90代女性、夫が脳梗塞で倒れ半身不随。10年間介護をして夫を見送り、ひとり暮らしに。100歳を目指して生きる心の支えとは【2024年下半期ベスト】

2025年2月7日(金)11時0分 婦人公論.jp


(イラスト:生駒さちこ)

2024年下半期(7月〜12月)に配信したものから、いま読み直したい「ベスト記事」をお届けします。(初公開日:2024年12月12日)
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人生100年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ中、戦後の日本を生き抜いてきた90代の方が見ている景色とは。そこには、激動の時代を過ごしたからこその喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが詰まっています。九十有余年の人生から、今を生きる私たちが、明日を明るく迎えるヒントが見つかるかもしれません。阪野光子さん(大阪府・94歳)は、戦後、教師として教え子たちと過ごして——(イラスト:生駒さちこ)

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<前編よりつづく>

「ノートを写してくれますか」


私自身は、どうであろう。

私にはUさんという友人がいる。小学校の同級生で、ともに女学校へ進学したが、太平洋戦争が勃発したころ、Uさんはご家族と満洲(現・中国東北部)へ渡った。お父様が鉄工所を営んでいたからである。終戦を迎え、命からがら引き揚げると、一家は親戚の家の屋根裏に身を寄せた。

わが家は銭湯の近くにあったので、Uさんは毎日のように立ち寄り、引き揚げ時の苦労やその後の不自由な暮らしぶりを聞かせてくれた。

ある日、Uさんが中学生を対象とした夏期講座に一役買ってほしい、と言ってきた。私たちは当時16歳。訪れた夏休み中の中学校は、日差しでギラギラとしていた。

教室いっぱいの生徒を前に、私は「蚊の生態」について一所懸命に話した。そこにいたのが、のちの夫である。彼は地震の話をしていて、私は面白く聞いた。その後、道でばったり会ったが会釈をしただけだった。

師範学校を卒業し、K校の教員になってしばらくしたころ、電車で偶然再会した。

「この記章、何学部かわかりますか」

黒の学生服の襟に、金バッジが光っている。Jの字が見えた。

「法学部ですか」
「当たり」

10歳で父が戦死。母と妹を抱え、ただひとりの男手として彼にすべてが託された。木を伐り、柴を束ね、汲んだ肥を田畑に撒いて、少しの食い扶持を稼ぐ。そんな彼の肩は力こぶで盛り上がっていた。大学進学は亡き父の悲願だったが、勉強する時間がない。三浪の末に合格したものの、入学後も大阪府庁で書記のアルバイトをしていた。

「大学の友人から借りたノートを写してくれますか。妹に頼んでも拒まれました」

コピー機などなかった時代。苦労している姿を見かねて、助けになればと引き受けた。写し終えたノートを渡した際、映画に誘われた。そうして私たちは結婚した。夫は24歳、私は23歳。

新婚生活は、私が勤務するK校近くのアパートの、四畳半の一間からはじまった。夫は大学卒業後、研究生となった。夫の机、桐の箪笥、鏡台などの家具を置くだけで部屋はいっぱいである。遊びにきた子どもたちが、

「先生、窓から足出して寝るんか」

と心配してくれたほどだった。

おじいちゃんも頑張るから自分たちも頑張る


共稼ぎの私たちはひとり息子にも恵まれ、平穏な日々を送っていた。30代から高血圧を抱えていた夫が脳梗塞に倒れたのは、65歳のときだ。脳幹で梗塞が起き、意識が戻らない。私は毎朝、夫の体を拭きながら、言葉をかけ続けた。

「おとうさん、今日はいい天気やで」
「手足を拭くよ。浴衣をしかえてさっぱりした」

するとある日、夫が私を見たのだ。目が合い、意識が戻ったことに気づく。私が看護師さんたちのもとに走ると、みんな「うっそ!」とおっしゃった。

意識不明になってから49日が経っており、病院はじまって以来の出来事だったらしい。夫は生と死の間をくぐりぬけ、半身不随として生かされたのだ。

入院生活を終えると、在宅介護がはじまった。午前2時、夫が私を呼んでいる。夢うつつのなかで起き上がると、寝具も肌着も尿で濡れていて、ひとつひとつを脱がし、着せていく。病みたりといえども、夫の体は重い。

こんな私たちが小さい孫たちと暮らすようになったのは、息子のはからいからであった。老いや病を目の当たりにすることは、人間の弱さを見つめることでもある。日々の介護を通してやさしさや労わりの心を肌で感じ、命の尊さを学ぶことが、子どもの成長に必要ではないかと息子は考えたのだ。

車椅子に夫が乗降するとき、私が夫の体を抱える。すると孫たちはハンドルをしっかり握って支える。入浴の際、孫たちが準備をしておき、息子と私で浴槽から夫の体を抱え、運ぶと、みんなで一緒に拭いていく。痩せた足、だらりとして硬直した指にさわる。

