突然のママの死に号泣する“息子”たち…塙山キャバレーに取材Dが感じた「替えのきかない場所」

2025年2月8日(土)18時0分 マイナビニュース


●客減少に物価高の未曾有の危機
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)で、2日に放送された『酒と涙と女たちの歌3 前編 〜塙山キャバレー物語 名物ママの卒業〜』。茨城県日立市の国道沿いに12軒の小さな飲み屋が並ぶ「塙山キャバレー」の人々を追った作品で、40年の歴史を持つママの引退を中心に描かれた。
9日に放送される『後編〜塙山キャバレー物語 突然の別れ〜』では、あるママの突然の死が訪れる。取材ディレクターの映像作家・山本草介氏が、そこで感じた塙山キャバレー特有のママと客の関係性とは——。
○仲間の墓を1年かけて探し出す
『ザ・ノンフィクション』で塙山キャバレーのドキュメンタリーを放送するのは、23年1月以来、約2年ぶり。今回の取材は、2024年の夏の終わりに、コロナ禍で中止されていた「はなやま祭り」が5年ぶりに行われるのを聞いてスタートしたが、現地で目の当たりにしたのは、未曾有の危機だった。
かつて日立製作所の企業城下町として栄えた日立市だが、事業売却や構造改革などに伴って事業所数が減少し、仕事終わりの一杯を楽しみにやって来る客も減少。そこに物価高が直撃するというピンチを迎えていたのだ。
それでも、「ママたちは皆さん、下を向いていませんでした。何十年もやってきた人にとっては、“前にもこんなことはあった”、“今を耐えれば”という気持ちを感じました」という山本氏。そのパワーの源泉は、ママたちの結束だ。
「自分の店の営業が終わると、どこかのママの店に集まって、愚痴をこぼしながら夜を過ごして別れていくというのを、毎晩繰り返しているんです。どこかでポツンとやっているお店とは違うつながりというのを感じます」(山本氏、以下同)
一般的な商店街と違い、同じ業種で並ぶ店同士は、客を取り合うライバルでもあるはずだが、「いろんな情報を交換しながら、何とか盛り上げようと皆さんで頑張っているんです」と、強い絆で結ばれている。
それを象徴するのは、前編で紹介された「のぼるちゃん」とのエピソード。かつて塙山キャバレーにラーメン店を出していたのぼるちゃんは、漏電による失火で隣接する店も巻き込む火事を起こしてしまったが、何もかも失ってしまった彼を、ママたちは仲間として受け入れていた。
のぼるちゃんが22年冬に孤独死すると、遺体の身元引受人になる親族がいないことから、お墓の場所も知ることができなかったママたち。だが、「関係者を渡り歩いて、1年くらい必死に探してお墓の場所を見つけたんです。その話を聞いて、本当にびっくりしました」と、執念の行動力に驚かされた。
○悩みを抱える人が集まってくる場所
これまでの『ザ・ノンフィクション』での放送の反響は大きく、「僕が実際に会った人で、奈良から塙山キャバレーを目的に車で来たというご夫婦がいました。ほかにも、他県から相談したいことがあるとやって来た人にお会いしましたね」とのこと。元々出稼ぎで来る人が多かった街ということもあり、“よそ者”を受け入れてくれる土壌があるのだという。
「だから、僕がカメラを回しても許してくれたところがあると思います。初めて来たのに常連さんと仲良く話せるのも、塙山キャバレーの特徴だと思います」
もう一つの特徴は、様々な思いや悩みを抱える人が集まってくる傾向があるということ。「そういう人たちの寂しさやつらさを少しでも和らげるのは、やっぱり笑いであったりどうでもいい話であって、ママたちも自分がそのための存在であるということに、すごく自覚的なんです」と感じた。
ママたちが様々な悩みを受け止めることができるのは、彼女たちも離婚、身売り、蒸発、暴力団組長との結婚など、波瀾万丈の人生を歩んできたからこそ。
