期ニューフェイスに合格。口癖は「オレはチャンユーのパイセンだよ」。訳すと「俺は裕ちゃんの先輩だよ」ってことになる。ダンディでシャレっ気のある人だった。私のライブにもよく見にきてくれて、第一声が「高田は、あいかわらず下らねぇな」だった。そして必ずこう付け加えた。「オレは高田とチャンユーのパイセンだよ」日芸の大先輩と後輩なのだ。


 母親から錠(ジョー)と名付けられたので、自分の息子には錠(カギ)をあけて欲しいと、宍戸開と名付けた。


 小林旭の「渡り鳥シリーズ」は無国籍映画と呼ばれはしたが、日本の美しい風景やら和のテイストで撮られていたので、自分は徹底的にバタ臭く西部劇でやろうとした。1961年初主演『ろくでなし稼業』につづいては『用心棒稼業』『助っ人稼業』『赤い荒野』『俺は地獄へ行く』『紅の銃帯』『早射ち無頼 大平原の男』『メキシコ無宿』『気まぐれ渡世』『抜き射ち風来坊』『大氷原』『銃弾の嵐』『危いことなら銭になる』……あげていったらキリがない。


 映画からテレビでも活躍。『ゲバゲバ90分!』『元祖どっきりカメラ』、そして『くいしん坊!万才』では4代目として509回も出演している。


 人生のエンディングでは奥様を失くし家も全焼と気の毒な事もあったが、いつもタフにユーモラスに生きた我がパイセンだった。


■イラスト/佐野文二郎


※週刊ポスト2020年2月14日号

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