上方漫才を背負う中川家、笑いを生んだ壮絶な貧乏時代があった!

2月9日(木)5時59分 アサ芸プラス

 上方漫才界を背負う大きな一角といえば、中川家だ。「M−1グランプリ 2001」で優勝し、2010年には伝統と由緒ある「上方漫才大賞」も受賞。今後の浪速のお笑いシーンをけん引していく、リアルで兄弟な漫才師だ。

 兄の中川剛と弟の礼二。細かい人間描写やマニアックなものまねをさせたら、右に出る者はいないが、それは貧乏だった幼少期の影響だという。

 かつてお笑い雑誌で編集長をしていた男性に話を聞いた。

「家族4人が住んでいたのは、文化住宅で6畳と4畳半。風呂なし。銭湯の定休日には、玄関の土間にお湯をためて入っていたそうです。お金がないので、大阪の街を行き交う人間を観察するのが趣味。そこで見たオッサンやオバハンをまねるとウケて、笑いに開花。父がもらってきたなんばグランド花月のタダ券でお笑いを観て、芸人になりたいと思ったそうです」(お笑い誌編集長)

 自転車を買ってもらえなかったため、いつも全速力で走っていると、自転車に追いつき、足が速くなった。後に自転車はもらえたが、父が拾ってきたのだろう、氷屋のリヤカーだった。

「それでも年1回は家族旅行。でも、宿泊代をケチるため、いつも知らぬ家族と相部屋。楽しみにしていたバーベキューでも、家から持参したおにぎりを食べて帰ってきたり。空腹をしのぐため、教科書をちぎって食べたこともあるそうです」(前出・お笑い誌編集長)

 笑いは0円で生まれる。それが、中川家のおもしろさを完成させた。貧乏だったから栄光を手にした中川家。この手の芸人は寿命が長い。

(北村ともこ)

アサ芸プラス

「漫才」をもっと詳しく

「漫才」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