デビュー40周年の田原俊彦 ジャニー喜多川氏との特別な関係

2月6日(水)7時0分 NEWSポストセブン

田原本人も「田原俊彦はジャニーさんによって作られた」と綴っている

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 1月17日深夜放送のTBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』で、爆笑問題の太田光田中裕二が帝国劇場で行なわれている『ジャニーズKing&Princeアイランド』を観賞したことを報告。終演後、ジャニーズ事務所社長であるジャニー喜多川氏に対面したという太田は、TBS系『爆報!THEフライデー』で共演している田原俊彦について触れ、「トシちゃんがよろしく言ってました」と伝えた。すると、ジャニー氏は「お世話になってます」と返答したという。


 田原俊彦とジャニー喜多川氏の関係はどのようなものなのか。『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の著者である芸能研究家の岡野誠氏が考察する。


 * * *

 田原俊彦がジャニーズ事務所を離れて四半世紀が過ぎようとしているのに、ジャニー喜多川氏は「お世話になってます」という言葉を口にした──。


 1970年代後半に低迷していたジャニーズ事務所を救ったのは田原俊彦、近藤真彦、野村義男の『たのきんトリオ』だった。


 1979年のTBS系『3年B組金八先生』の生徒役で注目を浴びた3人が順番にレコードデビューしていくと、いずれも人気が爆発。年末の日本レコード大賞では、1980年に田原俊彦、1981年に近藤真彦、1983年に野村義男所属の『The Good-Bye』が最優秀新人賞を獲得。1982年のシブがき隊を含め、4年連続でジャニーズ事務所のタレントが栄冠に輝いた。こうして、今に至るジャニーズの黄金期が始まったのである。


 中でも、歌って踊れる田原俊彦の存在はジャニー氏にとって特別なものだった。当時、『たのきんトリオ』の素顔を語る企画で、こう述べている。


〈不器用といえば、不器用なのかもしれませんが、性格的にいえば、なにに対しても徹底してやるということで、あまりとやかくはいってないんです。まあ、3人の中ではいちばん田原に対して勉強させましたね。彼は、勉強させればさせるほど、力を身に付けていく子だったからです〉(週刊セブンティーン特別編集『スーパーアイドルの365日』1981年1月5日発行)


 事務所創設以来、歌って踊れるアーティストの育成を目指していたジャニー氏にとって、田原俊彦はまさしく理想の素材だった。


 デビュー曲『哀愁でいと』ではサビ前に脚を高く上げさせ、間奏でバク転をさせる。その後もジャニー氏はプロデューサーとして、『君に薔薇薔薇…という感じ』『原宿キッス』『シャワーな気分』『チャールストンにはまだ早い』などで、軽快なリズムで歌って踊る彼の魅力を引き出していった。


 田原俊彦の存在は後輩にも大きな影響を与えていた。昨年12月5日、少年隊の錦織一清はTBSラジオ『たまむすび』で、合宿所で寝食を共にした4歳年上の先輩について話した。


〈ものすごく練習する人なんです。それ見て、僕も刺激を受けたんですけど。(新曲の)振り付けをもらった夜から明け方まで、ずっと鏡の前で、ずっと自分のモノになるまで練習が必要だ、とずっとやる人でしたね。何も考えずに動けるようになるまで、慣らして動けるようになるまではやらなきゃいけないんだと僕は教わったから、トシちゃんに〉


 こうして伝統が受け継がれていったことを、ジャニー氏は誰よりも間近で感じていたはずだ。そして、独立から25年の歳月が流れても、我が子のような思いがあるからこそ、「お世話になってます」という言葉が咄嗟に出たのだろう。今も、ジャニー氏にとって田原俊彦という存在は特別なのではないか。


 田原も独立後、事あるごとにジャニー氏に感謝の意を表している。2009年に出版した自伝『職業=田原俊彦』(ロングセラーズ)では、こう綴っている。


〈僕がアイドルになれたのはジャニーさん抜きには考えられない。田原俊彦はジャニーさんによって作られたといっても過言ではないからだ〉


 今年、デビュー40周年を迎える田原俊彦は4月21日にNHKホールで『40TH ANNIVERSARY EVE 平成 LAST LIVE!』を行なう。田原にとってNHKホールは、歌手デビュー前から音楽番組『レッツゴーヤング』(NHK総合)で、歌って踊って番組を盛り上げる『サンデーズ』の一員として爪を研いでいた場所である。同時に、頻繁に現場に訪れていたジャニー氏にとっても思い出の地である。


 あれから40年近い月日が流れた今も、ジャニー氏は新星を育成し、田原俊彦は歌って踊り続けている。2人とも、当時の志を忘れることなく、己の道を邁進している。


 まだアイドルが“ジャリタレ”と揶揄される風潮の残っていた時代、ジャニー氏は理想像をこう語っていた。


〈ぼくはジャリタレで終わらせようと思ってやってないんです。アメリカの芸能界のように、みんな5歳くらいからレッスンにレッスンを重ねて、その人たちが40代、50代で円熟期を迎えて、老人になっても活躍してるようなアーチストを作りたいんです〉(『平凡』1987年11月号)


 これは還暦に近い年齢でも、ダンサブルなステージで魅せる田原俊彦のことではないか。4月21日、NHKホールには、58歳でも歌って踊り続ける田原俊彦の勇姿があるだろう。その姿をジャニー喜多川氏が直接、目にすることができたら、どんなに素晴らしい邂逅となるだろうか。そんな光景を想像してやまない。

NEWSポストセブン

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