痛みをこらえてリハビリする夫を見つめる。不自由な体ながらも、残存機能を生かさんと励む夫の姿は、孫たちの心を育てる一助になったのかもしれない。おじいちゃんも頑張っているから自分たちも頑張らなくては、という言葉に、なにより私が支えられた。

もちろん在宅介護は報われる日ばかりではない。それでも10年間に及ぶ介護をなんとか続けることができたのは、こうした息子や孫たちの思いやりがあってのことと思う。

そして夫との友情と、病みながらも時折見せてくれる微笑みが、私のエネルギーになったことは言うまでもない。

100歳を目指して生きるために


だが、とうとう私はひとりになってしまった。夫は旅立ち、孫たちはそれぞれの道を歩きはじめた。

私はいまも散歩の一環として、杉の木立が続く山道を登る。クマザサが山の斜面を覆っている。笹の葉の白い縁がくっきりとして、目を引く。黒土を含んだ山道を木々の枯れ葉が埋めている。

ひとり、金剛山に登ることもある。樹氷が美しい。まるでクジャクが羽を広げたよう。麓を流れる石川は、毎日見ても飽きない。古の人たちもさぞ眺めたことであろう。カワセミの羽の瞬間的な青さに目を奪われるたび、偉大な自然の恵みをありがたく思う。

はや94の老齢となった私だが、ひとりで住まい、何事も自分でできるよう、自立を心がけている。前向きで、好奇心いっぱいの人であり続けたい。いくつになっても、ときめいていたい。そのためには心身の健康を心がけ、養生に励むことだ。

自立した100歳を目指すために努力は惜しまないつもりだが、昨今の世の流れの速さには、ときに驚き、あたふたしてしまうことがある。

そんなある日、師範学校で同じクラスだったSさんから久しぶりに手紙が届いた。卒業から70年以上が経っているが、在職中、ともに給食に関わる仕事をしていたため、献立を検討する区の試食会でも再会したことがあったのだ。やはり友達はいい。手紙には、次のように書かれていた。

「わたしは娘と医者に支えられ、静かに生きています。お会いしたいが、手押し車で歩いています」

Sさんは色紙に、干支や釣り上げた鯛を抱えた大黒様、恵比寿様、お雛様などの俳画や切り絵、そして言葉を添えて送ってくれた。この色紙はSさんの友情そのもの。見ていると、老いても負けず、しっかり生きていきたいと思えてくる。

一方、私たちはこれまで人生の辛酸を舐めた者同士でもある。苦しいとき、「Sさん……」と心のなかで語りかけ、自分を奮い立たせている。

Sさんは、私の住まいから眺められる二上山(にじょうさん)の麓に住んでいる。二上山を眺めつつ、ともに老いても、微笑みを忘れず生きていきたい。

【そして、いま】
阪野さんに、お気持ちを伺いました


子どもたちには純粋な心と眼差しがあります。子どもが大好きだった私にとって、小学校教員は憧れの職業でした。母がうどん店を開いていたこともあり、女性であっても経済的に自立しなければならないと思っていたところ、女学校の昇降口に一枚の貼り紙を見つけました。そこには大阪第二師範学校に女子部ができるとあり、受験して憧れの教職に就くことができたのです。

出産後、私が仕事を続けることに夫は大反対でした。それでも、「人生なにがあるかわからない」と育児・家事・仕事を両立。定年まで勤めたあとは、特別支援学級の支援員(いきいき学級支援員)として働きました。

教員という仕事は、自分も学ぶことができる、素晴らしい仕事です。その職に就けたことを、いまも感謝して生きています。

私は真面目に、まっすぐ竹のように生きることを信条としてきました。息子からは「融通がきかない」と指摘されることもありますが、明治生まれの働き者の母が、私の人生のお手本なのです。母はかまどを囲みながら、「この世が苦しくても辛抱すること」「正念を入れて生きること」がいかに大切かを、よく語ってくれました。

こうして、私のこれまでを記したものが『婦人公論』に採用していただけることになり、とても嬉しく思います。普段から雑文や短歌の投稿を楽しむほか、心身の健康のために続けているのは、毎日1、2時間歩くこと。夏場は、愛犬と息子と夕方4時ころには歩き出します。

ここは周囲を山や川に囲まれた空気の澄んだ町で、最寄りの駅からは金剛山ロープウェイ行きのバスも出ていて便利。子どものころから金剛登山は学校行事のひとつでしたから、金剛山はいわばきょうだいのようなものなのです。歩くことは、心を前向きにしますね。

500メートルほど離れたところに暮らす息子家族は、日々様子を見にきてくれますし、ひとり暮らしでも心丈夫です。毎日風呂のなかで足を揉み、食事も自分でつくります。

老いは時々顔を出しますが、醜いものと卑下するのではなく寿と思い、写真の母と話しながら、日々を生きております。

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