なかにし礼の作詩による弘田三枝子の未発表曲「裁かれる女」、2月24日(水)発売! なかにし礼・弘田三枝子 追悼企画アルバム『弘田三枝子 なかにし礼をうたう』に収録

2月5日(金)11時27分 Rooftop

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昨年の2020年7月21日(火)に亡くなった歌手・弘田三枝子。今年の2月5日(金)には74回目のお誕生日を迎えるはずだった。
そんな弘田三枝子の追悼企画アルバム『弘田三枝子 なかにし礼をうたう』[2月24日(水)発売]に、未発表曲「裁かれる女(おんな)」が収録されることになった。

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弘田三枝子は1961年11月に「子供ぢゃないの」で東芝レコード(現・ユニバーサルミュージック)からデビュー。「ヴァケーション」「悲しきハート」などカバーポップスのヒット曲を連発。1964年12月に日本コロムビアに移籍し、「砂に消えた涙」が大ヒット。その後、弘田がカバーからオリジナル曲へと路線変更する過程の1967年7月、ポップス路線の第1弾として、新進気鋭の橋本淳、筒美京平コンビが手掛けた「渚のうわさ」がスマッシュ・ヒット。それまでの“パンチのミコちゃん”から、エレガントな女性シンガーへのイメージ・チェンジを狙ってなかにし礼、川口真コンビによる「人形の家」を制作、1969年7月に発売。10月にはレコード売上チャートの1位を獲得して100万枚を超える大ヒット曲となり、その年の『日本レコード大賞』では歌唱賞を受賞、『NHK紅白歌合戦』でも歌唱した。

以後、なかにしは3枚続けて弘田のシングルの作詩を手掛けることになる。12月に発売された「私が死んだら」はチャートの最高位5位を記録している。1970年4月発売の「燃える手」では作曲を筒美京平が手掛け、8月発売の「ロダンの肖像」では再び川口真が作曲、その年の『NHK紅白歌合戦』で歌唱。その後も数々のヒットを重ね、『NHK紅白歌合戦』出場8回を数えた。2015年にはデビュー55周年を迎え、昨年はデビュー60周年となる予定だった。

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今回の「裁かれる女」の発見に至った経緯の発端は、昨年2020年12月23日(水)に亡くなった作詩家・なかにし礼。昨年、弘田三枝子の訃報を受け、8月、コロムビアレコードの担当者に連絡。追悼番組などでの「人形の家」の反響の大きさを受け、弘田に提供した楽曲の整理を依頼。「曲数によっては『弘田三枝子 なかにし礼をうたう』などの企画が可能ではないか」との企画提案だった。そこでマスターテープを詳細に整理したところ、なかにし礼作詩の提供楽曲が全15トラックあることが判明。さらには未発表曲「裁かれる女」が録音されたマスターテープを発見した。担当者からなかにし礼にその事実を報告し、『弘田三枝子 なかにし礼をうたう』の企画がスタート。弘田の誕生月である2021年2月の発売を目指し、制作に取り掛かった。

「裁かれる女」はシングル候補として「ロダンの肖像」「恋愛専科」と同日の1970年7月15日にレコーディングされたもの。どのような経緯で、リリースされなくなったのかは現在では不明。今日まで発表されずに保管されていたということになる。

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コロムビアレコードの担当者は企画アルバムの制作が大詰めを迎える12月、マスターテープから歌詩を書き起こし、なかにし礼に歌詩の表記などの確認のため連絡を取ろうとしていたが、残念ながら体調を崩していたため連絡が取れなかった。復調を待っての最終確認と思い待機していたが、12月23日(水)、なかにしも帰らぬ人となってしまった。

結果、この企画アルバム『弘田三枝子 なかにし礼をうたう』はなかにし礼と弘田三枝子、二人の追悼盤となってしまった。そしてこのアルバムはなかにし礼が発案した最後の音楽関連の企画であり、最後のプロデュース作品となった。

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