「“私もこういうことがあってさ…”と打ち明けてくれると、お客さんも話しやすいですよね。だから、ママたちはどんな苦労もどんな悲しみも、商売道具という“武器”に変えているんです。“ただ泣いてるだけじゃ負けだ”という印象がありました」
取材ではなくプライベートで塙山キャバレーを訪れることもある山本氏。「ちょっと家庭でいろんなことがあって、そのことを言おうと思ったら、僕の顔を見た瞬間に言い当てられました(笑)。“そういう男を何百人見てきたと思ってんだ”って言われて」と、お見通しだったそうだ。
●「笑って商売できなかったらやらない」
前編で描かれたのは、店の40周年を機にのれんを下ろした、79歳の「いづみ」のママ。ほかにも70〜80代のママの店が多く、高齢化が進んでいる。
それにもかかわらず、体力的にも厳しそうな夜の仕事をなぜ続けるのかを聞くと、どのママからも返ってくるのは“生きがい”になっていることだったという。
「みんな同年代の年金暮らしの人と比べて、“家にいたって、面白くないじゃない”って言うんです。店に来れば、毎日若い人も含めていろんな人としゃべることができるじゃないですか。僕だって“若い男としゃべれてうれしい”と言われましたから(笑)。だから、店に来ることで元気になっているんです」
ママの中には、「カウンターの中で倒れて、みんなに“ママー!”ってみんなに声をかけられるのが、もう葬式でいい」と言う人もいるのだそう。「舞台の上で死のぬが本望」と公言する俳優と同じような気概で、毎晩店に立っているようだ。
そんな中で「いづみ」ママが辞めた理由は、視力の衰えにより車で50分かけて店に通うことが怖くなったため。山本氏が前編で特に印象に残る場面として挙げるのは、彼女が最後の営業日で笑っている姿だった。
「お客さんは泣いたり、しんみりしてるんですけど、本人はずっといつもと変わらない表情で笑っているんです。最後に話を聞いたら、“楽しかったからここで仕事してたのに、無理してやったら楽しくなくなっちゃう。だから笑って商売できなかったらやらない”と言っていて。その彼女の哲学を聞いて、最後まで笑って終わったというのが、すごいなと思いました」
○ただの客とママとは違うレベルに
後編で描かれるのは、「酔った」のママとの突然の別れ。そして毎週、店を訪れて“息子”のように接していた、悲しみに暮れる常連客たちの姿だ。
この関係性に、「塙山キャバレーという場所は、ただのお客さんとママとは違うレベルになっているのが、より見えてきました。自分の母親が亡くなった時にもこんなに泣くのだろうかというくらい、感情をあらわにしていたんです。ここまでお客さんと結びつくことができるのかと驚きましたし、だからこそ替えのきかない場所なんだと思いました」と印象を語る。
数ある店の中で塙山キャバレーの前組合会長だった関係で、山本氏がお世話になったのが「ふじ」のママ。このママは息子が2歳の時に離婚したが、元夫に引き取られてしまったため、17歳になるまで1回も会えなかったのだという。その息子と年齢が近い山本氏は「僕と同年代の人たちがお店に集まってくるんです。ママは母親としてつらい時期がずっとあったので、僕たちに優しく接してくれて楽しく過ごせるのかなと思います」と推察した。
●山本草介1976年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業。ドキュメンタリー映画監督の佐藤真氏に師事し、06年に映画『もんしぇん』の監督で商業デビュー、第6回天草映画祭「風の賞」を受賞した。映像作家として『ザ・ノンフィクション』のほか、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)、『情熱大陸』(MBS)といった番組や、ドキュメンタリー映画『エレクトリックマン ある島の電気屋の人生』などを制作。21年、初の著書『一八〇秒の熱量』(双葉社)が、第52回大宅壮一ノンフィクション賞・第20回新潮ドキュメント賞の候補作に選ばれた。

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